2000年、僕らが渋谷から出た理由 その2
世間でも言われるように、そして私もちょくちょく言ってますが1999年にシーンが大きく変わりました。
渋谷系とその周辺を聴いていた多くの人達は宇多田ヒカルとドラゴン・アッシュの登場を境に
「もう無理しなくていいんだ」
と、少しだけ無理していた背伸びをやめて普通に戻りました。
さらにその供給者であったミュージシャンやアーティストやクリエイター、そして音楽業界の人達…たとえば雑誌の編集者やレコード会社などの中でも今で言うJ-POPでも80年代までのニュー・ミュージックと呼ばれる邦楽ではなくキバって結果渋谷系と呼ばれた音楽を推していた人達も普通になっていきました。
たぶん解放された感はあったと思います。
「これでええやん。こっちの方が簡単に売れるし。なんか楽や」
本当にものの見事に90年代の空気が急にどこかにいっちゃいました。
まるで地元にいるよう…
まではいかないですけど。
でもまだイケイケで東京で生きたかった私はイキがって正しくかかとを下ろし普通になっていく人達に向かいこれまで以上にふくろはぎがつるくらいにかかとをあげてもはや背伸びとは言わないのかもしれない不自然な格好で毒を吐きまくりました。
「わからない奴らはどこかいけ。この腰抜けブスどもめ」
みたいなことを言いまくり。
当時の私ならもっと言ったかも?笑
するとどーしたことでしょうか。
めちゃくちゃ怒られました。
ええー!信じられない。
これまでだったらみんな平気だったじゃん!
そうだそうだ言え言えって言ってたじゃん!
でもめちゃくちゃ怒ってるんです。
これまでのファンやリスナーや消費者たちが…
サポート!とんでもない人だな!