グラミー賞を獲得したビッグバンドを年代別にみていく【60年代編】
はい、ビッグバンドファンです。今日はグラミー賞の最優秀ジャズ大規模アンサンブル・アルバム賞の歴代の受賞作について、全体の概要と1960年代の受賞作について見ていきたいと思います。
グラミー賞とは?
そもそもグラミー賞とはどういう賞か、wikipediaから抜粋で紹介すると以下の通りです。
ザ・レコーディング・アカデミーが主催する音楽賞。当初はグラモフォン・アウォード(Gramophone Award)と呼ばれており、現在は単にグラミー(Grammy)と呼ばれることが多い。アメリカ合衆国の音楽産業において優れた作品を創り上げたクリエイターの業績を讃え、業界全体の振興と支援を目的とする賞だが、今日世界で最も権威ある音楽賞のひとつとみなされており、テレビにおけるエミー賞、舞台におけるトニー賞、映画におけるアカデミー賞と同列に扱われる。1959年5月4日、1958年の音楽業界での功績を称える第1回グラミー賞授賞式が行なわれた。
というわけで、アメリカの音楽産業においてその年もっとも活躍した人に与えられる賞ということです。特徴として割と部門が細かく分かれていること、年によって新たなジャンルが増えたりと流行を捉えつつ、伝統的な音楽に関しても毎年必ずフォーカスを当てているということがあげられると思います。ビッグバンドに関しては最優秀ジャズ大規模アンサンブル・アルバム賞、英語ではBest Large Jazz Ensemble Albumという形で毎年表彰しています。
ちなみに日本人でも、坂本龍一さんや上原ひろみさん、B'z松本孝弘さん、小澤征爾さんなど受賞者がいらっしゃいますが、Best Large Jazz Ensemble Album部門での受賞者はまだいらっしゃらず、穐吉敏子さんや狭間美帆さんがノミネートまではされるものの受賞にまで至らないと惜しい状態となっています。穐吉さんが取れなかったのは完全に時代の影響だろうなぁ、と個人的には思っていますが、どうなんでしょうね?
Best Large Jazz Ensemble Album賞は時代と共に名称が変化している
さてBest Large Jazz Ensemble Album賞ですが、実は年代毎で名称が変わっていて、以下の通りです。
1961年:Best Jazz Performance Large Group
1962年~1963年:Best Jazz Performance – Large Group (Instrumental)
1964年:Best Instrumental Jazz Performance – Large Group
1965年~1971年:Best Instrumental Jazz Performance – Large Group or Soloist with Large Group
1972年~1978年:Best Jazz Performance by a Big Band
1979年~1991年:Best Jazz Instrumental Performance, Big Band
1992年~2000年:Best Large Jazz Ensemble Performance
2001年~present:Best Large Jazz Ensemble Album
この名称の変化で注目したいのがビッグバンドをどのような言葉で表現しているかという点です。1960年代はLarge Groupという言葉で表現されていて、その後1970年代と1980年代にBig Band、ところが1990年代以降はLarge Ensembleという言葉で表現されています。Big Bandという言葉をグラミーが使っていたのは1970年代と1980年代の約20年のみだったということです。でも一般的にこの時代はBig Bandにとって冬の時代、ロックやポップスといった新興の音楽が音楽シーンの主役となり、ジャズそのものも音楽シーンの裏側にまわった、ともいえる時期です。その時期に敢えてなんでしょうかね?Big Bandという言葉を使って表彰していた、これは何か意図があったのか、たまたまだったのか、不思議に思えます。
