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エッセイ179.電車に何を忘れたか(下)

忘れ物の思い出です。

今回は電車ではなくて電車に乗る前の話です。
帰省がまだ楽しみだった頃は、帰りにはつい、お土産を買っていました。
子供たちもまだ中学生で、自分で遠征に飛び回ることもなく、親の買ってきたお土産に対して、

わーい、また買ってきてね!

などと、可愛かった時代。

新横浜の新幹線の改札を、キャリーケースをガラガラと引っ張って抜けた私は、ストラップケースに入れたiPadケースを斜めがけにしていました。右手には自動改札から出てきた硬い紙の切符、その肘には「ごまたまご」と「東京ばな奈」。別々の店で買ったので小さな袋二つです。

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改札を出てふと、左手の売店の「崎陽軒のシウマイ弁当」が目に入りました。いろんな種類のある中で、一番オーソドックスな、「シウマイ弁当」が急に食べたくなって、両手が塞がった状態でお店に入っていきました。あの昔ながらの経木きょうぎの容器が、湯気で少し波々とし、被せた紙にからげてあるのは多分、竹から作った細紐あるいは紙紐。あの値段860円に対して、充実のおかず群。日本一美味しいお弁当だと思っていますので、崎陽軒さんが作らなくなったら泣きます。


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無事にお弁当と缶ビールを買い、そのままホームに上がればよかったのに、ふと、右手の綺麗なトイレに心を惹かれ、入っていきました。

こんなに持っていると、私は何か忘れるから・・

と頭の中で独り言を言い、新幹線の切符をポケットに入れ、キャリーケースを、扉がつっかえますので、よいしょよいしょと個室の隅に格納。個室の奥には幅の広い平らなスペースがあったので、ごまたまご、東京ばな奈、お弁当とビールの袋を置きました。出る時にも、一つ一つ確認して手に持ち、ホームに上がり、ほどなく滑り込んできた新幹線に乗り込みました。始発ではないですから、座席に落ち着いた私の耳にはすぐに、ぷるるるるる・・・という発車の合図の音が聞こえてきました。

その途端私は小さく、

あ。

と言って腰を浮かしました。
キャリーケースを個室に置き忘れてきてしまったのに気付いたのです。

あ。とは言いましたが、とたんに、ドアの閉まるときの「しゅー」という音が聞こえ、新幹線は「ごとん」と巨体を一度揺すぶってから、滑らかに新横浜駅のホームを滑り出しました。

頭の中で、(まじですか自分)と呟いてシートに腰を落とすと、窓側の席に座っていた感じのいい男性が、

「ホームに何か忘れてきちゃったんですか」

と訊いてくれました。

力なく、「はい」と答えると、その人は、

「すぐに車掌さんに言ったらいいですよ」

と言ってくれたのでした。

立ち上がってドアに向かって歩き出すと、ドアが開いて女性の車掌さんが歩いてきましたので、事情を説明しました。

お待ちくださいと言ってドアから出て行って、またすぐ戻ってきた車掌さんが、

「確かに、黒と白のストライプのキャリーケースが個室にありました。確保しました」

と教えてくれました。

私は、

もしかして、それを、次か、次の次の新幹線に乗せてくださり、
名古屋駅で下ろしていただくことはできないでしょうか。

と、恥ずかしかったけれども訊いてみましたが、それはできないのだそうです。

これがいつも乗る品川や東京であったなら、すぐに次で降りて取りに行くところ、新横浜の次は名古屋です。車掌さんの指示に従い、受取人払いの宅配便で自宅に送っていただくようお願いして席に戻りました。


「忘れたのですか?」と訊いてくれた方には、大きなキャリーケースを忘れたとは言えませんでしたが、ありがとうございました、お騒がせしましたとご挨拶をし、ここでお弁当をおもむろに開くのも多少抵抗があったのですが、一つでも袋は減らした方が安全です。シウマイ弁当は、落胆した私にもとても美味しかったですが、ホタテ入りのしうまいの美味しそうな匂いが、いつもよりも強くあたりに漂っているような、自意識過剰に襲われました。

その時の車掌さんとの会話で得た情報をお話しします。

・新幹線は、眠っていて乗り越して、次で降りて戻ってきても、もちろん新幹線代はかかる。
・忘れ物を取りに帰っても、その分の新幹線代はもちろんかかる。
・ビジネスマンのお客さんでよくあるのが、大事な資料の入ったパソコンを忘れることで、そのみなさんは例外なく、すぐに取って返してパソコンを取り戻す。

なるほど勉強になりました。

私は以降、荷物はなるべく一つにまとめる習慣がつきました。
今よく使うのは、大きめのバックパックにキャスターがついているものです。
中は仕切りのない一つの容れ物のような形で、ファスナーを開けるととりあえずそこのスペースに、増えていった小さい荷物などを次々放り込めるようになっています。これになってから、物をそこに残して去ってしまうということが、まあまあなくなりました。

コロナ直前のある時期の暫く、友達の見舞いで毎週京都に行っていたことがあるのですが、なんでもポンポン放り込めるのがとても楽で、以来ずっと愛用しています。

お見せしますね。


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これを引っ張って、気楽に近場の一泊旅行などできる日を心待ちにしています。

日本、特に東京などのオミクロン株の席巻せっけんは恐ろしいものがあります。
暮らしていかないわけにはいきません、パンデミックが始まった頃の、まじめな手洗い・消毒を思い出し、みんなでがんばりましょう。
マスクに抵抗のない国民性で本当に良かったと思います。


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ガラパゴス諸島から来た日本語教師 tamadoca
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