見出し画像

エッセイ528.気になるあの歌詞(2)小柳ルミ子の「春のおとずれ」

春のおとずれと言っても、中学生バスケ部の男子に訪れたやつではありません。
それだと顧問の体育の先生に、

お前なぁ・・・
ちょっと走ってこいや!

と言われてしまうところです。

これは違います。

格子戸をくぐりぬけ? ・・・のルミ子、
瀬戸は日暮れて、夕波小波〜・・・の、ルミ子です。

最近、実家の片付けをしているのですが、自分のLPのほか、多分祖母のだと思いますが、民謡や演歌、歌謡曲の45回転のレコードが出てきました。
その中には、北島三郎とか、小柳ルミ子とか、いろいろありました。
祖母がそういうのを家で聴いていたのを見たことはないのですが、婦人会の役員もしていたので、何かで歌謡曲のレコードを使ったりしたのかもしれません。

小柳ルミ子さんというと、キレキレのダンスを、ご主人としていた人と覚えている方も多いかもしれませんが、デビュー当時は大変な清純派だったということです。

私が今、歌詞検索サイトで見て時代を感じたのは、これです。


春のおとずれ

春のなぎさを あなたとゆくの
砂に足跡 のこしながら
はじめて私の家にゆくのよ
恋人がいつか 出来たらば家へ
つれておいでと 言っていた父
夢に見てたの 愛する人と
いつかこの道 通るその日を

お茶をはこんだ 障子の外に
父とあなたの 笑う声が
聞こえて来たのよ とても明るく
幸せなくせに なぜ泣けてくるの
母のほほえみ 胸にしみたわ
帰るあなたを 見送る道は
おぼろ月夜の春の宵なの


古き良き時代ですね。
畳の部屋の無い家がどんどん増えていく中で、純日本家屋に住んでいる娘さん一家のようです。
台所から客間へのアクセスが、襖じゃなくて障子ということは、客間は縁側と庭に面しているように思います。
大きなお家のようですね。
夜になって娘一人で彼氏を見送って歩けるのは、治安のいい地方都市という感じもしますよね。

それからそれへと、いろいろなことを考えました。

長引きすぎている不況が非婚の世の中になっています。
昨日、ママ友たちと、こんな話をしました。
高校の学費無償化より、出産費用全額出すとか、保育園は近いところに待たずに入れるとかしないと、せっかく結婚しても、子どもを産もうという気にならないよねと。
少子高齢化と人手不足問題は何十年も前から絶え間なく指摘されてきました。
行き当たりばったりだったり、ばら撒きだったりをしているよりも、ずっと先を見据えて一つ一つ解決しておくべき問題でした。


我が家に昨日集まったのは、子供達が児童館のプレーグループで出会って以来のつきあいの人たち。なので親たちは年齢がだいぶ違いますが、子どもはみな同い年の27、28歳です。
当時は、人気のある幼稚園は暗いうちから並んだり、大変でした。
それが、私たちの子供達が行っていた幼稚園のうち、二つまでも、あと1、2年のうちに閉園になるそうで、一同ショックを受けました。

お産を引き受けない産院が増えたり、幼稚園さえ子供が少なくてやっていけなくなるとは、自分たちが若い母親だったころは夢にも思いませんでした。
子供がいなくなる世の中なんて、SFの世界だったのに。

「春のおとづれ」の歌詞を読んで、多くの人が普通に真面目に生きていたら、そこそこ幸せだったように思える時期がたしかにあったような思いを抱きました。たった数十年前のことだったのかと感無量になり、Youtubeで見つけたこの曲の動画がしばらく脳裏から離れなそうです。



サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。