あと、2000年代以降はAlbumとなっていますが、それまで1960年代~1990年代は全てPerformanceとなっている点も注目です。これはこのビッグバンドの賞に限らず他の部門賞にも共通しているのですが、実際にはアルバム作品を表彰しているのですが、それこそレコードの時代です。CDましてやMP3も無ければ配信なんてまだまだ無い時代、そういう時代においてミュージシャンの活動は「Performance」という言葉で表現・表彰する時代だったんだな、と。ここは今もそれこそAlbumで表彰する割合は増えていますが、「Performance」という言葉で表彰している部門賞も多くあります。この辺はもしかしたら明確に表彰基準の違いみたいなものもあるかもしれませんね、ちょっとそこまでは調べられていないので、どなたかご存じの方いらっしゃいましたらこっそり教えてください。
1960年代のLarge Group部門の受賞者
そんな全体感を踏まえつつ、1960年代の「Large Group」部門の受賞者を見て行きたいと思います。1960年代のLarge Group部門の受賞者一覧は以下の通りです。
第3回(1961年)・・・Blues And The Beat | Henry Mancini
第4回(1962年)・・・West Side Story | Stan Kenton
第5回(1963年)・・・Adventures In Jazz | Stan Kenton
第6回(1964年)・・・Encore: Woody Herman, 1963 | Woody Herman
第7回(1965年)・・・Guitar From Ipanema | Laurindo Almeida
第8回(1966年)・・・Ellington '66 | Duke Ellington
第9回(1967年)・・・受賞者無し
第10回(1968年)・・・Far East Suite | Duke Ellington
第11回(1969年)・・・And His Mother Called Him Bill | Duke Ellington
第1回、第2回は公式サイトにも記録が出ていなかったもので、第3回から見て行くことになります。
60年代前半はヘンリー・マンシーニの時代
まず、60年代前半はヘンリー・マンシーニの時代と言っても過言ではないです。このLarge Group部門では第3回に顔を出すだけですが、グラミー賞全体で見ますと、1962年に映画「ティファニーで朝食を」とともにMoon Riverが大ヒットし最優秀レコード賞を受賞、更に1964年には酒バラの名前でお馴染みDays of Wine and Rosesで再び最優秀レコード賞を受賞、その翌年の1965年はThe Pink Pantherで最優秀インステゥルメンタル作曲賞と編曲賞をそれぞれ受賞という、今でもビッグバンドは勿論のこと様々な場面で耳にするまさにスタンダードと呼べるナンバーをリリースしていた時期ですし、勢いを感じます。
第9回は受賞者無し
それから非常に珍しいのが、第9回の受賞者無し。これこの回だけなんですよ、後にも先にも。どういう理由だったのか分かりませんが、この回だけ受賞者無しという、グラミーの歴史の中でも大変珍しい事態だったということが起こっています。
60年代後半はデューク・エリントンの時代
あとは60年代後半、受賞無しを挟んでいますが、第8回、第10回、第11回はデュークエリントンが連続受賞となっています。ただ、このエリントンがグラミーを受賞している作品を見るとEllington '66、Far East Suite、And His Mother Called Him Billの3作品で、恐らくA列車で行こうやサテンドール等をエリントンのイメージとして考えている人からすると全く頭の中には無いのではないかと思われる作品です。例えばEllington '66はその前年に発表されたEllington '65から続くポップス曲集で、ビートルズナンバーも入っていてオリジナルナンバーは2曲のみというアルバムです。
またFar East Suiteは極東組曲という日本名も印象的で、日本でも山下洋輔氏のスペシャルビッグバンドが2018年のステージで取り上げるなど有名ではありますが、これもあくまで私の印象ですが「フリークの間では有名」という感じがします。
閑話休題
