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日本語教師日記187.カザフスタンのピラフ、その他

赤坂にまだIBMのビルがあり、日本もまだ元気だったころの昔の話です。

ある通信社勤務の独身の若い駐在員の方。
とても明るくて爽やかで、私の知らないことをたくさん教えてくれました。

あの頃の携帯はガラケーが普通というより、ガラケーしか、なかったです。
縦に二つ折りで、アンテナを引っ張り出す携帯が一般的だったあの頃、
私は横に二つ折りのものを使っていました。
横長のキーボードが下、画面が上で、すごく小さなラップトップみたいに見えたので、「それはコンピューターですか?」と聞かれることがありました。
ぱかっと開けるとキーボードがJIS仕様のキーボードで、当時はポケベルと携帯メールだけが通信手段でしたので、夫とやりとりするのにはとても便利な携帯でした。
とっくに使えなくなっていますが、思い出ぐさにどこかに取ってあるはずです。

そんな昔の話。

カザフスタン出身のその彼が言いました。

先生、今みんなは言わなくなってしまいましたが、僕は電磁波は怖いと思う。
脳腫瘍になるかもしれないから、なるべく通話はするな、
耳から離して使え、なんて言われていますけど、それも無理ですよね。
そんなこと言ったら、この部屋だって、
目に見えない、強いWiFiが飛び交っているのだから、心配ですよね。

ガラケー・ファックス・ポケベルで・・・WiFiもあった時代?
1900・・・何年ごろの話でしょうね。
私は、WiFiって、知りませんでした。
誰もが電車のホームでも電車でも、スマホの画面を見つめている時代が来ることなど予想もせず、当時は確か、

いい大人が電車内で新聞も読まず、漫画を広げているなんて恥ずかしい

というようなことが言われていました。

よく女性の生徒から聞いた話というか、苦情は、スポーツ紙を前に立っている人が広げて呼んでいると、目の前にかざされた紙面に、ポルノ写真やコミックがよく見える。

「先生あれは、嫌がらせでしょうか」

というのがありました。

「いや、ポルノが外側になっているというのに気づいていないか、
日本ではあまりに普通に、手に取れるように売っているので、
そういうことに対して、麻痺しているのではないでしょうかね」

とお答えした記憶があります。

かくいう私も、通勤には新聞をバッグに入れて出て、週1で駅で発売日のビッグコミックオリジナルを買って読むことがありました。
あれは今もあるのかしら、電車を降りる時にコミックを網棚やベンチ、ゴミ箱に私たちが捨てて行き、それを集めて、たとえば新宿駅西口の小田急デパートの見えるあたりで、シートに広げて100円ぐらいで安く売る、なんていうことがありました。

さて、ある日このカザフスタンの彼が3週間ほど海外に行っていました。
レッスンが再開されたとき、
「3週間のご無沙汰でしたね。出張?  ホリデーでした?」
と訊きましたら、
「いえ、どちらでもないです。結婚してきました」
と答えてくれたので、びっくりしました。

「プライベートなことを訊いてもいいですか?」
「はいどうぞ」
「婚約者さんをお国に置いて、ずっとこちらに住んでいらしたんですか?」
「はい、一度お見合いで帰って、結婚を決めて、
今回は結婚式のために帰国していました」

そのとき、何日もかけるという、カザフの伝統的な結婚式のお話を詳しく語ってくれましたが、残念ですがその詳細は忘れてしまいました。

でも、宴会についての話は今でも覚えています。
祝宴は、テントの床の上のカーペットに座って行うこと。
長幼の序が厳しく、席順や、肉を切る順番がきちんと決まっていること。
若輩のものが年長者に食べ物を取ってあげることなどです。

「何がおいしいですか?」
「ピラフですね。それを年長者の皿に取ってあげるのですが、
そのとき・・・直箸、と日本で言いますよね?」
「はいはい」
「私たちの食べ方も直スプーンだったりして、なので、
自分が食べ始める前に、使う前のスプーンで人にピラフを取ってあげます」
「ふむふむ」
「その際、誰かのスプーンがすでに触れた部分に、自分のスプーンを触れさせてはいけません。マナーです」

・・・というと、こういう感じになるのですか?

と、持ち歩いていたホワイトボードに絵を描きました。


①のスプーンを使う人は、ある程度の量をせっせと取り始める。
②のスプーンを使う人は、反対側からピラフを掬っていく。
③のスプーンも同様に扱う決まりがあるから、
お互いにタイミングや取る量を考えながら、粛々と取っていく。

「それを続けていくと、一本のスプーンが触れただけの空洞というか、
ピラフの壁があちこちにできませんか」
「それは、できますよ」
「そうすると、しまいには、万里の長城みたいになりませんか?」
「なりますね。先生の絵の通りです」

こんなことを、面白かったので、今も覚えているのでした。

この彼は新婚の花嫁さんは日本には来ず、お国に住んでいると言っていました。

「そうですか。会いたいですよね」
と言ったら、少し頬を染めるような感じで、
「でもまあ、任期ももう長くはないので・・」
と、はにかんでいました。

懐かしいです。
元気にお国で暮らしていらっしゃるでしょうか。

写真はネットから拾ってきて、こんなものだろうかと思って載せてみました。

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ガラパゴス諸島から来た日本語教師 tamadoca
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