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生体腎移植ドナーを目指して気付いたリアル



私がした唯一の親孝行はママに腎臓をあげた事

ちょっと人生の転機になりそうなレベルでママに
ドナーとして腎臓をあげると決意して実行した事です。

このまま透析を受け続けてもママの命は長くはない。

自分にできる事で尚且つママを失いたくない一心で
腎移植へとママはじめ家族を引っ張ってドナー移植
しました。

ちょうど2年前の今頃に書いた日記を書き起こして
います。



人工透析による副反応と命のカウントダウン
生体腎移植ドナーを決意した理由



生体腎移植ドナーを決意した理由


私がドナーを目指した理由は明確です。何よりママを、このまま死なせたくない。

令和3年9月時点で透析をはじめ、丸3年のママは生きてこそいますが透析後の体調は青色吐息。

このままじゃママがしんじゃう。

ママの体調はみるみる悪化し、目に見えて弱ってきていました。

透析患者は透析さえすれば完璧で健康が保てると

言う訳ではありません。

逆だと思う、生きた屍みたいになる人多いはず少なくとも私のママはそうでした。そんなママを見てるのが辛かった。


自分が大好きで自分が一番大事な私が、自分の次に絶対大切なママの辛い顔見たくない、それに死なれちゃ嫌だ、の想いからドナー計画は始まります。




透析患者のQOL


一旦透析が始まると週に3回5時間弱の透析治療に必ず通うことが日課となります。

しかも透析中も血圧の上下や血糖値の上げ下げで、吐いたりするのは日常茶飯事。


ほぼ透析から帰宅すると寝たきり状態でした。

それに合わせて飲み物の制限、食べ物(リン・タンパク・クレアチニン・血糖値・高血圧)などのコントロールは常に大前提。

透析は、あくまで根本的な治療ではなく

延命治療の一つに過ぎません。


そしてその延命治療は今後、命続く限り、続けるべき生涯続く延命治療となります。

とてもQOLが良いと言える状態ではなく、ただただ生きているだけの文字通り延命してる状態の透析生活。


延命治療ではなく、治療として完結する方法を模索します。

それで見つけた方法が、唯一の方法である腎移植だったのです。

今思えば、透析提案される前に食い止める改善方法は、もっとあったのですが時既に遅しです。

医師に末期腎不全と言われた時は、ほぼ透析か移植の2択しかありません。

私自身も医師からの提案ではなく、自らネットで調べて唯一の完治法として
生体腎移植がある事を知りました。


そして迷わずドナーは自分でイケるな、と決意。

同時に透析宣言された日の出来事は私にとっても晴天の霹靂。その当時の驚きと病気になったらセカンドオピニオンをするべきだと思った経験をコチラの記事にしました↓



生体腎移植ドナーの条件


腎移植と言っても生体腎移植と献体腎移植2つの種類があります。

欧米や欧州などでは献体腎移植(亡くなった人)遺族などの臓器提供は日本と比較したら多いのですが日本では宗教観や倫理観の違いから、その提供者は比較にならない程少ないのが現状です。


2022年に透析患者数35万人とも言われており、移植を希望して待機している方の数は16000人。


その中から幸運にも移植を受けられる方は毎年約400人。


いかに需要と供給のバランスが悪いかが分かると思います。


臓器移植希望登録から移植までの期間は平均15年と言う長さ。

日本移植学会が定義しているドナーとして移植の条件を紹介しましょう。


この条件を満たした人のみが生体腎移植や臓器提供が可能とされています。

・年齢20歳以上

・臓器の機能が正常であること

・心身共に健康である人

・親族6親等以内の血族・3親等以内の婚族



私の場合はこの全てをクリアドナーをと判断しママにドナーを申し出します。

そして1番と言っても過言ではないレベルで重要なのは、ドナー候補となる人物が、(ここでは私)の任意のドナー提供であること。



生体腎移植ドナーのリアル



最初の病院(全国1~2位)の腎移植例がある日赤で最初の壁にぶち当たります。

現在の透析病院から、必要な手順を踏んで、紹介状を持ち腎臓内科のある総合病院に行き言われた事は想定外の言葉でした。

そのドクター曰く

「生体腎移植のリスクは少ないとはいえゼロではない、多少であれリスクがあるドナーに親子間でも娘から親へのドナーは反対」

しかもその医師は

「そこまでしてお母さん長生きしたくないでしょ」

と言い放ったのです。

絶句しました。


ママは苦し紛れに私からドナー提案を受けたとは言い、この先生からの発言は母親としては屈辱的だったようで二度と行きたくない、ショックを受けていました。

私も当初は驚き、腹も立ちましたが、その言葉で冷静に我に返れたのも事実です。


医師:「お母さんには娘さん以外に兄妹や旦那様は居ないのですか?」

家族3人(父母、私)でカウンセリング受けている状態ながら、その時ようやく「はっ」と我に返ったのです。

私はてっきり自分意外の他のドナーに一切考えが及んでいませんでした。

父はママより4歳年下、当時68歳です。

ドナーとしては若いとは言えませんが充分ドナーの要素も条件もクリアできます。


実際夫婦間の生体腎移植と兄妹間の移植が多いのも事実です。

結局結論としては、父親も軽度の糖尿病だった事から、ヘモグロビンの
数値を平均値の5.5にする事を条件にドナーの話は振りだしに戻る事になります。


詳細は別で紹介しますが、結局その後、半年間かけてヘモグロビン値を5.5にしたものの父親の腎臓はドナーとして使える状態ではなく、この父親のドナーもお流れになります。

