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美徳シグナリングとノームコアと渋谷系(の詰め合わせ=まとめの回=つまり有料)


*有料でしたが現在は無料にしてます


前々回くらいに書いた美徳シグナリング。それ自体の意味などについて書かなかったにも関わらずお客様からよく反応をいただき、それは文化が言葉になることはとてもワクワクすることを知っている方が多いからだと想像します。

文化が言葉で表現されるようになった瞬間に色々な物事は突然動き出します。例えば音楽でもロック、ヘヴィ・メタルにジャズやソウルやディスコやテクノやヒップ・ホップなどのジャンルもそうですし、そしてロックでいえばハード・ロックやプログレやパンクやニュー・ウェイブ。もっと細かく言うと(細かくなっていった時の話や物事の方が大事です)'70年代後期から'80年代初頭に生まれたパンクからのポスト・パンクやインダストリアルやゴシック(ゴス)にネオ・アコースティック(これは日本人が作った言葉ですが)、さらにドイツのニューウェイブであったノイエ・ドイチェ・ヴェレ、さらにブルー・ロンドやヘアカット100などのファンクなギターバンドを指したファンカラティーナなど、まあこの辺まではなんとなくどんな音楽か雰囲気で感じられるのですが、しかしここからが大事です。

1986年、英国に登場していた新しいギター・バンドたちを集めたコンピレーション・カセット「C86」(のちにレコード化)は音楽雑誌NMEが企画し付録として付けられていました。そこには一世代前のポスト・パンクから影響を受けながらもヴェルベット・アンダーグラウンドやバーズなどそれまで大きな評価を得ていなかった1960年代のギター・バンドからの影響を公言し、さらにマス・フィールドへと向かったオレンジ・ジュースやアズテック・カメラなどの一世代前のバンドへの反発とそれから得た反省つまり教訓を経てからのカウンターとしてのポップ・メロディ、そして当時旋風を起こしていたMTVポップスやユーロビート・ディスコを逆手に取った偏屈で暴力的なビート、それらを奏でる新世代の英国のインディペンデントのバンドたちが多数収録されていました。そこからはエイジ・オブ・チャンスやファズボックスなどその後1年以内に特大のヒットを飛ばすも一発屋で終わったバンドや、プライマル・スクリームやウェディング・プレゼントにパステルズなど90年代にかけて人気を得ていったバンド、また個人的に大事だと思っていたのはスタンプやア・ウィットネスやボグシェドやビッグ・フレームなどロン・ジョンソン・レコードに所属していたワイヤーやギャング・オブ・フォーからの影響をよりストリート化したような変調ポスト・パンクなバンドたち、そしてクリエイション・レコードをマネて始めたのであろう家内制手工業的インディペンデント・レーベルであるSubway OrganizationやSarahそしてLa-Di-Da Productionsなどから登場したDIYギター・バンドたちの先駆者であるショップ・アシスタンツやマッカーシーやボディーンズ、マイティ・マイティにウルフハンズなど...とにかく当時この辺りのバンドの感覚が日本人にはほとんど伝わらなかったように思います。人間は自分が理解ができないものが登場した際に、自分が理解できないからこれはおかしいものだとバカにするような行為に向かうことが多々あります。結果「C86」は一部のオタクなギター・ポップ好きのためのと揶揄されるような言葉や名称やジャンルとなり、確かにそういった部分があるのも否めないですが、しかし日本人を中心に多くの人々が「C86」というものを正しく確認することを放棄したのは確かでした。実際に当時「C86」について書かれた記事はフールズメイトだけだったと記憶します。

ただ「C86」好きと公言する人種のほとんどは1990年代以降、特に日本では渋谷系ののちに登場した者ばかりであり、さらに本人たちもまるでリアルタイムに存在したかのようなそぶりを見せるので、結局全員が間違えた方向に向かいそれは修正不可能なものとなりました。自業自得ではあるし、もしかしたらその方が居心地の良い種類の人たちがいるのかもしれないですが、それはなんだか意味のわからないままそれっぽいジャケットやバンド名やレーベル、さらにレコードの裏ジャケに記載されているディストリビューター名を記憶し「だいたいここの流通はその手が多いからな」とその「だいたい」に何度も賭けイメージした音楽ではなかったレコードを度々購入しながらも「でもこれはこれで良い」と己を納得させ続けた結果ようやくそれらを理解するまでたどり着くことが出来た者。それはつまりわたし、仲真史にとても失礼であります。そんな僕以上に影響を与えた小出亜佐子さんを中心とした「英国音楽」の方々の方にもっと失礼です、と付け加えておきます。



普段ナツメロは紹介したくないのだけどここから有料なので。それが大事です。あと今回は話の雰囲気を出すために。エイジ・オブ・チャンスはこの後80'Sヒップホップな格好になっていって格好良かった。


