【曲紹介】機械製の自然と歪さ【DKC2:かいてんタルさんばし】
本稿は上記動画並びに音楽に関する感想まとめです。酒の肴程度に読んで頂けますと幸いです。
動画概要
ドンキーコング2の「かいてんタルさんばし」を8FDD、4SM、1DTとして構成している。動画概要欄にもある通り「FDD = フロッピーディスクドライブ(画面中央)、SM = ステッピングモーター(画面左)、DT = Drum Thingことパーカッション担当(画面右)」を使用している。正確に計測していないが、BPMも恐らく原曲と同じ。
動画投稿者はその他曲のアレンジを幾つか出しており、SMを使いだす前まではFDDのみの曲を投稿していたがSMを通じて強いベース感を出し始めていたり、酒瓶とかでパーカッション性を出し始める。
どこかのランプが光る度にそこから音が出てくる視覚的な楽しさも合わせてFDDが上下に世話しなく動くのも、オルゴールを始めて見た時の不思議さと似た感触がある。同時にFDDの動きがどの音に対応しているか、一種のクイズが始まるし、逆に考えるとSMからそういう音が出ていることへの不思議も再認識される。
原曲が「かいてんタルさんばし」に対して動画のタイトルが「Bayou Boogie」であることに関しては、ドンキーコング2がDonkey Kong Country2と変更されていたり、その他BGMが英名を持っていること自体は不思議ではないことを付記しておく。
補足:かの有名な「とげとげタルめいろ」が「Stickerbush Symphony」
原曲のイメージ
原曲がジャングル内の小川にて、様々な環境音を鳴らしている。最初は遠方の大小の鳥の鳴き声から、虫が鳴らすじーじーという音に、カエルなのか小魚が池から跳ねる音も目立つ。そしてどこかから鳴り響くゴーンゴーンというベース替わりの音。
ただメロディーラインはDKC2シリーズ特有のシンセサイザ。DKC系BGMを考察する時にこのシンセサイザが何をモチーフにしているのかが判らない。プレイヤー並びにディディーとディクシーが歌ってると解釈すべきか、風が吹き抜けていく音なのかは分かれる点だが、本稿では風の音と解釈する。
またフルート音からなる副旋律もあるため、英名タイトルの「Bayou」こと細くて長いゆっくりと流れる小川が連なる様子が曲の流れに沿って奏でられている。
そしてスーパーファミコンシリーズの音源の問題として、音を連続して出すことはできても、同じ楽器でも違う音同士を繋げてスラーを表現することができない、若干のブツ切りが意識される。というのもメロディー事態は美しくゲーム画面のステージを抜きにしても優雅なのだが、モチーフを表現しきれていない感は否めない。
また付け加えて、上記の優雅なイメージがあったとしても、常になり続ける様々な環境音、厳密には虫がじーじー鳴く音がメロディー単体とは若干のミスマッチ感は否めない。
自然の豊かさはあるし、良いモチーフでゲーム内容ともマッチしながらも、曲全体の完成度が高くてBGMとして分けて聴く分にも良い曲だが、その他DKC2曲のレベルに到達していないと認識されがちである。
一瞬の脱線
この不満に答えるべく、幾つかのカバー版が複数のYouTubeに動画としてアップロードされているし、幾つかの楽器を使い分けていたりする。
一旦脱線するが、個人的には「Stale Karma Plays氏」が上げているカバー版は大変色んな音の再現に心掛けており、登場する楽器は馴染み深くも幾つかのエフェクター(あとマフラーもつけてる?)ため、可能な限り原曲のイメージに近しい音を奏でている。
新しい解釈:機械製の自然と歪さ
以上を踏まえた上で再度下記を閲覧頂きたい。
SMから出てくるベース音は単調で、パーカッションの食器と酒瓶のカチンという音は下手したら日常でも良く聴く。そこにFDDでメロディーを奏でただけで何かが変わるのか?
断言する大幅に変わる。
まず元々あった「音源がブツ切り」である点がFDDの音の出し方として凄く自然な出し方になっている。一方であまり意識が向かないSMのベースラインは永続性が高く常に音が繋がっている。パーカッションの食器と酒瓶は、一切の感受性が無く偶発的な音にしか聞こえない。全楽器共々、楽器としては歪だが、機械らしさのパラメータは抜きんでている。
それを踏まえた上で、再度メロディーを聞いてみる。細く長くゆったり流れる小川の流れ、またはそこに流れる風をモチーフにしているが、FDDで奏でた場合は自然っぽさが大きく抜け落ちる。だがFDDにも関わらず言い表せない郷愁を表現する。これら機械がどこで得た風の便りなのか、どこで検出した小川の流体力学なのかは知らない。そして数ある原曲にあった環境音が全てFDD稼働時のノイズと共に奏でられる。
音が切り分けられず、無骨に音を吸収しただけの機械は、楽器と曲とモチーフを著しく形骸化させるだけのハズが、退去済みのアリの巣模型のような、あるいは昨今流行のリミナルスペースを彷彿とさせる懐かしさと不気味さの境界を彷徨うな感覚を与える。そんな視聴者側の違和感を物ともせず、淡々と機械は奏で続けること自体が最も機械らしい宿命なので、機械の有体的に言えばこれが「機械の自然」ではある。
動画投稿者は恐らく原曲の環境音内にある虫とかの音が含まれるパーカッション部分の表現をSMと酒瓶で表現できるから実行したのだと思われるが、いざFDDでメロディーを奏でることで絶妙なバランスを持って完成された。
最後に
上記記事で書いた通り、私は音楽を聴く際はその情景を思い浮べる。アレンジ版で全然違うモチーフにさせることは、音楽ジャンルの暴力というか使う楽器で無理やり行ってる感もある中で、上記動画と原曲ではアレンジ版が原曲に寄り添い過ぎずにまったく別の情景が両立することが奇跡。
是非ここまでお読みいただいた方々も原曲版と上記アレンジ版と、そしてサックス版を聞き分けながら聞いて頂きたい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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