フェスにはいかない東京トンガリキッズ
果たしてロッキングオンを読まなくなってもうどれくらいか。げっ、マジで30年(笑)。本当はまだアイドルに夢中なのにマイケル・ジャクソンからマドンナなどビルボードのヒット曲あたりの洋楽を聴きはじめ気取ってみせるのが1980年代の小学六年生。彼は雑誌『小学六年生』をお母さんに買ってもらう代わりにFMステーションを読み出しエアチェックを始めます。ちなみにエアチェックとは主にFMラジオの番組の予定表を確認しお目当ての曲がかかる時間に待機しラジオ・ジョッキーが『さ〜て次の曲はぁ…CM曲で大人気、イギリスからやってきた元気なボーイズ。そう、ローマン・ホリデーの"ドント・トライ・トゥ・ストップ・イット、おいらはハリキリ・ボ〜イ"!」と曲を紹介した瞬間におりゃあ!とラジカセの録音ボタンを押す行為のことを言います。
1983年。中学生になった彼はゲーセンには普通に命に関わる犯罪行為をしてくるヤンキーの先輩たちが沢山在住していますので本屋に行きます。本屋には万引きの用事がない限り先輩たちはいらっしゃいません。そして中1になった彼は少し小難しそうな雑誌を探し始めます。それは昭和の時代では性の目覚めと同時期に起こる現象でした。しかしいきなり小さい雑誌はハードルが高いので(サブカル度が高ければ高いほど予算が少ないので紙の面積を少なくするためA5など小さな判型でした)すこし大きくてビートルズもマドンナも載っているちょっとハードル低いロッキング・オンを購入します。それはエルビス・コステロというメガネをかけたイケてなさそうなおっさんがいつも絶賛されている雑誌でした。
彼が東京に出てきた1989年。その頃になると東京の輸入盤で新譜を探し求めるような人間にとってロッキング・オンは輸入レコード店などで流行った3ヶ月後にまるで自分が探してきたかのようにプッシュしはじめる雑誌という認識でした。しかし彼らが推せばそのバンドは人気となりそれはそれで彼のような輸入盤屋に通い詰める暴走しすぎた名古屋出身東京トンガリキッズにとって間接的に己の感性が世間様に認められたような気分になれる。実はとても大事な存在でした。
こんな昔話はどうでもいいんですけど。
ロッキングオンの人が書いてる上の記事の話が本題です。これから年末にかけての大型フェスのチケットが売れていない理由はロッキングオンの方が紹介しているように私もその通りだと思いました。
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サポート!とんでもない人だな!