エッセイ307. 脳の作りが違う (1)ながら試聴
私の一番身近にいるのは夫ですが、人間てこんなに違うんだと言うことを、いつも教えてくれる存在でもあります。
若い頃、特に結婚したての頃は、相手の行動や考え方が理解できず、
これは、あなたが男だから? 外国人だから?
あなたが、あなただから?(あなたが特に変な人だから?と言う意味)
と訊いたものでした。
答えは、「僕が僕だから」でしたっけ。
首を傾げることがあまりにも多かったので、自分が変わっているのか、相手が変わっているのか、いまひとつ合点がいかず、いろいろなポップな心理学の本を読んだものでした。
これは、とても面白かったです。
☝️うなづくことも多かったです。
ちなみに私は、地図もあまり読めませんが、人の話も、あまり聞いていません。
困ったものです。
夫にも子供にも、かつてはよく、
なんで?
なんでそうなるの?
なんでそんなことするの?
と、なぜを連発していましたが、答えは異口同音に
そんなこと聞かれてもわからない
でした。
そうですよね。
この「なぜ?」は、自分を中心に、自分の行動や感じ方が標準だと信じているところに出てくるものだ。
と言うことに気がついたのは、本当にちょっと前のことです。
ずっと前にわかっていたら、怒っている時間もずっと少なかったのに、残念なことです。
この頃の私は、彼我の違いについて熱くぶつかり、じゃなくて話し合いをしていても、途中でこれを思い出し、言うのです。
まあね、私は(あなたは) そういう脳だからね、しょうがない。
なんでも、「脳だからしょうがない」で決めちゃいます。
すごく楽です。
例えば家族の中で、私だけ、音を聴きながら本を読んだり、仕事や勉強をすることができません。
それが普通だと思っていたので、ながら試聴をする人のことを、「怠け者」「仕事や勉強をいいかげんにやる人」と、長年、思っていました。
ところが、自分が「それをしない人」ではなくて、「それができない人」であるのに気づいたのは、結婚してすぐです。
一緒に本を読んでいて、夫が音楽をかけますと、すぐに
「読んでることに集中できないから消してくれない?」
と言いました。
夫は、「聴きながら本を読みたいんだよ」と言います。
「なんで音楽が邪魔なの?」
「歌詞があると、そっちの方を聞き始めちゃうのよ」
「じゃあ、歌でなければ?」
と言って、音楽を変えてくれますが、
「いやいや、まだ聴いてしまう」
「じゃ、静かものなら?」
「聴いちゃう。少しでも意味があるとそっちへ行っちゃう」
「じゃあこれは?」
きぃぃぃ〜・・
しゅううううう〜〜・・
キィィィィ〜・・
「鯨の声もイルカの声も聴き入っちゃう。本が読めない」
そう、私にとって、無音じゃないと読んでいることが頭に入ってこないんですよね。逆に、音楽を聴くときは、それ以外の音を遮断して、外国語の歌なら歌詞をガン見しながらじゃないと、楽しめないんです。その代わり、何語であってもすぐ歌えるようにはなります。
こういう音楽の聴き方って、なんだか窮屈ですよね。
唯一、ながら試聴ができるのは、料理をしているときです。
これは、「そういう脳だから」と言うしかありませんね。
「脳があれだから」については、明日へ続きますね。