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仕事は遊び、遊びは仕事


昨日のマイルCSは見事ガチガチのグランアレグリアとシュネルマイスターで決まり有料記事部分で書いた「今朝起きたら今日はガチガチかもとか思い始めた。」が当たってしまいした。まあガチガチなのは誰でも予測できるので予想ではないですがそしてそんな私は前日当日の回収分全てを穴にブツけ盛大にハズしました。ありがとうございます。


競馬は遊びではありますが私にとっては仕事も遊びみたいなのもので、それは少し失礼な言い方かもですが、私は仕事にならない遊びをしません。仕事にならなかったのは20代後半なぜかハマったメダルゲームくらいで(思い返せばそれも競馬のメダルゲームでした)それでもあのメダルの感じ何かにできないかなーみたいなのは毎日考えてました。

服飾学校時代の1年19歳の夏。初めての夏の課題でシャツの制作がありシャツではなくジャケットとパンツと帽子を作り学年1位に選ばれました。だってみんなシャツ作ってるのにひとりセットアップの全身コーデです。そりゃ、勝つわな。まだミシンを買ったばかりだったので当時のガールフレンドに全部縫ってもらったのをクラスメートが「おまえは作ってない」と怒られましたが怒られる意味が全くわかりませんでした。デザインは代々木公園のフリーマーケットでなけなしの金で買ったヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラーレンのワールズエンドの初期に売っていたというジャケットからパターンを取りアレンジしたのですがクラスメートには「パクりじゃないか」と言われそれも全く意味がわかりませんでした。

それらがダメというならば服飾とはなんてつまらないものなのだろうとその夏以降服を作ることに興味が一切なくなり、学校以外のクラブやライブハウスで仲良くなった音楽とレコードの歳上の友人達とばかり遊ぶようになりました。とにかくその時なぜシャツではなく全身コーデにしたかと言えば生地代が勿体なかったので作った奴を売ろうと思ったからです。そして高校時代に入り浸っていたインディーズ・ブランドを取り扱っていた名古屋のショップにお願いし売ってもらうと結構良い値で売れそれをきっかけにインディーズ・ブランドも始め合同ショーもやらせてもらいました。20歳になる前に彼女とも別れ服は作らなくなり結局学校は代弁ばかりしてもらい服飾の技術は一切学ばず(亡くなったので言えますがお父さんごめんなさい)それは結局、服は自分の仕事にはならないと思ったからでした。

根がせこい人間だからか、その頃から趣味を趣味だけで終わらすのは損だと思っていました。瀧見憲司さんや小山田くんや小沢くんやカジくんが絡んでくれたため流通もしてないのに3000部も売れた20歳の頃に作ったZINEは、当時からZINEはユースカルチャーなので安くないといけないみたいな感じがあり確か300円で売って全く儲からなかったので途中でやめました。あれめちゃ大変だし好きでどーにか納得できるものではない。今なら600円で1000部売れと大人として助言してあげたい。

これらの話は以前から書いたりしていますが、例えば最近はあまりなくなりましたがフリーのZINEを店に置くことを断っているのも同じような理由です。少額であっても最初から稼げないとわかっているものはどんな良いものでも意味はありません。それどころか悪です。タダで良いものや安くて良いものは悪いことに利用されることは多々あります。あと稼ぐ気がそもそもない人が作るものって結局売れないんだよなあ。

レコード屋をやるのは簡単ですが稼いで続けることが出来てから初めてレコード屋をやっていると世間様に言えるとつくづく思います。新譜屋はビジネスモデルがめちゃくちゃだったのでこれまで正直大変で恥ずかしいものでしたが、まあ死にそうになりながらも20年やれてこれたのはみなさまに感謝しかありません。ありがとうございます。競馬の方も続けるつもりなので当てるではなく勝って稼がないと意味がないと思っています。お金お金な話ではありません。


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