これほど網羅的にビッグバンドをまとめた書籍がかつてあっただろうか?横濱Jazzプロムナードのプロデューサーとしても知られる柴田浩一氏の遺作【ビッグバンド大辞典】とその中から「知っ得はなし」を少々紹介
はい、ビッグバンドファンです。今日はビッグバンド大辞典というその名の通りのボリューミーな書籍の紹介です。
類を見ないビッグバンドの網羅性
ビッグバンド好きからすれば本のタイトルからしてもうツボなのですが、秀逸なのが副題「BIG BAND DICTIONARY 1916 - 2018」です。もうこれ生湯から棺桶まで網羅してるんじゃないかという勢いですよ。14歳のベニーグッドマンの紹介から「穐吉、カーラに次ぐシュナイダー」なんて紹介まであるという。帯はあの瀬川昌久さんが書かれているのですが、この瀬川さんの帯がこの本の価値を全て表しているので引用させて頂きます。
これは凄い本だ!ビッグ・バンドの本は沢山あるが、これほど内容が豊富でしかも面白く読める本はなかった。ジャズ100年の歴史の中で、ビッグ・バンドがいかに生成し発展してきたかを詳しく書いてある。しかもジャズ100年史の1年毎に録音されたビッグ・バンドの代表曲が記載されている。従来1930年代のスウィング・バンドについてはレコードや本が沢山出ており、モダン・ジャズ時代も70年代サド・メルまでは記述があるが、以降現在までのジャズ史後半については、断片的なものしかなかった。真の意味の「ビッグ・バンド百年史」はこの本が世界中で嚆矢となるだろう。著者の柴田浩一さんとは横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」の会で親しくなり、彼が毎週構成出演するNHK横浜局のFMラジオ「サウンド☆クルーズ」のゲストに呼ばれて、ビッグ・バンドに対する深い愛着と卓越した知識に感服した。プロ、アマを問わずビッグ・バンドの関係者は勿論、ジャズに関心ある全ての方に広く推薦したい
そうなんですよ。ビッグ・バンドがジャズと一体になっている1910年代〜1930年代頃というのはジャズ史の中でもよく語られますし、ジャズ史を記した書籍はかなりの数あるわけです。書籍に限らず社会人向けの講座、市民講座などでも「ジャズの聞き方」や「ジャズの歴史を知ろう」なんて形で講座が開かれることもありますし、様々な形で触れられる機会が多いです。またこの時期のジャズ=ビッグバンドの動きはそのままアメリカの近現代史とリンクしている(黒人奴隷からの黒人差別、禁酒法、第一次世界大戦など)ので、アカデミックに研究している人も沢山います。しかし、その後40年代に入りビバップの誕生とともにジャズとビッグバンドが分離すると、ジャズ史はもっぱら「ジャズ」の側を追うようになり徐々にビッグバンドを追う量が減ってきます。そして70年代ぐらいになり、デューク・エリントンがこの世を去ったあたりぐらいでもう殆ど取り上げなくなる。仮に取り上げたとしても瀬川さんがおっしゃっているようにせいぜいサド・メルぐらいまで。なので書籍もそうですしジャズ史に詳しいという方に話を聞いても、ことビッグバンドに関しては70年代以降現在まで、100年というスパンで言えば後半半分、これがすっぽり抜けてしまうということが殆どなわけです。その間も音楽的には価値を持ったまま様々な形で挑戦や進化が図られているし、今の音楽シーンにも多大な影響を与えているのに、その記述がなく結果「無かったこと」になってしまう。それがこの本ではバッチリ書かれている。瀬川さんが「真の意味の「ビッグ・バンド百年史」はこの本が世界中で嚆矢となるだろう」と紹介している通り、通時的にビッグバンドについてまとめているものとしては類をみないものと言えます。
著者「柴田浩一」さんの紹介
著者の柴田さんについてはwikipediaより抜粋します
横浜市西区出身。1946年、鉄工所経営者の長男として生まれる。中学時代にジャズと出逢い、高校生になってジャズ・コンサートに通いつめる。1964年、初来日のデューク・エリントンのコンサートに行き衝撃を受けて以来、エリントンの研究及びレコード収集を続け、現在は日本有数のエリントンのコレクターでもある。日本大学に入学後、日本大学初のジャズ研究会を設立し初代会長に就任。横浜野毛町の伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」のカウンターに入りジャズを聴きまくる。卒業後、横浜JAZZ協会設立に参画。メセナとして企業協賛による無料コンサートを50回以上主催した。そのアーティストは綾戸智絵、ジョージ大塚、山本剛、本田竹弘などを始め、高木東六、中田喜直まで多岐にわたる。
なお、本著の他に2008年に「デューク・エリントン」という本を愛育社より出版していますが、これは日本人が執筆した初のデューク・エリントン研究書と言われています。他、2015年には瀬川昌久さんと共著「日本のジャズは横浜から始まった JAPANESE JAZZ HISTORIA」も出版されていて、本著は3作目として2019年に出版されたものになります。