こんな感じ。このプリンスのカヴァーが爆発的に売れて一瞬で消えていった。サイクリング・シャツが流行った時代で高校二年生の僕も着てたな。


この曲のヴィデオなんてあったのか!高校2年生の僕はこの曲でひとり家で暴れていた。ビッグ・フレーム解散後メンバーのアラン・ブラウンは2000年代に入ってサランドンというバンドを結成していて、このヴィデオの22年後に僕がやっていたレーベルでスプリットEPを出すという。人生って面白いな。ロン・ジョンソン系のバンドばかりじゃ偏りすぎなのでコチラ。


時代はすごいな、こんなヴィデオを見れるのか。おっさんたちがユーチューブだけ見てノスタルジーに浸る老後を送ってるのがよくわかる。もし僕がそうなったら是非撃ち殺して欲しい。僕は長生きしたいけど。彼女たちのレコードは90年代に中頃には若干入手しやすくなったけど、1980年代の田舎でショップ・アシスタンツのレコードを買えるなんて夢だった。


結局、その「C86」は未だ日本の音楽業界やリスナーに正しく理解されているとは思えないし、さっき出てきたのでついでに言うと「渋谷系」も大きく誤解され続けたもののひとつです。「渋谷系」とは本来渋谷だけで異常に売れていたバンドやアーティストを指していたもので、決して「渋谷系」ぽい音を指した名称ではありませんでした。事実、それっぽい下北系などのギターバンドがいても渋谷では一切見向きもされませんでしたし(僕らが良いと唯一思ったのはサニーディ・サービスの「東京」だけでした)当時バイトしていた渋谷のZESTに「フリッパーズ・ギターみたいに渋谷で支持されるバンドにしたいのです」とレコード会社の人が持ってきたミスチルのデビューアルバムのフライヤーを渡され「こりゃキッツー」と全員がその場で笑っていた時代です。まあ、彼らはあっという間に天下とりましたけど。

とにかく「渋谷系」は洋楽バイヤーであった自身の趣味趣向を捨てきれなかったHMV渋谷の太田浩さんが「聴いてみたら日本人なのにいいじゃん」と思ったCDを独断と偏見で勝手に店舗の一角で展開したことから始まります。それ以前も、今井美樹やドリカムなど当時歌謡曲だけどちょっとオシャレな感じのものは渋谷だけで特別に売れていたと思いますが、もっと無名、アンダーグラウンド、インディペンデント、それはフールズメイトのライターであった瀧見憲司さんが始めたレーベル、クルーエルや、TOKYO No.1 SOUL SETや下北沢ZOOから派生したLBやキミドリなどのヒップ・ホップ、そしてU.F.O.を筆頭としたジャズ、などなどそれは僕も知らなかったような日本の東京の90年代初頭に登場してきた新しいカルチャー・シーンでした。そして新しいが絶対でいつもその先を求め渋谷に集っていた若者たちは、HMV渋谷をすぐに発見し(実際、太田さんが始めて2,3ヶ月の話だと思います)ものすごい勢いでCDを買っていきました。

そんなある日、小山田くんがZESTにやってきて『これからは「渋谷系」呼ばれるムーブメントがくるらしいよ。俺とか小沢とかそうらしい。カジくんとかもそうだよ。何いってるの、仲くんだってそうだって。嫌だねー(笑)』とか言うので、だったら俺もオリーブに載っちゃうかな?とみんなでふざけながら帰ったのだけど(実際、その後わたしは2回くらいオリーブに取材を受け載ったのであった。スゴーイ...)それからたったの1ヶ月。とつぜん大量の女子高生がやってきて、それまで オタクしか来なかったマンションの一室だったZESTは渋谷発渋谷着渋谷系「満員電車」と呼ばれることになったのでした。

で、太田さん。いつもニコニコしていながらセレクトにはすごい厳しい人で、ある時ソニーの営業の美人さんがCDを持ってくると「ああ、そこ置いてって」と冷たくあしらっていたので「あんな美人の話なんで聞かないんですか」と僕が言うと「いつも持ってくるのつまんないのばっかでレコード会社にいながら全然わかってないからあんなのいいんだよ」とか言っていたのは、本当の意味でのバイヤーが存在し(力を与えられ)そして時代を作っていた証拠でもあります。しかし彼らがそんな存在でなくなったのは時代のせいだけではなく彼ら(と私)バイヤーたちのせいだとも思います。あと太田さんはポップなものだけじゃなく、ボアダムスや暴力温泉芸者とかもトラットリアというのもあるけど信じられないくらい売ってたし、メロコア以外のオルタナティブなパンク、ギターウルフとかニューキー・パイクスのZKやUG MANのかのシカコアとかもいち早く推してた記憶があります。



