日本語教師日記177. 「そうなんですね」が普通になってしまう前に
最近ドラマをよく見るようになって、
「そうなんですね?」
という相槌が多く使われているのに気づきました。
最初は、バカリズムのドラマ「殺意の道程」、次は、全話を見終わった、「作りたい女 食べたい女」でした。
今から書くようなことを考える人は、ほぼいないと思いますので、これは、言葉のニュアンスにとても興味のある人間の書くこととして、ご勘弁ください。
自分のインスタグラムにも、生徒たち向けに、
「〜のです、〜んです」
について解説したものがありまして、レッスンにも活用しています。
下手な英語が恥ずかしいので、長いものの一部を訳して載せます。
題して、【よく聞く 「〜んです」「〜の?」 の早わかり】
🔷 「〜のです」「〜んです」etc. には 以下のニュアンスがあります。
・なぜかと訝ったり、理由を知りたい時
・説明したい、聞きたい気持ちのとき
・疑いや責める気持ちがあるとき
・言い訳をしたいとき
場合によっては、自分が思う以上のインパクトを聞く人に与えるので、ちょっと注意が必要です。
なぜか。
「〜んです」を使うと、話者が、あることの理由を知りたがっていたり、
逆に理由を述べたかったり、また、相手を責めたい気持ちや、責められるのを予測して、言い訳したい気持ちが入るのです。
なので、使いすぎると、無用にうるさい感じ、感情的な感じを与えてしまうことがあります。
A:ちょっと、コンビニに行ってくる。
B:え〜?今行くの? すごい雨だよ?
Bさんは Aさんがコンビニに行くかどうかを聞いているわけではありません。
Aさんがすごい雨の中を出かけていくのに驚き、なんで?と思っているのです。
A:おなかぺこぺこ。ポテトチップ食べようかな。
B:え、今食べるの? もうすぐばんごはんよ。
Bさんは、もうすぐばんごはんなのにポテチを食べたがっているAさんに対して驚いています。(お母さんなら、「やめなさいよ」という気持ちでしょう)
A:映画に行かない?
B:映画かぁ・・う〜ん・・ごめん、お金がないんだ
これも、Aさんは、単にBさんに、英語に行こうと誘っているのに対し、Bさんは、お金がないために行けないことを伝えようとしています。
A:ごめん、実は・・ルンバ買っちゃったんだ。
B:え〜、買っちゃったの? 買う前に言ってよ〜!
Aさんは、Bさんの反応をすでに予測し、申し訳なさそうに響く「買ってしまった」に、「〜んだ」を繋いで話しました。
Bさんは、「買っちゃったというのは、なぜ?」と、Aさんを責めたい気持ちを「買っちゃったの?」に込めています。
形容詞なら、
寒いですか?
は 寒いかどうか事実を聞いているだけにとどまり、
寒いんですか? や、 うん、寒いの
には、
「なぜそんな寒そうな様子をしているの? 」と訊きたいとか、
「私は寒いのよ」というアピール力がありますね。
以下、インスタグラムでは延々と例を挙げていますが、ここらで切り上げますね。
さて、以上が「〜のです」「〜の」関連の表現(動詞・名詞・形容詞、それぞれの否定肯定、現在過去全てにわたります)について、私の意見になります。
ちなみに、上級の生徒たちの中には、周囲の人に「んです」etcの意味を訊いたとき、
日本語が上手い人はそう言うんだよ
と教えられたり、周囲の日本人の多用する「んです話法」を取り入れ、これを多用する人がたまにいます。
生徒:おはようございます。お元気なんですか?
という具合です。
まあ、これは極端ですが、「んですか話法」を挟むことで、こなれた日本語を話したつもりになってしまう学習者は、いることはいます。
これにはじっくり向き合い、減らしていってもらいます。
さて、私は今まで、
そうなんですね。
そうだったんですね。
には全く引っかかることがなかったのですが、最近よく聞く、
相槌として使われる
そうなんですね
には、一つの明確な意味を感じます。
何か、理由なりを聞かされて、「納得できた時に思わず口から出る」、あの
ああ、そうなんですね。
ああ、そうだったんですね。
とは、違うのです。
なるほど、で済むところを、「そうなんですね」。
その心は、「ふむふむ」「なるほど」と近いのではないでしょうか。
従来の「そうなんですか」を聞けば、(ね、ではなく)、
「そういうわけだったのですか、うん、わかりました」
と、しっかり返しているように感じます。
ところが、相槌としての「そうなんですね」には、
相手の言いたいことを、一度理解して、受け止め、しかしその上で、
「ね」で、軽く押し返す感じがあるのです。
これはもう、感じ方の問題としか言いようがなく、全くそう思わない人が大半かなと思っています。
授業で、
「先生、〜ね、と、〜よ はどう違いますか?」
は、早い段階で生徒に聞かれることの一つです。
私は、「ね」には、 isn’t it? aren’t they? etc.
なんでもいいけれど、自分が話したことに、賛成してもらいたい気持ち、
私たちは同じように感じますよね、
という気持ちが入っていると思います、と お話ししています。
「よ」は一方、自分がそのことについて、かなり sureである、知っていたり、そう思っていたりして、それを開陳している感じです、と説明します。
A:ありゃぁ・・これは まずいですね〜
B:うん、まずいですね〜
AさんとBさんは同じところを見て、同じようにまずいと思っているように聞こえませんか?
それに対し、以下はどうでしょう。
A:部長! 本当にすみません!
上司:Aくん。まずいよ!
上司は、Aくんがやらかしたことを、まずいと断定しています。
私に刺さってくる、相槌として使われる「そうなんですね」は、そのどちらでもない。
相手が言ったことに対し、「私もそう思います」とは、
実は言っていない気がする。
しかし、同じ気持ちであると言ってはいないが、違うとも言っていない。
とはいえ、自分の思うところを、今すぐ強く出していくつもりもない。
賛成も反対もしない、「一応聞いています」。
そのように今の私に響くのがこの、「新・そうなんですね話法」なのです。
「殺意の道程」では、殺人情報マニアの若い女性と、憤怒に燃えて殺人計画を相談してくる主人公の会話がこんな感じでした。
「奴を殺さないわけにはいかないんです!」
ーーうん、そうなんですね。
「奴にはそれだけのわけがある」
ーーうんうん、そうなんですね。
というふうに、クールに受け止めています。
(この通りではないと思いますが、悪しからず・・)
「作りたい女 食べたい女」では、女性同士の悩めるカップルが、物件探しで苦労した挙句に辿り着いた先、同性カップルの当事者でもある、不動産コンサルタントの女性が、やはり「そうなんですね」を多用していました。
これは、景気が冷え切った時代に生まれ、未来が明るく見えたことのない若い世代(私の娘たちも含む)が、対人関係で、あまりにも熱くなりすぎるのを無意識に避けようとしているかもしれない・・・ことと、意外と連動しているかもしれません。
でも私はこれ、嫌いではないです。
だって、ちゃんと相手の話を聞いていますし、
ちゃんと「なるほど」と言っていますから。
もう一緒に住まなくなり、今では滅多に会わない20代半ばの娘たちから、現代若者言葉を習うことはできなくなりましたが、今度会ったら私の迷論について、どう思うか、訊いてみようと思います。
え、おかん そんなこと考えてるの?
知らんがな。
と言われると思っています。
長々と失礼いたしました。
この、今までとはちょっと違う「そうなんですね」が、全く普通の日本語になってしまう前に、書いておきたかったのです。