作り方がわからないまま創る料理・音楽[1週間無料公開中]
小学生の時、友達と「家の冷蔵庫にある食材を色々組み合わせてみる」という遊びをしていた。バニラアイスとタルタルソースの組み合わせは今思い出してもで吐きそうなくらい不味い。最悪だ。組み合わせは大事だと思う。
人間が快と感じる感覚は有限だと思っている。
人類の失敗と成功の歴史が脳みそとDNAに刻まれているはずだ。
子供の頃を思い出して...ふと思ったことがある。
飲食店の料理人が「料理の作り方をわからないまま、お客さんに食事を提供している」ということはあるのだろうか?
ミュージシャンが「音楽の作り方をわからないまま、リスナーに楽曲を提供している」ということはあるのだろうか?
実際の店舗を構えて飲食店を営み、金銭を受け取る料理人はプロなのか?アマチュアなのか?プロかアマチュアかはどうでもいいことなのか?
記事にしてみました。
昔、関東に行った時にお腹が空いて「何か食べたいな」と思い近くの商業施設に行って飲食店を探したことがありました。インターネットで調べずに、大きい商業施設だし「関東は人口が多く競争が激しいので美味しい店しか残らない※個人の偏見です」という誰かから聞いた言葉が頭の片隅にあったので、よさげな海鮮居酒屋に入った。
刺身を注文して、飲み物を注文して、お通しを受け取って。刺身がテーブルに着たので食べてみる。
「なんか、切り方デカイ。」
刺身の大きさとか、あまり気にしたことが無いんだけど感想がそれだった。
普段は食べたら
「マグロは美味しいな」
「サーモン美味しいな」
「光り物いっすよねえ」
美味しいという感想で満足して終わるんだけど。
感想が味じゃなかった。
まあ、体調が悪いのかな?と思ってお寿司を頼んでみた。
お寿司が到着した時にも「ネタ大きいな」という印象。
でもお腹が減っていたので食べてみた。
「味がしない」
「醤油の味しかしない」
「パサパサして食べ辛い」
なんだろう、これ。と思って。いろいろ考えてみたら。
お寿司のシャリが酢飯じゃなかった。
刺身の下に、白米がある状態だった。
その時「寿司って、酢飯の方が美味しいんだな」ということを知ることができた。
衝撃を受けた。マッズ!って。
すぐに帰りました。
この料理を作った人の「寿司」と自分の知っている「寿司」が違う。
人間って難しいよね。同じ言葉を使っていても認識が人によって違う。
概念を言葉で定義付けてお互い認識しようとしても、一致しないこともある。
コンビニの寿司とは一致してたんだけどなあ...
違うのはいい。
自分の「寿司」が良いわけでも、料理人さんの「寿司」が悪いわけでもない。
でも疑問に思ったことがある。
この料理人さんは
「料理が好きなのかな?」
「寿司好きなのかな?」
「自分で美味しいと思って実際に食べて作ってるのかな?」
「食べる人に喜んでもらおうと思って作ってるのかな?」
全部、そうでは無い気がした。
妄想というか決めつけになっちゃいますけど。
それらは一旦置いておいて、ひとつだけ。
「作り方わからないで作って無いかな?」
「料理の作り方をわからないまま、お客さんに食事を提供している」のではないか
調理師免許を取得するべき
弟子入りするべき
ということを言いたいのでは無いです。
家族に無料で実験料理を食べてもらうのでは無く、対価を得て他人に提供するのであれば「提供物」を知ってから作る必要があるんじゃないかなと自分は思います。※強制ではありません
「寿司」の歴史を学んで、本物の「寿司」を食べにいって、自分の「寿司」と比べて差異を知って近づけていく。その上で「これなら人に出していいレベルかな?」「多分まだまだだけど、毎日試行錯誤して近づけていく」という気持ちで「寿司」と向き合っていく。
コストが掛からずに調べられるインターネットもあるし。他の寿司屋さん(昔の寿司屋さん)はどんな寿司出してるかな?とか。
「こんなもんでしょ」
「他のとか、プロとか、知らんけど」
「うち人気あるんで」
「寿司業界とか、歴史とか知らんけど」
みたいな気持ちで提供することがなければ、提供側と受給側お互いにとって不幸なことにならないんじゃないかなと思ってます。
「自然淘汰・生存バイアス」
こういうことを論じると「そういうお店は自然とお客が来なくなって淘汰されて無くなるからほうっておいていい」「プロだけじゃなくてアマチュアも自由に作っていいはずだ!」「表現の自由、人権を侵害している!」「歴史ばかり参照すると独創性・オリジナリティが無くなる!」という声がチラホラ聞こえてきます。
私も淘汰はすると思います。人に必要とされたモノが残ると思います。
ただ、そのお店は1年くらいは潰れません。
仮に6ヶ月でも続いて、お寿司をよく食べる人ではなく
「私、お寿司はじめて食べるー」
「久しぶりに寿司食べようか」
