日本語教師日記186. 時差と日本語教師
日本語教師を始めた遥か昔には想像もできなかったことですが、今の私の生徒は全てオンラインのレッスンになっています。
うち、3人が日本(東京・横浜・岐阜)在住の人で、残りの人たちは、アメリカとヨーロッパ・アジア・オセアニア・南米に住んでいます。
上海・香港・ニュージーランド・オーストラリアは時差が1〜3時間ですので、深く悩まないでスケジューリングができます。
アルゼンチンはちょうど、向こうの午前0時がこちらの午後0時なので、間違えないので助かります。
デイライト・セイビング、いわゆるサマータイムのある国の私の生徒は、今のところ、イギリスとアメリカの人たちですが、ざっくりいうと、
ヨーロッパの人の早朝=こちらの夕方 7時間ぐらいの時差
北アメリカの人の午後〜夜=こちらは1日早い日の、早朝から2時ぐらいまで
という感じになっています。
イギリスの人は出勤前の7時ぐらいに、アメリカの人は在宅の人なら午後5時過ぎ、帰宅後に受ける人は夜の9時10時に受けてくれています。
両方とも、あくびを噛み殺しています。
私が、メインの画面の横に置いたタブレットで、GoogleDocに入力するために、ちょっと横を向いていると目の端に、画面の向こうであくびをしているのが結構見えます。
それを知っているので私はあくびは、画面から顔をはずして(?)からやるようにしています。
アメリカの生徒たちは、本土だけでも4つのタイムゾーンがあるので注意が必要です。
サマータイムになったら1時間早く起きる、終わったら1時間遅く始める。
これだけなので造作ないですが、生徒側は電子機器については、時計が自動的に進んだり戻ったりが夜中に行われるため、自分で気をつけるという人は少ないです。
サマータイムが始まる(または終わる)前には、
「私が時間を動かすだけなので、
あなたは時計に見えている通りの、いつもの時間でいいですよ」
と言うことになります。
私が使っているアプリで、 time scroller というのがあります。
必要のある国の都市を登録すると、
東京の何日の何曜日の午前何時は、相手のいつ、
ということがはっきり見えて、とても便利です。
アプリを開いた時は、現時点の時間が出ますが、下の方にあるスクローラーを操作すると、日も時間も、シームレスで進めたり戻したりできます。
長い間には相手国が増えているので、削除することも必要ですが、東京と、どこそこ、と指定して、そこだけを見ることもできます。
このように時差を知りたい国の都市を指定し、
左上の Showを押すと、知りたい都市と東京だけを見せてくれます。
このような画面が4画面弱あるので、短期に終わった人がとても多いとは言いながら、長い間にはずいぶんいろいろな国、街の人をを教えてきたのだなと思います。
先日、「次回のレッスンは1時間早くやってほしい」いうリクエストをもらい、
その時間に別のレッスンがありましたので、希望された時間より2時間前から始めることになりました。
それが日曜日の午前6時50分です。
その後、もともとあった別のレッスンがキャンセルになりましたので、
よければもっと遅くできますと連絡をしましたら
「では、午前7時にお願いします」
とのことでした。
私はもしかして、1時間ぐらいは変更があるかなと思っていたので
「10分遅いだけで良いですか?」
とメッセージしてみたら、
「その通りです。ぴったり7時に始まる方が、覚えやすいです」
という返事がありました。
なるほど、そういえばそうです。
それにしても時差というのは不思議なものですね。
目の前にいて喋っているのに、その人は一応、私がもう終えてしまった過去の時間帯にいて、過去から喋ってくるように感じますから。
中国の隋の皇帝が、聖徳太子のメッセージにゲキオコになったという、歴史の時間に習ったあれ。
以下はネットで拝読したものをお借りします。
「「日出ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」
『隋書』「倭国伝」に記録されている、倭国王から隋の煬帝(ようだい)へ送られた国書の有名な一節です。小野妹子(おののいもこ)を代表とする遣隋使が隋の都・長安に着いてこの国書を皇帝に提出したのは、推古(すいこ)天皇15年(607)のこととされています。
煬帝がこの書を見て激怒し、「蛮夷からの手紙のくせに無礼だ。二度と奏上させるな」と鴻臚卿(こうろけい、外務大臣に相当)に命じたというのもまた有名な話です。煬帝がはげしく憤ったのは、東夷の小国である倭国の王が中国皇帝と同様に「天子」を称し、対等の関係を結ぼうとしたからです。
私たちオールド少女漫画ファンにとっては、「日出処の天子」と聞くと、すぐに山岸涼子さんの「日出処の天子」を思い出してしまいますが、あんな昔でも天文学とか航海術はしっかり発達していたそうで、時差についても上の方の人はちゃんと理解していたということなのですね。
時差、いまだに不思議です。