エッセイ132.おうちでロスト・イン・トランスレーション(5)ト・トランポリ〜ン
昨日の続きです。
日本人に対する英会話学習法には、有名な聞き流しメソッドや、ヒアリングレンジを鍛える方法などいろいろありますが、私がちょっとそそられるのは、性格を改善して、ひるまないようになり、抵抗なく口から英語が出るようにすればいいというものです。
恥ずかしがっているからだめなんだ!
という、あれです。
その理由は、自分の極端な内弁慶気質により、
安心して間違えられる場所だと平気で話すのに、
そうでないと人見知りをしてしまって、最初の一言が出ないか、
夫がいて、逃げられる場合はすぐに逃げる
という時期があったためです。
歳をとって図々しくなったら、そういうことが減っていったのでした。
今では全然平気です。
大学卒業したてで虎ノ門で会社員をしていたときは、アメリカ大使館のすぐそばに勤務先があったため、地図を広げて困りながら歩いている外国人によく会いました。そう言う人は、きょろきょろしていて、誰に訊こうかな、という感じを出しています。私などは、見る即、横丁に折れて逃げました。
高校や大学の外国人の先生とは結構喋っていたし、英語をもっと話したいという気持ちは満々だったのですが、いざとなると恥ずかしくてだめなのでした。
まさかその自分が日本語教師になり、旦那がキウイで、親戚もキウイ、仕事相手も全員外国人(当たり前)・・ということになるとは、当時は知るよしもなかったのです。
その、咄嗟に英語が出なかった、初期のころの思い出話です。
子供たちが2歳と4歳ぐらいだった頃のNZ帰省でのことでした。
訪ねていく親戚や友人宅に、トランポリンがあることが多かったです。
子供たちは、喜んでトランポリンで遊び、大好きになりました。
家族で揃って帰省ができていた頃は、3週間ほどの帰省期間内で、2泊三日ぐらいの小旅行を1、2度するのが常になっていましたが、そんなときに泊まるのはモーテルです。
NZのモーテルは、アメリカ映画でよく見るような怪しげなものは少ないようで、設備の整った、割と安い宿泊施設です。
たいてい、部屋の前に車を停めます。アルミサッシの引き戸を開けるとリビングエリア、奥にキッチンとシャワー、ちょっと値段を出すとスパなどがついていたり、入ると2階があり、寝室がそっちであったりもします。チェックインすると、小さなパックの牛乳を紅茶用に渡されます。キッチンが大好きな私は、塩胡椒、よし! 電子レンジよし! オーブン・・・無しか。 え〜食器は・・と、いつも全く変わらない内容なのに、1番にチェックします。
一時期、子供たちの希望により、泊まるところにはトランポリンがついていなければならないというときがありました。
その年、ロトルアという湯煙の里に小旅行で向かっていて、当時はスマホではなくて、ロードマップとガイドブックを見ながら移動しておりました。
携帯は、二つ折りを広げてから、アンテナを つつーと立てるやつ。
お母ちゃん、泊まるところはトランポリンなくちゃだめだよ!
そうらよ、らめらよ〜(次女2歳、まことちゃんか)
車の中からうるさいうるさい。
夫が運転しながら、
tamadocaくん、君、携帯でトランポリンのあるモーテル探してね
と言います。
えっ、電話するの? 私が? 嫌だよ!
「だって僕は運転してるからできないです」
いやいや、そこらへんに停めて、あなたが電話しようよ。
「また何を言ってるんですか。そうやって逃げているから、
いつまでもそうなんでしょう。さあ、やってみよう!」
娘たちも、
お母ちゃん、電話して〜
おかあたん、電話電話、電話ちて〜
と、うるさい。
ええい、しかたない、電話するか。
パコ! と携帯を伸ばし、要らないだろうけどアンテナも伸ばし、
電話をすると、殺生にもすぐ繋がって、呼び出し音が鳴り始めます。
ハロー・・
と誰かが電話に出たら、長女が
お母ちゃんがんばって!
とか言ったので、か〜っと上がってしまい、言葉が出なくなりました。
ハロー?
おかあたん、ばんばれ〜
(ううう・・・🙉)
ハロー?
ハロー?
カナイヘウプユ〜? Can I help you?
え〜と・・・
やばい私、不審者です。仕方がない、やっと口を開きました。
あーゆー・・・・モーテール?
だって!
ひどいひどすぎる、が、本当にそう言ってしまいました。
車内の家族がどっと笑いました。
いやいや私でも笑います。
もうこうなったら後へは引けぬ。
あー・・・あー・・・
ドゥーユー、バイエニーチャンス、ハブゥ・・
トットランポリ〜ン?
これだけやっとの思いで絞り出しました。
また家族が笑う笑う。
by any chanceって、〜たりしますか? ですね。
こんなことも言えるのに!
メンタルが・・。
Sure, we have trampoline.
ありますよと
言うことだったので、しどろもどろに名前と到着時間を告げました。
電話を切ってから
「やだもう! 私もう、一生電話しないから!」
とか言ったような気がします。
あれから幾星霜。
だいぶ修行が積めました。
とうとう、何も考えずに2カ国語間を行ったり来たりできるバイリンガルにはなりませんでしたが、仕事で使う分には不自由しませんので、この辺でよしとさせていただきます。
若い頃はまだ恥じらいがあったというお話でした。
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