エッセイ166.私に近い六人の他人(11)志村けんまで二次の隔たり、しかもダブル
この前「私に近い六人の他人」で書いたのはだいぶ前になります。
Six degree of separation というのは、「スモールワールド理論」と言って、
世界中の人は、知り合いの知り合い、その知り合い・・と辿っていくと、だいぶいろんな人と繋がってしまう、ということだそうです。
「私に近い六人の他人」という映画を見て、この考えを知りました。
私は仕事がほぼ、欧米の人相手で、旦那も親戚もそうなので、
普通の人よりも繋がりやすい傾向はありますが、今回は志村けんさん。
間にたった一人を挟んで、二次の隔たり、しかも二件です。
私は普段はずるをして、私の直接の知り合い(の知り合い・・)が、
「その人」を見ただけ、その場にいただけでも、このカテに入れています。
ですが、今回はそうではありません。
お話ししましょう。
一人は、日本語学校時代の同僚で、家が、番地が違うだけの同じ町内の人。
詳しく言うと、世田谷区北烏山、中央道の真下に近いところに私は住んでいたのですが、その時代の話。
アパートから歩いて10分ぐらいのところに、スーパーがありました。
何度も別会社に買われ、今はたしか、サエキ・・・食品館さえきと言うと思うのですが、昔は大丸ピーコック北烏山店。
私のこの同僚が、そこへ買い物に行った時、志村けんさんが、当時つきあっていた、石野陽子さんと一緒に買い物をなさっていたそうです。
(当時、三鷹に建てた志村さん宅で一緒に暮らしておられたそうで、
ピーコックは三鷹市直近ですね)
これには興奮しました!
私も張り込みをしようかと思うぐらいワクワクしました。
(そっか〜、やっぱりつきあっていたのね?)
とも、思いました。
この近さをご覧ください。
店名は出ていませんが、この赤いマークのところです。
中央道間近のかつての我が家から、徒歩8分だそうです。
さて 私の夫は、日本に住んで30年以上ですが、
最初の5年間ぐらいは、新宿でホームステイをしていました。
彼は ジェットプログラムを使って、都立工芸高校(飯田橋)の英語アシスタントティーチャーとして働き、日本語は最初の2年は習っていませんでした。
最初の頃言えたのは、
Sugo〜i!
だけで、新宿区の無料の日本語クラスでは、すでによく日本語が話せるアジア系の人ばかりだったので、あえなくドロップアウトしました。
そんな彼が、日本語と、日本の文物・カルチャーを学んだのが、志村けんさんのテレビ番組からだったそうです。
日本のおじさんとは、サラリーマンとは。
日本でありがちな夫婦関係とは。
日本の伝統的な家と、モダンリビングが、
違っているようで実はそう、違っていないこと。
家の中で履くスリッパのこと。
その他、本当にいろいろ学べたとか。
何も知らない彼の頭に、志村けんさんを通じて、
ぐんぐんいろんなことが染み込んできたそうです。
2年の英語教師生活から、日本のサラリーマンになり、
アフター5の飲みや接待(する方もされる方も)と経験していくにつれ、
志村けんさんから学んだことが大変役だったと申しております。
志村さんのコントの一つで、夫が大好きなものがあります。
酔っ払ったサラリーマンの志村さんが、団地の部屋に帰ってきます。
独り言を言いながら水を飲み、
ラップをかけてダイニングテーブルに置いてある夕食を食べながら、
さらに冷蔵庫からビールを出して飲みます。
酔っ払いの独り言が、たまらなくおかしかったそうですが、
最後に彼が、寝室のベッドに潜り込みます。
すると奥さん?が叫びます。
「きゃ〜!あなた誰〜! 誰か来て〜!」(石野陽子さん)
・・・・自分のうちだと思って、いつものルーティンを全く疑うことなくやっていたサラリーマン氏でしたが、これ、他人の家でした!
と言うオチなんですが、旦那が、拳を握って今も力説するのです。
「ニュージーランドでは、これはありません。
まず、超高級なものを除いて、高層のアパートがあまりありません。
つまり、上下左右ずらーっと他人に囲まれ、他人と接するライフスタイルが、
我々キウイにはないのです。
ですのでこれは、団地やマンションが建ち並ぶ日本の大都市でしか起こり得ないコメディですし、外人も、日本の暮らしを知らなければ、ピンとこないでしょう」
その旦那が、あまりにも志村けんさんが好きなもので、ホームステイのファミリーが応募ハガキ(当時は往復はがき?)を書いて、めでたく当選し、彼はある日、志村さんの番組のライブを見に行けることになりました。
番組の最後で、志村けんと、当時ずっと一緒に仕事をしていたラッツ&スターのクワマンと、マーシーさん、・・・でしたっけ、その3人が、観客に語りかけます。
最後に、「変なおじさんTシャツ」のプレゼントタイムがありました。
じゃあ、一番若い人、手をあげて〜、
そこのあなた? 何歳? あっ、若いわこれは。
じゃあTシャツ、あのひとに持ってってあげて〜!
というふうに志村さんが言い、該当者が次々にTシャツをもらっていきます。
最後に、
じゃあ、最後のTシャツ、誰にあげちゃおうかなぁ、
そうだなぁ〜・・・え〜、会場で一番遠くから来た人。
自分が一番遠くから来た人だと思う人は手をあげ〜
はいその君、どこ? 青森、遠いなぁ〜、他には?
はいあなた、え? 沖縄、どっちが遠いんだろう。
そこで、ホームステイファミリーの人に「いけいけ!」と言われた夫、
あまり日本語わからなかったのですが、手をあげました。
おおっ!
なんか外人さんがいるな。
ユーは〜、どこから来たの?
「にゅ〜ずぃ〜らんど!」
えっ?
「にゅ〜ずぃ〜らんど!」
ニュージーランド? ニュージーランドかい!
そりゃ遠い、誰もかなわないわ。
マーシー、あの人にTシャツ.持ってってやって!
ということになったそうです。
どうしてここまで知っているかというと、そのときの放映をビデオ録画して、
Tシャツと共に家宝になっているからです。
「志村けんとともに、僕の日本のある時代が・・・終わった・・」
コロナで志村けんさんが亡くなった時、夫はそう呟き、意気消沈しておりました。
ところで余談ですが・・
娘らが小さくて、映像はVCR、ビデオで見るのが標準だった頃の話です。
長女:だいも〜ん(夫のブログ上の仮名です)、
つぎ、なにみる? しむらけん?
次女:ちむらけん?
夫:いいよ。箱の中にあるよ、しむらけん、て書いてあるよ。
ひらがなの読めるようになっていた長女、ゴソゴソやっていて、
あった〜、し・む・ら・・・かん? えっ?
私:え、見せてみな。あっ、「しむらかん」って書いてある!
腹を抱えて笑いました。
日本に来て合気道と書道をずっとやっていた夫、
ビデオのラベルに筆で立派に揮毫(きごう)したのですが、
一文字間違えて、惜しかった!
というのが、いまだにときどき思い出す一つ話です。
志村さん、愚昧なおじいさん政治のおかげで、
私たちはいまだにコロナに苦しんでいます。
志村さんの死は非常に惜しく、残念でなりませんが、
ある一定数の人に、コロナに対する心構えを植え付けました。
私もその一人です。
たくさんの笑いをありがとうございます。
どうぞ安らかに・・・
ちなみに私が大好きなのは、芸者コントです!
「わたしゃあんたのためを思って言って・ん・の・よ! 」
です。
最高ではないでしょうか。
サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。