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日本語教師日記127.さよなら教室ありがとう(2)着付けを習う

私は下町の長屋育ちです。

独身時代も結婚したあとも、自分の部屋を持ったことがありませんでした。
ですので、初めてワンルームアパートを借りることになり、
水回りが別・8畳がまるっと自分のもの、ということになって、
本当に嬉しかったです。

家具は、本箱とテーブル、椅子に限ろうと思っていましたが、
数ヶ月後にこれだけはと思って入れたのが、

四段の着物収納の桐箱(キャスター付き)でした。
トップ写真にも、写っています。
買ったのは、だんだんに着物が好きになって、
いただいたり、リサイクルきものを手に入れるようになったからです。

そうなったのは、何も知らなかった私に、いろいろ着物のことで導いてくれた着物の先達がいました。
その人の提案で二人、この教室に着こなしの先生に来ていただいて、
月に一度 着付けを習うチャンスがありました。
知らないことだらけでとても面白く、はまりました。

先生の「着こなしクラス」が始まるにあたり、それまで私が持っていなかった姿見を 先生が車で持ってきて貸してくれました。

何度か、グループで習う機会もあったのですが、いつも自分が一番の初心者で、申し訳なくてあまり質問ができなかったところ、たった二人のセミプライベートレッスンですから、遠慮なく幼稚な質問をすることができました。
特に苦手だったのが、帯締めと帯揚げで、これはしばらく着物を着ていませんので、またもとの下手っぴに戻ってしまって、残念です。

先生は、チャキチャキの下町娘のような方で、私がもたもたしている部分を、なぜそうなってしまうのか、どうすれば解決できるのかを手取り足取り教えてくださいました。
月に一度のお稽古でも、自分の勘違いがなおっていく実感がすごくありました。

姉弟子の着物美人は、とてもおっとりとした人。

ああ〜・・・・・そうなん・・・
なるほど、そうなんや〜

と言いながら、いつも楽しそうに頷いていました。

この人はもう、全く習う必要がない着物上手なのですが、さらに上級の着こなしを目指して、私と一緒に1年間も習ってくれました。
毎月遠くから車で来てくれて、帰りには我が家から近い大学で、お嬢さんを拾って帰られたりしていました。

あの1年間がなければ、私はゆかたをなんとか、体から落ちないぐらいに着ているだけというところに留まっていたと思います。

いつまでも続けたかった着こなしレッスンですが、やがてときがきて、終了しました。けれど、あのときのお喋りや、先生のご指導から少しずつわかったことはそのあとも大いに役立ちましたし、先生にはまた別のお教室で習い続けることもできました。

長女がニュージーランドで振袖の前撮りをしたいと言い出したときも、先生に特訓を受けて、なんとか着せることができました。

娘たちの卒業式に自分も色無地を着たり、成人式の振袖、卒業式の袴も着せて、楽しかった子育て時代の最後の方を飾れたのも、このお二人のおかげだと思っています。

たまに着物や小物の整理をすると、お二人が勧めてくれて買ったものがたくさん出てきます。懐かしい〜、なんて遠い目をしていないで、これからは自由時間も増えましたから、着物も浴衣もせっせと着ようと思いました。今までの二年半は、コロナでそんな気分になれませんでしたから。

お二人とは、郡上おどりの徹夜おどりで、今年も一緒に踊れることと、
今から楽しみにしています。

本当にいろんなことのあった、小さな私の教室。
玄関を出ると、目の前に、カーテンのない空室となっています。
もう入れません。
切ないです。


もうちょっと続きますね。

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