なお、あとがきにも書かれていますが、本著執筆時には食道がん、リンパへの転移、大腸のポリープなど全身ガンに侵された状態で、惜しくも2020年3月31日に永眠されました。ご冥福お祈りいたします。
【知っ得はなし】より少し紹介
というわけで、この本には実に沢山のビッグバンドが年代別に紹介されているわけですが、そこは一旦置いておいて、本の中間部分ぐらいにこぼれ話的なことが幾つか紹介されているので、ここではそこから幾つかピックアップして紹介したいと思います。
グッドマンのカーネギー・ホール・コンサート
当時アメリカにおいてはクラシックの殿堂であった「カーネギー・ホール」ここで初めてのジャズ・コンサートを開いたのがベニー・グッドマンです。映画「ベニー・グッドマン物語」でもクライマックスとなるところですが、実際もとても大勢のお客さんが押し寄せたそうです。メンバーも凄いことになっていて、クーティ・ウィリアムス、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイ、バック・クレイトン、レスター・ヤングなどデューク・エリントン楽団やカウント・ベイシー楽団の主力メンバーが顔を連ねており、最高の演奏を繰り広げました。なお、この音源はAmazonからでもApple Musicからでも聞けます。
ちなみに当時の録音環境は、ステージ上の1本のマイクをCBS放送のスタジオに繋ぎ、同時にカッティングされたものだそうです。またリリース経緯が面白いのですが、この時レコードは2組制作されたそうで、うち1組は国会図書館に、もう1組がベニー・グッドマン本人に届けられたそうですが、すぐにはリリースされなかったそうです。結局リリースは12年後の1950年となるのですが、きっかけがグッドマンの娘のレイチェルがかくれんぼをしている際に戸棚の奥からこのレコードを発見したことだそうです。なんともお洒落なエピソードだなぁと思いました。
バンド・バトル
この時代のドキドキが伝わってくるもう1つのエピソードがバンド・バトルというものです。実際にはショウ・アップの意味合いが強かったそうですが、こういう企画が出てくる時点で面白いと思いますよね。よく「音楽は競い合うものじゃない」なんて言われることもありますが、こういうエピソードを知ってるとまぁ何ていうか「綺麗事言ってんじゃねぇよ」って声も聞こえてきそうですね。実際上記カーネギー・ホール・コンサートの後、カウント・ベイシー楽団の主力が向かった先はハーレムのサヴォイ・ボールルームだったようで、そこでは「エラ・フィッツジェラルドを擁するチック・ウェッブ・オーケストラ vs ビリー・ホリディを擁するカウント・ベイシー楽団」の対決だったそうです。あ〜、どっちが勝ったのかな?実際勝敗としてはサヴォイの調べではウェッブだったようですが、ジャズ専門誌のメトロノームはベイシーを勝ちとしたそうです。
エリントンの黄金時代
日本人初のエリントン研究書を執筆した著者ですから、ここはどういう見解なのかな?と気になりました。ここはそのまま引用します、面白いですよ。
誰が言うか、俗にいうジミー・ブラントン、ベン・ウェブスター・バンド、この2人が在団した40年代前期がベストであるという。矢継ぎ早に発表する曲、そしてその内容は確かに素晴らしい。しかしながら、若いクーティーやホッジス、カーネイらが互いに刺激し合った30年代、ジャズ史上最強のトランペット陣を擁した50年代、エリントンが進化を続けて傑作アルバムを連発した60年代、どれもが最高水準だ。40年代だけを評価している人は今一度、エリントンを聴き直さねばならない。
要は「全部良いよ」ということです。
ビッグバンドの系譜
創始者はフレッチャー・ヘンダーソンが定説ということで間違いはないそうです。大編成のバンド演奏自体はダンス演奏、無声音楽の伴奏といった場面であったもののジャズ演奏の為ではなかった。ヘンダーソンの後に、デューク・エリントン、ドン・レッドマン、ジミー・ランスフォード、アール・ハインズ、チック・ウェッブといった黒人バンドと、クロード・ホプキンス、カサ・ロマ、ベニー・グッドマン、トミー・ドーシー、アーティー・ショウといった白人バンドが進出してきたということのようです。そこにカウント・ベイシー、ウディ・ハーマンも加わり群雄割拠のビッグバンド黄金時代を迎えた、これが初期のビッグバンドの系譜とのことです。こうやって整理してもらえるだけでも有難いと言えますね。
いかがでしたでしょうか?なかなか面白い本ですが分量も多いので、読み進めつつ、音源があるものに関しては音源を聞くことと合わせながらここで紹介していければなとも思っております。以上、ビッグバンドファンでした、バイバイ〜