(U83) 【宇田川元一】なぜ、2 on 2を開発したのか? (2021.8.18) by 宇田川元一 より抜粋加筆しました。
⑴ 2 on 2のやり方は、すべてが私のオリジナルでない
①筆者は『他者と働く』を2019年に上梓したが、その後、少なからぬ読者から、対話の「準備」がとても難しく、観察も困難であるという感想をいただいた。
②これに対し、何かよい方法はないか、考える日々が続いた。
筆者の研究はナラティヴ・アプローチという、
対話を通じて新しいナラティヴ(解釈の枠組、生きている物語)がどのように構築されるのかに、一つの関心の軸がある。
③しかし本書ではもう一つの関心について、
より強調したいと思っている。
それは、以下。
「人と人が対話をする只中から、
新たなナラティヴが生まれること」
⑵ 前著『他者と働く』では、対話は自分から始められることを強調したため、あえて人との対話からナラティヴが生成することについては強調しなかった
しかし、そのために「一人で対話に挑まなければならない」、
と考える方が多いのだと気がついた。
↓
そうなると、どこから手をつけたらいいかわからないので、
余計に悩むことが少なくないと気づいた。
ここで問題なのは、以下ではないか。
「他者の声を、どのように取り入れるのかが難しい」
⑷ これについて、詳しく説明する。
自分では気づけないことを 他者は簡単に気がつく理由は以下。
【理由①】自分のナラティヴを脇に置く、
対話の準備段階が難しかったり、他者を観察することが難しかったりするとき、何が起きているのか。
自分のナラティヴ、言うなれば、以下ではないかと思う。
「自分の視点の偏りがあることを、
自分で受け入れることが難しい」
【理由②】以前、「組織長に対して、さんざん提案しているが、全然受け入れてもらえない」方がいた。
「組織長はどんなことを言ってくるのですか?」と聞くと、以下と言われたそうです。
「その提案を実施したら、顧客はどのくらい見込めるのか?
人員配置はどうするのか?」
そこで筆者は以下に話した。
「それは、顧客見込と人員配置見込をこちらである程度、
算段をつけてあげたら、提案を検討できるということではないですか?」
「そんなことは考えたこともなかった」と言っていた。
Ⓐこの方と同じようなことは、
さほど劇的な出来事でもないでしょう。
しかし、この出来事の後、なぜ他者だと指摘できるのに、
自分では気づけないのだろう、とじっくり考えてみた。
Ⓑ「自分では気づけないことを他者は簡単に気がつく」のはよくあるが、なぜかと言えば、以下だからです。
「自分とは別のナラティヴで、その出来事を解釈している」
自分なりに感情を棚卸しすることは意味のあることだが、
一方で、以下ができたら、対話のプロセス自体がより充実したものになるだろうと思った。
「棚卸し段階も含め、他者と一緒に取り組むこと」