日本語教師日記190.ああ今教えたい今!(3)[まだやっていません]
指摘され説明されたら、苦も無く直ることは、脱線しても指摘するようにしています。
割とよくあるのは、現在完了形、過去完了形です。
Q ゆうべデザートを食べましたか?
A はい、食べました。/ いいえ、食べませんでした。
上記はただ単に、過去のある時点で「それをしたか・しなかったか」を訊いているだけです。これは大抵の人が初級から綺麗に返事ができます。
それが、その行為を、話している現時点(または過去のある時点)から見て、既にやったか、まだなのかということを言いたいとき、ちょっと変になる人が多いです。
A:お昼をもう食べましたか?
B:はい食べました。Aさんは?
A:私はまだ 「たべませんでした」
と、こうなります。
はい、ストップ。
I have already eaten lunch と言いたいときは、
はい、もう食べました。
でいいのですが、まだの場合は、こう言ってください。
「いいえ、まだ 食べていません」
先生、なぜですか?
「食べていません」は、I am not eating ですよね。
そうですね。
この場合、もう食べたかと聞かれて、もう食べた場合は、
「食べました」「もう食べました」は 正しいです。
つまり、I ate it と I have eaten it は 「食べました」 で 大丈夫ですか?
大丈夫です。
もう食べました と 「もう=already」をつければ、鉄板です。
先生、では、なぜ I have not yet eaten が、日本語では、
「まだ食べていません」(I am not eating yet)になるのですか?
混乱しました。
ごもっともです。
もう食べたかという質問は、それを既にしたのか、「これからするのか」を訊いている文ですね。
訊かれた人は、「まだだが、このあと食べるつもりだ」と、言いたいでしょうね。
注意してほしいのは、その時点の後でも食べるつもりがないときは、未来形をも含むところの、現在形でいいです。
こう言うことです。
A:Bさんは もうお昼を食べましたか?
B:いえ、午後から検査があるので、今日は食べません(食べられません)
同じことを訊かれても、その瞬間から先のいずれからの時点で食べるつもり、食べそうだと思っているのなら、その瞬間はまだでも、
英語 → I have not.
日本語→ 食べていません。
です。
これは、さっきも言いましたが、
「食べていないが、これから食べるだろう、これから食べるつもりだ」
と答えています、わかりますか? 感じますか?
・・・・・・・はい・・・・🙄
つまり、まだだけれども、おそらく、これから食べるという、心づもりがあります。
まだだが、今から食べそうだ、食べるだろう・・という状況が、継続的に起き続けていますよね?
はい。
ongoingですよね? まだだ、ということが続いていますよね?
はい🙄
だから 「食べていません」と、現在進行形を使ってください。
ああ、我ながら、くどい。
くどいが、あまり時間をかけたくありません。
生徒がんばれ。
もちろん、ルールだけ聞かされて、すぐに間違いなく言える人はいません。
ですので、これを教えたら、その後に続レッスンで、数分に一回ぐらいは、
「まだ・・・ていません」
が導き出されるような質問(脱線ともいう)を重ねます。
「はい、ここまで大丈夫ですか? 質問はありませんか?」
「大丈夫です」
「そうだ、もうすぐ帰省ですよね?」
「はい、そうです。来週」
「帰省の飛行機はもう予約しましたか?」
「はい、もう予約しました」
「レンタカーは?」
「まだ予約しませんでした」
「まだ・・なんだっけ?」
「あ、すいません、まだ予約し、していません」
「そうですか。では、15ページに飛んで下さい。
今日は受け身と使役、使役受け身です。
宿題は、受け身と使役の文を書いてくることでした。
やりましたか?」
「やりませんでした」
「はい?」
「あ、やり、やりていません」
「やりて?」
「あ、やっていません」
「はい、できた、難しくないですね」
「難しいです」
「ちなみに、『やりませんでした』というと、開き直って聞こえ、
『まだやっていません』と言うと、
『やっていませんが、やります、やると言う気持ちはあります』
というふうに、聞こえなくもないです」
「そうですか〜😭」
「ピース・オブ・ケークでしょ、あなたなら」
「そんなことはないです、難しいです」
「あそ。ほほほほ・・・」
こんな感じで、結構笑いながら追い詰めて、たくさん練習してもらっています。
昔々、千葉県の高校生だった時、他校の生徒たちが何かのイベントで来校していて、その中に留学生が混じっていました。
見ていると彼女は急に胸ポケットを押さえて、
「あっ。せいとてちょう、いない!」
と言いました。
すると一緒にいた友達が、
「せいとてちょう、ない!」
とすかさず直しました。
この留学生はもしかしたら、間違えたら、そばにいる人がすぐに直してくれるような環境にいたかもしれません。
それはとても幸運です。
日本語学習者は口を揃えて、
「誰も私の日本語が間違っていても直してくれません」
と嘆いています。
周りの人は、日本語を教えるためにそこにいるわけではないので、
治してはくれませんし、違うよこうだよと言えても、なぜとか、どんなときに使うべき、使ってはいけない、は説明はできません。
母語は自分にとっての自然なので、分析はなかなかできないからです。
これを間違えないと、綺麗な日本語にまた一歩。
間違えてなんぼです。
いい方向へどんどん近づいていく生徒たちを見ているのは
何十年やっていても、とても嬉しいものです。