ちょっと横道に入るとこの辺、あくまで私の考えではという断りを入れますが、変に通ぶるのは良くないということを、自戒もこめて言っておきたいと思います。なんでこんなことを言うかというと、この辺りのエリントンははっきり言えば一般的に前衛と呼ばれる時期に入ってきています。なので、この時期のエリントンを知っている人は割とマニアな人が多いと思うんです。勿論マニアであることに何か問題があるとは少しも思わないですしガッツリはまっていいと思うんですが、ただその姿勢です。単に一般的に知られていないからというだけで「この曲を知らないなんて、あなたはエリントンのこと分かってないな、フフフフ」みたいになってしまうと、それは単に「あなたの知らないことを私は知っている、俺ってすげぇ」という自己優越に浸っているだけだろうと思うし、それは決してエリントンの音楽を評することには繋がらないと思うんです。これはエリントンに限らず前衛的と評されるものに共通すると思いますが、前衛的と評される作品というのはクリエイター側がそれを意図していなくとも聞いている側に結果としてそういう姿勢をもたらしてしまう、そういう側面があるということです。あくまで私の考えですし自戒を大いに込めての話ですが、偉大な音楽家であるエリントンの音楽に関しては自分含め自己満足の材料にしてはいけないと思うんです。例えそれを意図していなかったとしても。なので、エリントンに限らず「これはいいな」と思う音楽、これを仮に評論するならその音楽をまずは広く知ってもらうことが大切だと思うんです。そして、そのうえで良い・悪いはそれぞれのリスナーが自然に感じる、その集合が結果としてエリントン、エリントンに限らずですが音楽家の評価ということになる、それが後世にもきちんと価値を残していくそういう流れになるような気がしています。
再びデューク・エリントン
さて、戻るとこのFar East Suite、極東組曲はエリントンが1963年の中近東訪問と1964年の来日時の印象をモチーフとして作った組曲アルバム。各国の音楽的イメージをエリントン流に表現した摩訶不思議なサウンドの世界です。そして注目すべきは、ビリー・ストレイホーンの最後の作品という点です。ビリー・ストレイホーンはA列車で行こう、サテンドール等の代表作を多数書いた作編曲家であり、デューク・エリントンの陰の人物ともいわれた人で、エリントン自身は「私の両腕」と称していたとされる方です。このFar East Suiteをリリースした5か月後に亡くなられます。そして、その数か月後、亡き友ストレイホーンを偲んで吹き込まれたのが翌年のグラミー賞受賞作となるAnd His Mother Called Him Billになります。全12曲(初出時)はすべてストレイホーンのオリジナルで構成されていて、編曲もストレイホーンの譜面が使われ、なかにはレコーディングされていなかった曲も含まれているそうです。ストレイホーンを偲んだ各フィーチャープレイヤーのソロが聞きところのアルバムになります。
スタン・ケントン
60年代グラミー賞の話に戻りますが、60年代前半のヘンリーマンシーニ、後半のエリントン、これに挟まるように存在感を示しているのがスタン・ケントンとウディ・ハーマンです。この頃は1950年代後半に出てきたエルビス・プレスリー等の新しいアーティストに押される形でビッグバンドは徐々に音楽シーンにおいて人気と売上が低下しており、その流れはかつての人気ビッグバンドにも容赦なく襲い掛かっていました。
スタン・ケントン楽団もそうした苦境に立たされていたビッグバンドの一つであり、1959年にそれまでのスタイルの楽団を解散、1960年に新しい音楽に対応出来る楽団として再結成されます。そうした中、1962年にグラミー賞を受賞したWest Side Storyというアルバムは、商業的にはビルボート誌のトップ100に26週間チャートインし、最高位は16位を記録するなど成功を収めたものとなります。ただし、音楽的な内容としてはアドリブソロの尺も十分に取られたものではなく、バーンスタインのスコアをアレンジしたものではあるもののバーンスタインの影響は否めないものであり、ケントン楽団の色が十分に出せたというものではないです。
そういう意味で、「ケントンバンドここにあり」と存在感を示せたのは、このWest Side Storyの成功の翌年に発表され2年連続のグラミー賞受賞となったAdventures In Jazzとなります。
個人的に注目したいところとしては、この時ケントンバンドの主要アレンジャーとして地位を固めていたビル・ホルマンになります。Wikipediaのビル・ホルマンのページを見るとその特徴として「対位法」を用いた作曲をするということが書かれています。確かにビル・ホルマンの作曲にはバッハ等に見られる「対位法」、ポリフォニーの手法が見れます。ちなみにポリフォニーに関して超簡単に説明すると、例えばヨハン・セバスティアン・バッハのピアノ曲、インヴェンションやシンフォニア、平均律、フーガといった曲の場合、右手と左手が互いにメロディを担当していたりします。これが肝で、いわゆるポップスもそうですし、モーツァルトのソナタとかでもそうですが、右手がメロディ、左手が伴奏というパターンが多いと思うんです。それとは違うということです。