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エッセイ310.下町の珠算塾

昨日は雨の中、亡父の四十九日の法要を行いました。
出席者は姉と私たち夫婦の三人でした。
母の四十九日のときには来た娘たちですが、
一人はシドニー、一人は東京ですが仕事で欠席です。

お供物やお花を本堂にお預けしてから墓に行ってみました。
納骨のために石が取り外された部分があり、墓石には養生テープで傘が貼り付けられていました。

このお寺のお墓は、N石材店さんが担当しています。

全身レインコートのN石材さんが言います。

「私も先生にはお世話になったけど、4級どまりでした。
娘は段位に進んだので、検定試験の時は先生に会場まで連れて行っていただいたんですよ。段を取らせていただいて、息子も3級まではいったかな」

懐かしそうに話してくれました。
父はこの辺の子供が、小三から小六、商業高校に進む子は中学高校まで通う珠算塾を経営していたのです。
狭い教室に、三人がけ・四人がけの長い机がずらりと並んで、生徒は詰め込んで1部が五十五人。それが夕方の3時半ごろから夜8時まで6部制だったので、結構子供はたくさん来ていました。
昔は珠算と習字を習う子が多く、それにピアノを習う女の子がちらほら、というのが、下町のお定まりでした。

小中学の間は、知らない子から、
「お前、そろばん塾の子だろ」
と言われ、恥ずかしかったです。

最盛期は教室に入りきれない子たちが、自宅の6畳間二つを使っていましたし、台所にいると外から、
「お水ください」
と言われて、水を手渡したりもしました。
落ち着かなかったですね。

N石材さんはなおも続けます。

「時間になると、うちの前をぞろぞろ子供たちが通るんですわ。
それから、競艇場帰りの男たちがぞろぞろ通ったね」

「ああ、そうですね。ハズレ券を落としながら歩いていました」

「そうだね。当たった奴は、表通りでタクシーで帰るからね」

「じゃあ、うちの前の道は『オケラ街道』だったんですね」

「お嬢さん、よくそんな言葉知ってるね、あははは」

N石材さんによると、うちの墓石はとても良いものだそうです。スウェーデンから輸入した黒御影石で、横浜の波止場から運んできて、自宅の作業場で大きいのを切り分けて墓石を作ったのですって。当時はまだそういう石が買えたけれど、今は少なくなっていて、よほどのお金持ちでないと、このレベルの石には手が出ないんですよ、と教えてくれました。
そうか、お父さん張り込んだか。
納骨してみますと、大中小の骨壷が7つでぎっしり。
でもN石材さんによると、墓石の左側にはあと六人分名前が刻めるし、
あと六人は入れるそうでした。
重ねちゃうのかな骨壷を。

そういえば、父が亡くなってすぐ、郵便ポストにお香典が入っていました。
姉が封筒にあった電話番号に電話してみますと、子供の頃父にそろばんを習ったという男性でした。先生は冗談ばっかり言って、面白くて・・と言っているうちに涙声になられたそうです。
覚えていてくれるなんて、ありがたいですね。

そろばんは、また習う子が増えたそうで、嬉しいことです。
町内の子供の多くが、短期間でもうちのそろばん塾へ通うような時代でした。
そうか。私はあの、
「ご破算で願いましては・・」
のそろばんで、食べさせてもらっていたのですね。

後を継ぐというのではありませんでしたが、大学4年間は、家業の珠算塾を手伝うように言われて、週四日は講義もあまり取れず、ちょっと嫌でした。
でも、高速の読み上げ算は私は結構、やっていて面白かったです。
あそこまでたくさんの子供が通う習い事って、今はないですよね。
みんな勉強で忙しい・・。

信じられないと思いますが、当時はそろばんのテレビCMもありました。

天下一そろばんの歌は、
♪ 天下〜、いちーのそろばんダッシュ!♪
で、
トモエのそろばんの歌は、
♪ト・モ・エ、の、そろ・ばん!♪

でした。今思い出しました。

珠算を習うということは、細々とでも続いてほしいです。
塾の名前を「わかば珠算塾」と言いました。




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