「苦手だけど今日は、寿司食べてみようかな」
という人がたまたまお店に来た場合。
「寿司って....美味しくない」
「やっぱ、寿司は苦手だわ」
「あ、寿司ってこういう味なんだ」
「寿司」が嫌いになってしまう。
「寿司」をそういう味だと認識してしまう。
寿司に魅せられ、味や作り方、楽しみ方を脈々と受け継ぎ残してきた人達の「寿司」の文化や歴史が毀損されてしまうと思うのです。寿司職人に限らず、寿司好きでもそういった気持ちを持って積み上げて来た歴史があると思います。無くなってしまうのは勿体無い。
「表記が欲しい」
ここまでの主張はアマチュアは作っていけない、技術的に達していない人が作ってはいけないという話ではありません。ルールまではいかなくても、「表記」は作りませんか?という提案になっております。
お店の前やメニュー表に「私はこの料理の作り方はわかっていません、でも好みの味かも知れないので食べてみてください」「この料理は100点中40点くらいの自信があります」「今練習中で、いつか美味しくなる予定です」とか表記してくれれば良いのになあと思います。
そうなれば自分の口に合わなかった場合も、美味しくなかった場合も「他の美味しい寿司」ってあるんだろうなという余地ができる。
全ての人が「あのお店って美味しく無いよね、もう行かないでおくか」って違う機会を設けてくれるのなら問題ないのですが「寿司って美味しくないよね、苦手だから食べないでおくわ」となる可能性があります。
偽物を本物だと思ってしまう。多くの人にとって本物がわからなくなる。それは不幸なことだと思っています。もしかして酢飯じゃない大きいネタの寿司を作った料理人さんも、酢飯じゃない大きいネタの寿司を最初に食べてそれしか知らないのかもしれない。
「値段とサービスの一致」
また値段とサービスで自分に必要かどうかの価値を決める人が多いと思うので「他の店と同じ700円で提供していますが、他の店の700円とは違う満足感を得る可能性があります。値段はサービスと一致しません」という表記があれば買わないかも知れない。
長かったですね。寿司の話。
これ寿司の話もそうなんですが、寿司を音楽に替えても同じだと思うんです。
・作曲の仕方がわからないで作った音楽を市場に並べる。
・編曲の仕方がわからないで作って音楽を売る。
・コンプレッサーの使い方がわからないまま作った作品に値段をつける。
・リバーブがわからないまま、EQがわからないまま.....
・専門家にMIX、マスタリングを依頼しないで作ったまま...
その「作り方がわからない人が作った音楽」を「音楽」だと思っているリスナーが沢山いて。
「作り方がわからない人が作った音楽」を聞いて育って、その音を目指して「作り方がわからない人が作った音楽」が市場に溢れている。
「作り方がわからないまま作った音楽」ですという表記も無いまま。
メジャーレーベルに所属しなくとも、自力で音楽を発信するアーティストは増えている。
ネットとテクノロジーの進化で以前よりプロとアマチュアの境界線は曖昧になっている。
良い時代になりました。
でもそれが「作り方がわからないまま作った音楽」が増えていい理由にはならない。
・ベッドルームで作られた音楽がグラミーを受賞する[Billie Eilish]
・ネット上に楽曲をアップ後20万回以上されグラミーを獲る[Chance The Rapper]
そういったアーティストの作品もスタジオに所属しているRob Kinelski,Elton Chuengがミックスを手がけている。
最初は「作り方がわからない人が作った音楽」だったとしてもどこかで専門家やスキルアップを欠かさないエンジニアが「作り方をわかっている人が音楽」にしてリスナーに届けているのだ。
ているのだ。
偉そうな締めになっていますが何が言いたいのかというと
音楽を聞いた人が「音楽って聞いてたら耳痛くなるよね」「音楽って楽しくないよね」「私の方が歌上手だから聞く必要ないっていうか」「音楽ってこんなもんでしょ」そう思って離れて行く人が増えないようにしたいという話でした。
-終-
この記事は77億分の1の意見でしかなく、読んだ人に考え方を強制したり啓蒙する意図はありません。自分と違う立場の方や、違う意見の方を否定するわけでは無い、ひとつの意見として読んで頂き「ああ、こう思う人もいるんだなぁ...自分は違うけど」というようなライトな気持ちで読んでいただけたら幸いです。
ただ誰も傷つかない、全ての方向に配慮した文章では自分が書く意味が無いと思うので尖った内容に嫌な思いをする人がいるかもしれません。そのような気持ちになりたくない方はここでページを閉じていただけたら助かります。
ここに書いていない内容の文章を読み取り、歪曲して取り上げたりすることは控えていただけたら......