将来ラクできる選択をし続けてきた
人生で選択を迫られる時、何を基準に判断・決断しますか?
決断をした時は意識していたことも、意識していなかったこともありますが、今になって振り返ると行った決断により一時は苦しく、心身共に疲弊するようなことをしなくてはならなくとも長い眼で見ると将来ラクをできるということが多い気がします。
ちなみに「ラク」というのはサボって何もしなくて良い状態という意味ではないです。立場的に、時間的に、金銭的に選択肢の幅が広がり、精神的に余裕が持てるという意味で「ラク」と使っています。
例えば受験
私は大学受験をしていません。中学3年生になったとき、どのみちあの辺の大学(早慶、MARCHとかですね)を大学受験で受けるなら何故高校受験でその一貫校に皆行こうとしないのだろうかと不思議でした。
勿論、私立高校は公立に比べて学費が高く
通学も遠くなってしまうということもあると思います。
私も通学はとても長くなってしまうことになりましたが(片道1時間半...)、金銭面ではありがたいことに両親が負担してくれましたので一貫校を受験する決断をしました。
その決断をしてからは迷うことが無いので約8か月の間毎日10-15時間勉強しました。その8か月は長く辛いもので、睡眠時間は短く、ずっと風邪を引いているような状態でした。その甲斐あってか無事第一志望に合格し、大学受験を免れたことで部活や興味のある勉強に高校の3年間を有意義に使うことができました。
この判断基準は何も年単位の長期的なことでなくとも、普段の仕事でも同じマインドで取り組んでいます。
毎日同じ作業をするなら自動化する為に時間を使う
ミスをし易いことがあるならどうすればミスを構造的に、仕組み的に防げるか考えてその対策を行う
こうすることで日々費やさなくて良い時間を節約し、ミスのリカバリーに費やす時間やミスを犯してしまったことで受ける精神的ストレスを少しでも減らそうとしています。
これもまさに将来的にラクをするために今頑張るという考え方です。
今日1日全力でやればこれから毎日10分ラクできる
今月苦しい思いをしてもその先1年ラクできる
今年1年滅茶苦茶にプレッシャーがかかり、心身ともに疲弊することは容易に想像できるけど、その先数年ラクできる
こういうマインドがあれば多少しんどくても精一杯やれるのかなと経験的に感じています。
プレッシャーやストレスが強すぎて鬱などになってしまえば、(経験したことないので想像の域を超えませんが)その後数年、あるいは数十年辛くなってしまうと思うので許容範囲の見極めは重要且つ難しいと思いますが