90年代はどれだけレコード売っても海外のバンドに喜んでなんかもらえなかった話
今週は何気に楽しみに待っている人もBIG LOVE界隈では多いであろうこちらが発売です。
前回有料記事でフライングで出した帯のカラーから黒になりました。
印刷に出した後にコッチがいいってきたからまた帯代が倍以上になっちゃったよ。
高くなるよー
こちらのサイン入りアートプリント封入。
サインでバンド名書く人、初めてみたよ!
お、コレ最初に出たけどもちろんのことクレームで半日も持たず消されたオリジナルの MV。
この記事出す時には消えてるかもですけど。
このパリのライブ模様、超良いじゃん!
何か最近なかった理由なき反抗的青春がビシバシきております。
一応海外転売ヤー対策で日本語にしております。
このバンドはそんなにこないかなー
でも限定100枚は少し少なすぎたかも…
このようなBIG LOVEの日本特別盤を制作するとよく
「本人が凄く喜んでる」
とレーベルやマネージャーから連絡をもらえたりします。
とてもありがたいことなのですがだってそんなこと90年代はマジでありえませんでした。
渋谷にあったZESTというレコード店に学校の卒業式の日にバイトをし始めてから半年くらいでバイヤーみたいなことをさせてもらっていたのですが(その学校とは今もあるかどーか知らない服飾のバンタンでしたが卒業式に出なかった生徒は創立以来25年でおまえが初めてだと卒業証書を真夏の8月に取りに行った際に怒られた私は果たしてそれがどれくらい悪いことなのか果たしてそれは本当に悪いことであるのかと30年間ずっと考えていましたがこの度全然悪いことではないという結論に辿りつきました。おい、先生!おまえなに怒ってんだよ!)
で、22歳の時?途中お休みをいただき3〜4ヶ月くらいロンドンに住んだのですがせっかくなので買付けもやってました。
というかレコード買うしか趣味がなかったので、というか毎日レコード買う夢を見るくらいはレコードではなくレコード屋が好きだったので、人の金でレコード買えるなんて夢みたいです。
そうです、レコードではなくレコード屋、でも実はなくレコードを買うことが好きだったのです。
たぶん今もそう。
レコード・フェアも当時はNMEかMelody Makerかなにかの新聞の後ろの広告で探す感じで、カムデンの今のElectric Ballroomでやってたのからもっと小さな蚤の市みたいなものさらに日帰りでいけそうなブリストルとかくらいまでは毎週どこかでやってるのでロンドンのA to Z(地図みたいなもの)を片手に行ってました。
ある時、あれはどこだったかなー覚えてないけれどロンドンのまあまあ大きなフェアだった気がするのでその時は社長も日本から来ていたと思います。
2~300のセラーのテーブルが並んでる中、ふと目に入ったあるバイヤーの品揃えがムムム。
当時の私の趣味ぴったりではないか。
例えばポール・ウェラーがやっていたレーベルResponseの現在はパンク・シーンからの再評価されるDolly MixtureやもっとマイナーなTrixie's Big Red Motorbike
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サポート!とんでもない人だな!