エッセイ308.脳の作りが違う(2)記憶
子供の頃、「記憶」というものに、イメージを持っていました。
それは、記憶は古いものからどんどん水気がなくなって、ペタンコになり、最後には紙の薄さになり、昔の地図屋さんにあったような、薄い平たい引き出しに収まっていくというもの。そして、その引き出しを開ければ、開けることができれば、いつでもどんな古い記憶でも、手に取って見直せる、というものでした。
今では、短期記憶・長期記憶ということを知るようになりました。
また、長く認知症でいた母のことを考えても、脳の萎縮や事故で損傷すると、この辺が弱くなる、あの辺ができなくなる、と知りましたので、そんな単純なものではないとはわかります。
それでも、思い出せないときに、ついこめかみの辺りを叩きたくなるのは、叩いたり揺すったりすると、どこかに引っ掛かっているものを思い出せるような気がするのかもしれません。
私は、「それがいつ頃だったか」を思い出すときに、子供が何歳ぐらいのときだから・・というところからたぐって行くことが多いです。
え〜と、私が入院したのは、下の娘が3歳、上が5歳。ということはあのときは、あの茶色の古い戸建に住んでいたんだな。ということは、あの翌年に下が幼稚園か。ということは、あの頃、一瞬だけ私も運転していたんだね。
とか。
テレビをジョンからもらったのは、上が中3だから・・そうかもう12年前になるのか。
ということは、あのとき庭でBBQしてもらって、長女はあのとき、食べたくないエビを食べたのが引き金で甲殻類アレルギーが始まったんだから、もうアレルギーになってからはや12年・・ということね。
とか。
そういうとっかかりがないと、思い出せなくて、昔の生徒に、
「あなたが日本を出たのは・・?」
訊いてみます。
「2020年です」
「え、そんなもの? 10年ぐらい前かと思っていました」
などということはよくあります。
夫は、思い出すのに時間はかかりますが、「うーーーーん・・・」
としばらく唸っていて、もう思い出せなかったんだなと思って他の話をし始めると、
「ちょちょっと待って、もう少しで思い出せそう!」
と言ったりして、実際、とんでもなく昔のことを思い出すことができます。
前後左右のつながりはなく、ぽん! と思い出すのだそうです。
私は、芋づる式に思い出すことが多く、夫は直感的だったり、何かを見た途端に昔のことをいきなり思い出す。
思い出し方ひとつでも、脳のつくりで違いが生まれるのでしょうか.
この連休の間、外の明るくて暖かいうちにと、三日連続で近所を散歩しました。
度々書いていますように、転居して2ヶ月。寒いのであまり活発ではありませんが、長く住んだ場所の近くに戻りましたので、「まだあるお店」を見ては感激し、変わってしまったお店は「前はなんだっけ?」と、共に思い出せず。
「うーん」「なんだっけなんだっけ」と言いながら歩きます。
あれ、不思議ですよね。何年も毎日見ていても、一度なくなると、建物って思い出せなくないですか。
私たちは微妙に曲がっている川を頼りに歩くことが多いですが、ずっと川沿いに歩いているつもりなのに、いつのまにか目指したところと違うところにつくことがあって、これは不思議です。
「この店・・これは見覚えがある」
「これは・・これは、確か、昔東方大工センターというホームセンターで、
園芸用品を買っていたところでは? 名前が違うけど」
「アイスクリームを食べましたか」
「あ、食べた食べた。でも変だなぁ、今日の歩き方で、ここに出るはずはないんだけども・・あっ、川がある。てことは、S公園はあっち?」
「いや、こっちでしょう」
「反対じゃない?」
・・・と、記憶を擦り合わせながら歩いていると、
「東宝のスタジオかな。あ、そうだ、東宝のスタジオだ」
「ということは、もうすぐあの・・・回る女性のところですね?」
「誰?」
「こう・・・いつも背中を向けてるけど、女性の像で・・」
「女性女性・・あっ違うそれは、おおくら大仏だと思います」
「女性じゃないですか?」
「ゆるやかな衣服を着ていて、お団子を結っているように見えるけど、
あれはお釈迦様ですよ」
「男?」
「男」
ありました、今日もあっちを向いているおおくら大仏。
こっちを向いているのを見たことはないけれど、午後5時になると5分ぐらいかけて世田谷通りの方に御向きになるのだそうです。
ありがたやありがたや。
「なるほど、ということは、あのオリーブオイルの量り売りのお店はこのすぐそばということですね?」
「えっ、なんだっけ・・なんかあったね。1回ぐらいしか行ったことなくない?」
「1回ですね。確かこの辺です。そして、チルドレンホスピタルも近いです」
「この辺だっけ? 調布とかじゃなかったっけ?」
「この辺ですとも」
歩き回ってみましたが、見つかりません。「オリーブオイル・世田谷区」で検索すると、すぐ近く、住所は砧ですが、ありました。
すぐに見つかりました。
16年前に開店し、2年半ぐらいはオリーブオイル量り売りのみ、そのあと、私たちの知らないカフェが併設されたので、絞り込まれました。16年前から14年前ぐらいの間に、いっぺんだけ行ったお店だったんですね。
そこでコーヒーを飲み、開店の年と、カフェを始めた年を教えてもらい、シチリアの今年搾りたてというオリーブオイルを買いました。
「夫って、いきなり思い出す能力がすごいね!」
「どんなもんですか」
「でも、大抵のことは、あまり思い出さないよね」
「私はどうでもいいことは、思い出さないようにしています」
あくまでも自分に自信のある、いい性格をした脳みそなのでした。