君は知らないと思うがここの最後あたりに私が一瞬発見できるぞ。隣にカジくんもいる。反対の隣はカヒミ・カリーかな?これは小山田くんが瀧見さん経由でみんなを集合させた。この頃は相当に人気になっていたと思うけど、小山田くんも小沢くんもライブが終わった後「みんなと帰る」と言って業界の人たちと打ち上げもせず一緒に電車で帰ってました。彼らはわがままだったとか色々な発言を今になってほじくり出し否定する人たちもいるけど、もちろん若さもあったと思う(だって19とか20だもの)。しかしその頃までの業界や業界人はとんでもなく威張っていたのです。レコード会社だって雑誌だってHMVやタワーな大型CD店だってみんな威張ってた。そして売れる前からそんな世界に対抗したのが彼らで、彼らの実行と影響力のおかげで業界は明らかに変わったと思います。じゃなかったら僕のレーベルも上手くいかなかったと思うし、DJだってそうだし。さらに僕よりもその後の人たちは彼らの革命に知らずと恩恵を受けていると思う。最後のライブだったらしいFM東京の公開録音の時も小沢くんと一緒に地下鉄乗って帰った記憶がある。そこまでブレてないなんて僕なら出来ないな。



なんの話をしていたのか。言葉の話でした。「渋谷系」と呼ばれることがよかった悪かったの話は別にして「渋谷系」と呼ばれることで大きなムーブメントになったのには違いなく、さらに経済や多くの人生にも影響を与えました。ただしかしその言葉や名称化したものをしっかりと理解しなければ、その後に悪い影響を与えます。その後の「アキバ系」などと違い「渋谷系」は若干わかりにくさがあり、それを理解するには若干のセンスが必要としました。そのため、前述のように多くの人たちに誤って伝わり続けました。

例えば2010年代の「ノームコア」もとても良い例です。ここ日本ではとくにに誤り続けたまま終わりました。恐ろしいことにインターネットで検索し出てくるその過去記事はほぼ全て誤った解釈にて紹介されています。正しく書かれているのはこのブログくらいだけじゃないでしょうか。それは偶然にもわたくし仲真史が書いたブログであります。すごい!

「ノームコア」を改めてそんな正しい私が説明すると、スティーブ・ジョブスを代表としたいわゆる親父ルックな服装=「ノーマル」な服装を当時の最新ファッションとして流用したもの、それはすなわち「コア」でなければ成り立せることが出来ません。つまり「センス」が必要です。しかし日本の業界では消費者に「センス」を求めたり促すことはこの20年していませんでした。その結果、業界そのものがその「センス」自体を重要視することはなくなりました。よって「ノームコア」は業界にとってとても厄介なものでした。消費者がちょうど良いと思うようなハードルの低い(もしくは突拍子もないもの)を提供し続けた彼らはしょうがないので「ノームコア」を消費者のレベルに下げて紹介しました。それは『もう普段着でええねん。ジャージでええねん。暑いからキャップでええねん。TシャツINでもええねん。スーパーで売ってる服でええねん。』といった歌謡レゲエラップ調な感じです。その結果、2010年代後半の原宿はスポーツキャップをただ被った浅田真央ちゃんみたいな女子や、『こりゃ楽やで』とウェストポーチをただ斜めがけする運動部の男子みたいな男子ばかりになりました。ああ、キャップの形とかウェストポーチのかける位置とか諸々細かくあったのにな...「ノームコア」なので「コア」がないとそれただの「ノーマル」です。それはとても普通でとてもダサいです。



例えばただでさえ大変なベラルーシのMolchat Domaは確かにTikTokでバズったけれど、これを聴いて少し前の人は「ミニマル・ウェーブね」と言うかもしれなし、もっと前の人は「レトロがウケてるのね」と今の自分レベル内でなんとか落とせるように努力することでしょう。しかしずっとレコードを買っていた人はそうは決して感じません。この音楽は全くもって新しいものです。そしてそれは「ノームコア」な時代を経て存在するものです。



日本は新しい言葉をないがしろにしすぎです。それは言葉に限らず新しいこと全体かもしれません。「C86」や「ノームコア」を正しく理解しようとしなかった日本人は、これまでもなんだか曖昧に中途半端に時代を過ごしてきたと思います。でも、それももう無理です。だってコロナです。だってそれって子供の頃に九九を覚えないのと一緒なのです。九九覚えないとその後の人生相当大変です。なのに日本はこの20年、ずっとそんな九九を覚えること(それは簡単なことなのに)を放棄して過ごしてきてました。でももう無理です。かつて発展途上国であったアジア諸国からさえも置いてきぼりです。

例えばここ数十年「センス」という言葉は難しく敬遠されてきましたが、もう本当に「センス」が大事です。センスは天性のものと思われがちですが、実はその逆だと僕は知ります。だってあれだけセンスが良いと時代がひれ伏した人たちなんて誰一人残っちゃいないもの。残っているのはそれを維持するために何をすべきか考え実行した人だけです。なのに業界は未だただ天性でセンスの良い雰囲気な者たちを現在進行形でちやほやします。でももうそれも終わりです。

よって、センスのない我々は日々精進しなければいけません。という話でした。以上です!



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