エッセイ215.2022年のラプソディー(15)もう、あとはないよね?
母の葬儀前後から、私と姉は家の中でも小さなポーチを肩にかけていました。
というのが、葬儀会場にした昔の珠算塾の鍵・家の鍵がひとつしかありません。
鍵持ってる? と聞き合うのが大変。あと、父の居室、台所、祭壇にする部屋、姉の部屋・・と、結構いろいろ出たり入ったりして、携帯をどこかに置いて探し回ることが多かった。なので、小さなメモ・ペン・携帯・どっちかが持っているにしても鍵・・と、ぶら下げて歩くことにしたのです。
いろいろなことを一人でやっているならいいのですが、動けなくても、ここの家の人は姉です。二人で相談しながら進めていかなければなりません。
また、変更が生じることも多々あり、その都度、メモは必須です。
そのメモもあちこちに置いてしまうので、持って歩くしかなくなりました。
これで、親戚が多くてちょこちょこ口を出してきたり、
昔のように町内会が家に来て、煮物やおにぎりを作ったり
(祖母のときはそうでした!)
ひっきりなしに弔問客があったり、だったらどうでしょう。
さすがに発狂します。
さて、葬儀前日のことでしたが、ホテルに前泊していた夫からLINEがありました。
今言うことじゃないかもしれないのだけれど、
ピーターが危篤だという知らせがありました。
ピーターとは、夫のバイオロジカル父で、生物学的には父ですが、
夫はこの人に会ったことがありません。
私は最初から、
一回でいいから会わない?
今は良くても、あとで後悔しない?
とよく訊いていました。
夫は、
うーん、まだそのときではないかな。
それに、マイクとも相談しないと。
と言います。
実はピーターは、夫と弟のマイク、両方のバイオロジカル父なのです。
ピーター、あなた何やってたの?
一度、彼が何かのことで集合写真の中にいるのが新聞に載りました。
バイオロジカル母(こっちとは仲がよく、毎年会っています)が
それを見せてくれましたが、夫と瓜二つでびっくりしました。
ねえねえ夫、このピーターなんちゃらがいなかったら、
あなたがいないのはもちろん、うちの娘らも存在しないよね?
一度は会わせた方がよくない?
孫をいきなり連れて行ってさ、
これ、あなたの孫たちですけど、ってやってみたくない?
と何回も言いましたが、
「別にやってみたくないです」
と一蹴されました。
そのピーターが危ないといいます。弟のマイクが会いに行ったそうです。
ピーターは、マイクと夫のことは誰にも言わないで、お墓に持って入るつもりだったとか。
ピーターおいおい!
と言ってやりたいが、ピーターは寝たきりで目が動かせるだけだそうです。
あんまり、やいのやいの言ってはかわいそうなのか・・。
マイクは夫に気を使い、(来たくてもまず、今はすぐには来られないのをわかっている)、マイクと夫の育った環境も違って、デリケートな部分でもあるので、私にLINEをくれました。
マイクといろいろ彼と話して、夫には
「せめて、異母妹たちとオンラインで話せば?」
とか言ったのですが、夫も物思うところがあるのでしょう、
「まあ、よく考えますよ」
と言っていました。
この件は表面から流れ、私も忙しく、今まであまり深く考えることもありませんでした。
あれから3週間。
特に新しい知らせもないので、危篤のままなのだと思いますが、
なにか感無量です。
娘たちの直接のおじいちゃんだから。
さて、もう三日前になります。
次女のアパートで大騒ぎをしてIKEAのベッドを組み立てていた最中に、
ニュージーランドから電話がありました。
夫が、Oh、Hello..と英語に切り替えたのでドキッとしました。
目が見えなくて施設で暮らしている義母、99歳、10月には100歳。
夫とはしょっちゅう「オーディオ・ブッククラブ」で話してはいるものの、
何かあるときは急なもの。
いちいちドキッとします。
しかしそれは義母ではなくて、夫のバイオロジカル・マザーでした。
「今、グラン・メリーが亡くなったのよ」
と言います。
グラン・メリーとは、夫のバイオロジカル祖母で、97歳。
もう10年ぐらい、重度のアルツハイマーで施設にいたのですが、
コロナのために家に戻り、夫の生母が老々介護をしていたのでした。
生母がFacebookに、「おばあちゃんどうしてる? How's Gran doing? 」というのを設けて、子供たち・孫たち・ひ孫たちも情報をシェアしていました。
私が最後にグラン・メリーに会ったのは、3年以上前に帰省したときでしたが、
まだまだしっかり歩いて食べていて、人形を抱えて来ては何度も何度も、
「この子、知ってる?」
と訊いてきました。
娘たちは私たちと前後して、一人ずつ、また二人一緒に帰省して、
必ずこのおばあちゃんにも会いに行っていました。
遺伝子というのは面白いもので、この私の義理祖母の顔は、その母、祖母、曽祖母の写真まで見ても、お互いにすごく似ているのです。まるで同じ人のようです。そして、それは次女の方に受け継がれていて、大きくなるにつれて、どんどん似て来ています。どこかに、5代にわたるこの血筋のポートレートを縦に並べた写真を持っているのですが、本当に皆さんにお見せしたいぐらい似ています。
まあ、人は生々流転、必ず一度は死にますし、そうしないと次の人に席を譲れないわけで、いいのですけれども、考えてみたらうちの娘たちは、3月の間に、祖母と、曽祖母を亡くし、祖父は死の床にあるのです。
私にとっても、ちょっと消化できない情報量と出来事のあった3月でした。
今は名古屋の家に帰って、四十九日に向けて電話で姉と相談しながら、名古屋からでもできることをやっています。
姉の腰椎圧迫骨折もだいぶ良いようですが、まもなく目の手術もありますので、その後は、体に力を入れることは厳禁と言われています。ケアマネさんからは、父の世話から離れてリラックスした方がいいが、レスパイト入院はコロナのためにむずかしいので、ショートステイを薦められています。絶対に家を離れないと言い張っている父を、ケアマネさんが説得することになっていますが、
いやはやどうなりますことか。
どうしても嫌だと父が拒否すると、私が泊まり込みになりますが、私は実家では過呼吸やパニック発作を起こしやすいので、それは是非とも避けたいところです。
あと、実家にいると、
物が捨てたくなる。
掃除がしたくなる。
でも人の家だから、やってはいけません。
これはもう性分なので、やりたくなるのは仕方ないのですが、しんどいです。
書いていて、タイトルはこれしかないと思いました。
もう、あとはないよね?
写真:どんどん薄ぼけていく昔の写真の中の私と次女。
根本からしっかり固くカールしている髪も、母方の女性の特徴です。