エッセイ393. それをするのはあなた(駄)−2 ソーダストリーム
続きです。
我が家では、とてもたくさん炭酸水を飲むので、そういうのを作れる機械、ソーダストリームという名前のものを数年前に購入しました。ちょっと贅沢かなと思ったのですが、どんどん溜まる炭酸水ボトルを捨てに行くのも手間だったのと、私が仕事中にとてもたくさん水を飲むので、普及値段になったときに思い切って導入したのでした。
ガスのシリンダーを1回に3本、まず機械と一緒に買いまして、ガスが無くなったら交換していきます。3本を使い果たす頃に会社に連絡して、また3本持ってきてもらいます。空になったシリンダーと新しいのと、交換です。なぜなら、これはとても危険なものなので、素人が勝手にあちこちで買い、ポイ捨てなどすると危ないからだそうです。どう危ないのかは、聞いても理解できなかったのですが、怖いので私は決してシリンダーをセットしたことはありません。
炭酸水を作るときは、専用の大きなボトルのキャップを外して、ガスの出てくる部分にシュタッとはめ込んで、ボタンを2回押すと、いかにも、気をつけないと危険になるような音を、
シューーッ
シューーッ
・・と、5回立てながら、普通の水が炭酸水になります。
2本あるボトルを、冷蔵庫のドアポケットに並べますが、飲み始めた方を手前に入れ、作ったばかりの一杯になっている方のボトルを奥にします。
飲み始めた方を飲み切った人が次の炭酸水を作り、それを奥の方に入れます。なんとなく飲んで行って、両方とも半端に終わりかけるのを防ぐためです。
夫の発案のこのルールを、私もちゃんと守っています。
ところが、毎朝のように起こることがあります。
私が5時とか6時に起きて、お弁当を作り始める前にまず炭酸水を飲もうと、手前のボトルを取り出します。
すると、ほぼ十中八、九、中の水が、ボトルの底から4センチぐらいしかありません。
このちょっぴり残った炭酸水を大きなグラスに注ぎ、グラスが半分ぐらいまで満たされたところで、このボトルは終了しますので、
だぁぁもぉぉぉ・・・・
誰よ全くもう。
とか呟きながら、次のボトルいっぱいの炭酸水を作るのです。
誰よ全くもうと言いますが、私は普段、もうちょっとで飲み終わる場合は、無理をしてでも飲みきり、新しいボトルを作るのが習慣になっています。二人暮らしの我が家で、ちょっとばかり残すのは、多分大抵夫のすることです。
彼の名誉のために書きますと、彼は決して、次のを1ボトルを作るのが面倒臭いためにちょっぴり水を残すわけではありません。トイレットペーパーが終わりになった時に、新しいのに付け替えるのが嫌なばっかりに、ほんの数センチを残して使うとか、そういうことはしません。意志が強いところがあって、どうせここまで食べちゃったんだから全部食べちゃおうとか、そういうことはしないので、炭酸水も、きっちり飲みたいだけ、飲めるだけグラスに注ぐと、残ってるのがどんなにちょっぴりでも、そこで注ぐのをやめるのでしょう。
そういうことだろうと思えるので、特に苦情は言いませんが、
だぁぁぁぁもぉぉぉ・・
と呟くのは、まだやめられません。
とても(駄)ですみません。
ソーダストリームは、お勧めできます。