でもこのドクターの発言こそが他のドナーの存在に、気が付くきっかけとなり、ある意味での気づきになります。

半年かけて父のヘモグロビン数値を下げる間に、考える時間があった事が
幸か不幸か、当初よりもっとドナーについて、考える事が可能となったのです。



母の兄妹達~


父親をドナーとしての闘いは、私と父の半年の努力も儚く叶う事はなかったもののママは5人兄妹の長女です。


そして片田舎から出稼ぎで本州に出てきただけあり、昔から兄妹間の結束は強く仲も良い兄妹でした。

特に母は物心両面で、身を粉にして働いてはお金を数年間に渡り生活費として毎月妹や兄弟を助けていたようです。

母の兄妹は田舎者だからかなのか、性格なのか泣きたくなる程、馬鹿正直で騙されやすく弟が騙され九州に呼ばれて金策したり。

一番上の兄も不器用な性格で独り者。

それを心配して、近所に呼び寄せ、定期的に食事や生活の面倒を見るなど
端から見ていて本当に良くやるなと呆れるほど献身的。


一番下の妹も何故か働かない夫の埋め合わせを私の母に泣きつき、子供が
いるから離婚も出来ないと母が金銭援助。

姉弟みんなにたかられて、ずーっと働き詰めの母。

そんな兄弟を頼れないかとドナーとして頭をよぎったのです。愚かにも私は


今回の母への生体腎移植を目標とし始めた我が家で、気が付いてしまった事。

期待したドナー立候補の皆無


可能であれば母の兄妹からのドナー立候補が理想的です。

認知を発症した叔父意外はみな分かっていたはず。

なのに結果は

誰1人ドナーとして立候補し手を挙げてくれませんでした。


任意が前提のドナー立候補なので、基本的にレシピエント(母)からお願いする事はタブーです。

あくまで善意からの身内(6親等)の立候補が建て前です。

あれほど親兄弟に尽くした母親に誰1人として、ドナーの提供したいと申し出る兄妹はいませんでした。

この不測の事態こそ、名乗り出てくれる、兄妹が1人くらいはいるだろう。


この予測は直ぐに期待外れだった事を思い知る事になります。

直ぐ下の妹もあれほど、どうでも良い理由を付けて繁盛に我が家に遊びに来ていましたが、コロナ渦を理由にピタリと顔を見せません。


兄妹も頼み事がある時はあれほど出入りしていたにも関わらず、我が家の一大事母のドナーを探している。

移植したいとなった当時の緊急事態にはピタリと姿を見せません。

これをどう取ったら良いのでしょう。

到底良い理由を見つけられる訳もなく、私が出した結論は、いつか聞いた兄妹は他人の始まり。と言う結論です。

みんな自分が可愛い


結局兄弟愛とは言っても、充てにされたり助けを求められたら助ける事はあったが逆を求める事が可能な兄妹は1人として居ない。


でも不測の事態だからこそ本音が分かると言うもの。

みんな自分が可愛い。


当たり前すぎるリアルを不測の事態で知る事となったのです。

姪っ子である私が腹を切り多少とはいえリスクを負う事を容認しても自らが
血を分けた姉の一大事に名乗りを上げてくれる事は今に至り無かったのです。


私が言うのも何ですがママ程、兄妹に惜しまず、尽くし見返りを求めない人は居ないと思います。

一生懸命働くだけ働いて、イザ旅行に行こう美味しいモノ食べに行こうと仕事を辞めて僅か数年で一気に末期腎不全となったママ。

ウチの身内は私も含め、みんなウチのママに、助けてもらった兄妹姉妹ばかりです。

でもドナーに、と手を挙げてくれる人は居なかった。

この呆れる程のリアルな兄妹らの、分かりやすい態度に私は決意しました。


絶対に生体腎移植だけは私の健康状態が理由で、不可能になることだけは避けなければと思うようになったのです。

私がドナーとなって母の人工透析から離脱させる。

これが当時の私の1番の目標になりました。

人工透析による副反応と命のカウントダウン


生きていくために必要な透析ではありますが、身体への負担も当然大きく
大半の糖尿病からの透析患者は、どんどん副反応が目に見える形で露わになっています。

副反応と言うのは端的に身体が弱ってくる状態で現れます。


・透析(4~5時間)の間に急激な低血圧で嘔吐。

・透析の負担に身体が耐えられなくなり起き上がれない

・以前は透析後食事も出来たが現在は不可能

・入浴も不可能

・目の緑内障が異様に進む(右目は失明)

・骨も脆くなる



透析後も、物凄く身体を痒がる、異様に頭皮や背中を痒がったりして掻きむしり血が出てしまうレベル。

これらの状況は月日事に悪化し、この1年に関しては体調は更に悪化。

現在では朝8時に開始して午後13時に終了する透析後、昼食を取った後動く事さえままならない状態です。

夕食も食べれず、入浴も出来ず、寝たきりのまま、起き上がれない状態この状況で何年も生きられるとは思えません。

親子間の腎移植は一番長く15年(子供から親の場合)だそうです。

私の大切な人の延命と考えるなら悪くない数字だと思い即決しました。


しかし頼れるものは自分と子供が上手く育てば子供くらいです。兄弟は他人の始まりですね( ;∀;)


その後のドナーの決定から手術まで1ヵ月前の微妙な私の心の変化を記事にしました↓


そして腎移植後です。無事生還しました↓


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