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エッセイ536.家庭内のあれ(駄)−1.トイレットペーパー

朝はどこから🎵

朝はどこから 来るかしら
あの空越えて 雲越えて
光の国から 来るかしら
いえいえ そうではありませぬ
それは 希望の家庭から
朝が来る来る 朝が来る
「おはよう」「おはよう」

昼はどこから 来るかしら
あの山越えて 野を越えて
ねんねの里から 来るかしら
いえいえ そうではありませぬ
それは 働く家庭から
昼が来る来る 昼が来る
「今日は」「今日は」

夜はどこから 来るかしら
あの星越えて 月越えて
お伽(とぎ)の国から 来るかしら
いえいえ そうではありませぬ
それは 楽しい家庭から
夜が来る来る 夜が来る
「今晩は」「今晩は」


こんな歌が昔ありました。
田舎の祖父母の家で、祖父母といとこたちと歌った覚えがあります。
覚えていたのは一番の歌詞だけだったのですが、今回初めてネット検索をして、二番と三番の歌詞を知りました。
よかったです。

この歌は、ファンタジーで始まってすぐ、
「いえいえそうではありませぬ」と続き、
全ては家庭の力で成り立っているのだと知らせてきます。
歌っていても、
(あちゃあ・・)
と思った覚えがあります。


その家庭ですが、「家庭内」と言ってみると、
今度はなんとなく、ただならぬ感じが出てきます。

家庭内離婚。
できれば、そんなことにならないように努めたい。

家庭内暴力。
弱い子供や女性に向けられる卑怯なもの。

良いものもあります。
例えば、「家庭内生ごみ処理」は良い方の家庭内です。
我が家ではトートバッグ型容器でゴミの堆肥化をやっていて、
「燃やせるゴミ」の日に出ていくゴミは、アボカドの種と皮、玉ねぎの皮、卵の殻、バナナの皮の一番固いとこぐらいですので、Sサイズの袋1つで足ります。

他に、あまり一般に知られていませんが、「家庭内・全くもう!」
というのがあります。
いちいち加害者を追い詰めるほどではありませんが、
なんとなく毎度、「全くもう!」と言いたくなるようなことをそう呼びます。

いくつか例をあげましょう。

1. 終わりそうなトイレットペーパーに、全くもう!
カラカラと引き出していて、あらっと声が出る。
そう、全然足りない量がトイレットペーパーの芯に2回りぐらい巻きついていて、短か過ぎるペーパーが手に残っているという仕儀になります。

トイレ内に予備のトイレットペーパーがあったり、
トイレットペーパーホールダーが二個装着型だったり(うちはそれ)
トイレットペーパーの下に、もう一本を下げるケースがついている場合は、
なんとかなりそう、まだまだ安全ですね。
そうでないと、ときにはただならぬことが起こってしまいます。
十分な注意が必要です。

私は、自分がトイレットペーパーを適量手に入れたあと、
(おお、あと18cmぐらいしか残りがない)
と思えば、その現行のトイレットペーパーを取り外し、新しいトイレットペーパを取り出し、最初の部分を手で探って見つけて剥がしてから、トイレットペーパーホールダーに着けます。

つまり、次の人が

カラカラカ・・
やや、もう終わってしまった。
ちっ、新しいのはどこだ。
そこか。
めんどくさいな!

と思いながら新しいのを取り付ける手間を、省いてあげたい、省くべきだ、
と思っているのです。

マザーテレサやガンジーなら、これをいつもやっています。
聞いたわけではないが、きっとそうなのです。
二人の偉いところは、自分が

カラカラカ・・・あらもうない。

ということになっても、怒ったりしません。
優しく微笑んで、自分で新しいのに取り替えると思います。

でも私は平凡な、心の狭い女。

夫ぉ〜😩
もうすぐなくなるのだから、新しいのにしてくださいよ!

と毎回思います。

そう思う頻度は、娘たちが一緒にいた時代よりずっと減りました。
それはよかったです。

続きます。



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ガラパゴス諸島から来た日本語教師 tamadoca
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