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エッセイ380.ケイの息子の連れ合いも、26歳で(1)

昨年亡くなったケイの思い出話をしていて、ケイも、その息子も孫も、26歳で渡航していたのがわかって、へー・・・・と言っていたら、息子のつれ(私)も、渡航ではないのですが、ターニングポイントを迎えたのが26歳だったのに気が付きました。

私の行ったのは、草加せんべいの里の近くにある大学で、英米文学を専攻していて、本当は翻訳家になりたかったのでした。

卒業した年の就職の状況は、土砂降りだとか、超氷河期だとか、昔すぎて忘れましたが、あまり希望に溢れたものではありませんでした。

就活をしていて、ドイツ銀行の一次試験を通って、有楽町の日本支店へ呼ばれたので、おどおどニ次試験に行ってみたら、面接官に、

あなたがたは英語のバイリンガルであるのはもちろん、
他の外語も大丈夫ですね?

と言われ、私以外の全員が、はきはきと、大丈夫である由を言いました。
私はびびりあがり、黙って帰ってきて、その後の記憶がないのでした。
そこで働いていないので、落ちたのだと思うのですが、もしかして辞退したとかなんとか。
覚えていないので書けません。

そのあと、

プラスチック原料に、色素のペレットを配合するドイツ製の機械を
日本で組み立てて、売ってメンテもする会社

に就職しましたが、聞くところによると、社長が

「これからは大卒や!」

と言い出して、必要ないのに3人を雇った、その一人だったそうです。
真っ黒クロスケな会社で、GW明けに一人がメンタルやられて出社してこなくなり、私はといえば、雇用保険申請できるはずの日数に三日足りない、もったいない時点で、やめてしまいました。

というのは、仕事を与えてもらえなかったんですね。

その会社は、社屋の1階が町工場みたいな感じで機械組み立てをやっていて、2階に数人の事務職の女性がいるだけなのでしたが、「何か仕事をさせてください、何かありませんか?」と聞いて回っても、

結構です😑

と言われるため、本当にやることがありません。
社員に頼まれてその人の現金を下ろしに銀行に行くとか、東京駅まで、社員の出張の新幹線切符を買いに行くとか、お得意さんの会社に行くまでの道のりを、地図で探して手書きにしてファイルするとか、そういう、今書いていてもめまいがするぐらい、変な毎日でした。

隣に座っている社長から、でかい声で、

あんたは給料泥棒やな!

と言われたこともあり、参ってしまって相談した人事の人が、なんと社長と深いお付き合いのある女性で、

「社長に話したら、そんなに嫌なら明日から来なくてもええでと言ってるわよ」

と言われて、瞬殺で辞めて(辞めさせられて)しまったのでした。

雇用保険もらいたかったな。
それとか、もうちょっと待ってから相談すればよかった。
それも遅蒔きトンガラシ。

で、次に3ヶ月も経たないうちに就職したのが、(ぼかして書きますが)、

ある種の安全のための機械を作っている会社に対し、
試験や、試験資料のチェックを行って、許可をする

という業務を請け負っている、ある省庁の下請けの財団法人でした。

明るいグレーのワンプリーツのスカートと、
共布のベストにナイロンの水色のブラウス。
春夏は、ベストが紺のリブ編みのニットです。
朝、ロッカールームでこれに着替え、足はつっかけサンダルに履き替え、やっていた仕事は。

朝のお茶出しと昼のお茶出し。
女性職員の回りもちでした。
お正月の、おじいさんたちの名刺交換会に、

一人でいいからお茶を汲みに来てくれ、
女性が淹れてくれたお茶の方が美味しいに決まってるでしょ

と言われ、女子間で大揉めに揉めたことがありました。

私は、会議に関わっている部署にいたため、会議の通知を出す、会議のお弁当を注文する、お茶を出す、会議資料をコピーしてホチキスで留める、会議の議事録の手書きのやつをワープロ(富士通OASYS)で作成する。
そのぐらいでしたかな。
白書を作成して、◯◯省×バツ庁に配送したら、あるページのある部分で、句読点が一つ足りませんでした。呼び出され、ボールペン1本持って、その何百冊かの冊子に、「 。」をつけに行ったこともありました。

その他の時間は、企業が許可をもらうために提出してくるロット検査の分厚い資料のある部分を、1ページ1ページ、決まった計算式で計算して、出た値が、許容値の範囲でないものを弾き出すというものでした。
許容を超えるものは、何千に1つしか出ませんので、計算機を叩くのは速くなったし、計算式は今でも覚えていますが(A+B+C÷2×0.0なになになに、というやつです)、覚えていたからと言って、特段良いことはなかったのでした。

これを、辞めるまで5年間ぐらいやっておりました。

続きますね。

写真は私が一瞬働いた会社の製品の一つです。渋いですね。

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