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エッセイその69. 小さなタイムカプセル(5)青林堂・ガロ・白取千夏雄さん(中)

他に投稿したものを、引っ張ってきました。その2回目です。
ガロのファンや、白取さんをご存知の方の目に触れて欲しいと思います。




2018-07-20 00:00:00


私たち四人は、会うときはいつも四人でした。

谷田部さんが やまだ紫さんと白取さんに会う時、

オタクも来るでしょ?

と声をかけてくれたからです。

そういえば、私はそのころ、
アホ山さん(仮名)と、苗字か、
オタク、君、などとと呼ばれていました。

お店で待っていると、白取さんが颯爽と入って来ます。

ときにはハンチングをかぶっていたりして、

「谷田部さんはもうすぐ来ます。
やまだも遅れて来ます。
今日は、もう一人、中国からの留学生の、
王君という人が来ます。
いいですか?
あ、来た来た、王君、こっちこっち」

などと言います。

向こうから、太い黒縁メガネをかけ、
カバンを斜めがけにし、髪を七三に分けたその人が、
近づいて来て、お辞儀をします。
私が挨拶をしかけてよく見ると、
それは中国人留学生王君になりきった谷田部さんだった、

なんてアホなこともありました。

白取さんは、ブログでは お連れ合いのことを、
「やまだ先生」と書いておられますが、
私の覚えている限りでは、
そこにやまださんがいなくて、
やまださんのことを話すときは、「やまだは・・」でした。

面と向かっては、「あなたは」だったように覚えています。

私は密かに、

(かっこいいじゃないか・・)

と思っていました。

私も、革ジャンや、マスタードイエローの細身のパンツの似合う、濃いいハンサムである白取青年に、

「アホ山はもうすぐ来ます」

と言われたら、喜びます、本当に。


私たちが飲むのは大抵銀座で、
有楽町電気ビルの地下1階の「マリオネット」というパブで、
みんな歌うのが好きだから、カラオケをよくやりました。

白取さんは、艶のあるいい声で、聴き惚れました。
白鳥さんの one day と やまださんの 桃色吐息にはしびれました。
歌の上手い人と一緒にカラオケするのは、本当に楽しいですよね。

あの頃は、カラオケボックスとかあったのかな。
たぶん、飲むお店で飲んで歌うのが普通のことで、
そんなときは、店内の客さん同士拍手しあいました。

そういえば、このビルの上の方には「現代」があり、
韓国の皆さんはみんなすごく歌がお上手で、
また、声も大きかった。
元気の度合いが違い、同席すると、全然かないませんでした。

私たちはいつも、店が終わるまでいて、
いざ帰ろうとするとビルが閉まっていて、
ビルの横手の金属の柵に、タイトスカートでよじ登って飛び降りました。
私がハイヒールなどを履いていた時代です。


CDもまだ新しかった。

あるとき白取さんが、

「なんか俺、CDの音って、どうも好きじゃないんすよね。
ビートルズのCD、聞いてみたんすけどね」

と言いました。

なんでですか?

「なんか、音符の一つ一つを取り出して、
フロンかなんかで綺麗に洗ってから
また元に戻した感じの音なんすよ」

・・・うまいことを言う、と思いましたっけ。


そのほかでは、西銀座デパートの地下1階の「いかだ」。

おかみさんが、ぬか漬けの本を出しているぐらい、
ぬか漬けが美味しい小さな居酒屋で、
全然銀座っぽくなかったです。

店内の調理場の目隠しに、
こけしの絵の暖簾がかかっていたような気がします。
そんなところで、ちまちまよく飲みました。

今は西銀座デパートという表示ではなく、
西銀座iNz? みたいになっているようで
戦前の匂いのするような地下街など、もちろんありません。

あの辺もおしゃれになりました。

先日上京の際、東京駅近くの鍛冶橋で高速バスを降り、
ガード下に沿って、有楽町駅まで歩きました。

そのとき、みんなでよく行ったあたりを通り、
あの頃を思い出したりしたのも、
今思うと、虫の知らせというやつだったんでしょうか。


続きます。


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ガラパゴス諸島から来た日本語教師 tamadoca
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