右手がメロディいくこともあれば、左手がメロディに行くこともあり、片方がメロディを弾いている間は片方が対旋律を弾いていたりする、片方が伸ばした音を活かしてもう片方が入ってくる、という具合です。これは、縦の和音を重視する「和声法」と違い、独立したメロディが絡み合いながら音楽を進行させていく、そういう作曲法になります。で、ビル・ホルマンという方はその対位法をビッグバンドの作曲や編曲の中に用いている、これが特徴ということです。その観点でこの「Adventures in Jazz」に入っているビル・ホルマン編曲「Malagueña」を聞くと、イントロは普通にファンファーレですが、アップテンポに入ってから重層的に入ってくるブラスの音はそれぞれが独立した和声のような形でタイミングをずらしながら入ってきたりしていて、また曲が進行していく中でも裏側のサックスのメロディには冒頭のモチーフを形を変えて入れていたり、確かに対位法的なものが分かりやすく入っています。
ウディ・ハーマン
続いて、ウディ・ハーマン楽団のEncore: Woody Herman, 1963ですが、ウディ・ハーマンは生涯でグラミー賞を3回受賞しており、これが初受賞作品となります。収録されている楽曲を見ても、前年の1962年に発表されたハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」や、先程述べた大当たり中のヘンリーマンシーニの作品「酒とバラの日々」、それから若きビル・チェイス、チェイス結成のずっと前です、彼がメンバーにいてそのチェイスの曲も1曲入っていたり、と良くも悪くもハーマンの「いいものはすぐに何でも取り入れる」感が出ていて、それが見事に当たったアルバムと言えます。ちなみにその後はノミネートされることは続くものの受賞には至らず、次の受賞は10年後の1973年、より若いメンバーと音楽を取り入れて結成されたYoung Thundering Herd時代とも呼ばれるバンドでリリースした「Giant Steps」ここまで待つことになります。ちなみにwikipediaを見てみるとウディ・ハーマンはジャズ史上で初めて株式会社組織のビッグバンドを設立したことで知られているようで、旗揚げから一貫して「売れる楽団」になるよう経営改革含め邁進していったということが書かれています。そういうバンドではあったものの、同じくwikipediaにはこんなことも書いてあります。
1950年代以後は時流の変化でビッグ・バンドの経営自体が困難になり、バンドの主力であった有力ミュージシャンの多くがソロ活動のため独立していった事や、またジャズ界での主流がスモールコンボに移行したために活動はやや低調になっていくが、ウディは幾度かの中断を経ながらもビッグ・バンドでの活動継続を図った。1960年代にはロックの影響を受け、エレクトリックピアノやエレクトリックベースをリズムセクションに加え、ブラス・ロック色の強い作品を発表。他にもファゴットやオーボエ、フレンチホルンなど通常ジャズで用いられない楽器を加えた作品を発表している
ということで、グラミー賞受賞となったEncore: Woody Herman, 1963もそうした流れの中で発表された作品ということになります。
60年代のビッグバンドの熱い取組はもっと知られても良いと思う
一般的に日本においてトラディショナルなビッグバンドのイメージはどうしても40年代、50年代、戦後の進駐軍によってもたらされたイメージ、スウィングビートで踊れる音楽、そういうイメージがとても強いと思います。しかし実際にはここまでみてきた通り、60年代辺りで既にデューク・エリントン、スタン・ケントン、ウディ・ハーマンといったアーティストがビッグバンドにスウィングだけではない音楽的な可能性を感じ、商業的なところと必死にバランスを取りながら、様々な要素を取り入れて作品を発表しているということがグラミー賞の受賞作品を見ても分かります。ただし、今申し上げた通り商業的なところとのバランスを取るのが本当に大変だったこともあり、なかなか日が当たらないというのも事実です。しかしそれはあくまで商業的な話であり、音楽的な話とはまた違うわけです。商業的に低調であったからといって音楽的に低調であった、というわけではないということです。
いかがでしたでしょうか?今日はグラミー賞を獲得しているビッグバンドについて、60年代にフォーカスを充てながら話をしました。70年代、80年代、90年代、2000年代とまた見ていきたいと思いますが、一旦今日はここまでとしたいと思います。最後まで御覧頂きありがとうございます。よろしければフォローをよろしくお願いします。以上、ビッグバンドファンでした。ばいばい~