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「一つの博物館に2回行くということ」

みなさんこんにちは。アイヒヘルヒェンです。
今秋からドイツのベルリン自由大学に10か月間留学しています。

今回はタイトルの通り、「同じ博物館を複数回訪れること」について書きたいと思います。
「え?どゆこと?」て感じですが、私的に大きな発見だったので書きたい。かなり正直に書きます。

いきなりですが、私は博物館や美術館があまり好きではありません。得意でない。
ポスターを見かけて、興味がある展示だなとか、行ったほうが良さそうだなとか思うことはあるけど、実際に足を運ぶのは本当に億劫。日本でも博物館に行ったことがあるのは片手で数えられるくらいかも。大学に入ってから課題のために博物館に行かないといけなくて、ようやく重い腰を上げるくらい。
じゃあなんで博物館や美術館が無数にあるベルリンに来たんだよ!って感じですが笑、苦手だからこそ、もしかしたらいろんな展示に行って多くの作品を見れば、何か自分の心境が変わるかもって思っていました。漠然としているけど。同じところに何回も行くんじゃなくて、いろんな博物館・美術館に行けば、それだけ感じることも多いんじゃないかと。言い方悪いけど、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるみたいな意識。

そもそも、なぜ私は博物館・美術館が好きでないのか?自分が思う結論は「活字中毒だから」。
目に入る文字や文章は片っ端から全部読み始める。いい感じに途中で切り上げて、次の展示に行って、、とか器用なことできません。最初から最後まで目を皿のようにして読みきって、内容が理解できたら展示物を見て、味わったなと思えるくらい時間かけて、それで漸く次の展示に行く。これを無限に繰り返す。
そんなわけで博物館や美術館に行くのは本当に疲れる。出口を通る頃には文字通り、精魂尽き果てています。
解説文を読まないと展示物を侮辱したことになる気がするし、でも文字ばっかり追いかけて肝心の展示物をろくに見ないのもひどい冒涜だと思う。一つ一つの展示物には、それぞれ固有の物語や経てきた経緯、芸術家の人生や強い気持ちが反映されていて、そしてその背後にはそこに価値を見出して保存しようとする人間の姿があって。一つひとつの展示がいのちをもっていると思います。だから説明書きを飛ばすなんて論外だし、全部ちゃんと向き合わないといけない気がする。
だから博物館も美術館も、一回行けばそれでもう暫くはいいや、の気持ちになってしまいます。自分もエネルギーを注いで展示を見るから、その分疲労も大きい。それなのに同じ博物館に2回以上行くなんて、無駄に疲れるだけだと思っていました。疲れるだけだし、ただつまらないんじゃないかって。

でも、今週は偶然にして、ベルリンのユダヤ博物館(Jüdisches Museum Berlin)に2回行く機会がありました。一回目は授業の遠足として、二回目はベルリンに遊びに来てくれた友達の案内として。3日間の間に、中一日空けて2回訪問することになったわけですが。

それでびっくりしたのは、「2回目のほうが博物館の中を見て回るのがはるかに楽しかった!」。自分にはめちゃくちゃ意外でした。
一回目来た時には気づかなかったような展示の仕方や内容、そしてそれを眼差す自分の心境の変化、とか、繊細な気づきがはるかに多かった。
自分の認識と心情の穴を埋めていく感覚?と同時に、展示物から受け取るあらゆる情報を取り込む自分の受け皿が一回り広くなったというか。
一回目に来た時は、情報が多くて、それらを取り込むのに必死であっぷあっぷしていたと思います。博物館の全体像が掴めていないから、目の前に現れた展示一つ一つに向き合うしかなくて情報の大洪水。一つの展示室を見終わっても、また次の部屋が出てくるとうわー、長いなーって内心思っていました。展示から受け取る情報全て覚えなきゃみたいな、全部自分のものとして内面化させなきゃみたいな?

でも普通に考えて、人間なのでそんなの不可能です。自分を過信しすぎ。そしておそらく、展示を企画する側も、別に解説文を暗記してもらうことを意図しているわけではない。
たぶん、数多くの展示を見て、展示物が能動的なメッセージの送り手/それを見る私は受動的な受け手となることよりも、展示物を見て、そこから受けた印象や私自身の感情の変化がいちばん価値があるものであるような気がします。個別具体的なひとつ一つの対象物に没入しすぎるというよりか、展示全体が発している何らかのメッセージから、私という人間の内面をいかにcultivate(耕す,開墾する)するかということ。その効果が必ずしも今すぐ顕現するものでなかったとしても、作品から見聞き感じたことは、自分の中のどこかに引っかかってて、時には自覚すらなしに、一人の人間としての自分の土壌を柔らかくて肥沃なものにしてくれるのかもしれない。
「展示を見て情報を吸収する」だけなら、言ってしまえばその気になれば誰にでもできることだけど、その展示から私が何を感じ何を考えるかは、私にしかないもので、だからきっと固有の価値があるものだと思います。大袈裟で自意識過剰な言い方をすれば、作品から受けるメッセージを通じて、私自身もまた作品に昇華される道を辿って、不可視だけど強固で相互のコミュニケーションが成立するのかもしれない。
なのでそんなに気張らなくていいんだよって、もっとのびのびしたほうが面白いものが見えてくるよって、自分に対して思いました。そう気づかせてくれたのは紛れもなくユダヤ博物館の素晴らしい展示のおかげなので、感謝と共にまたぜひ足を運びたいと思います。そして他の博物館にもまた行くべきだ、私は。

今回はここまで。
読んでくださりありがとうございました!またね!Tschüss!

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