なんでも見せればいい、というものじゃない
以下、安友志乃さんのことば。
何かをもらいっぱなし、というのは社会でもおかしいように、写真の世界でもやっぱりおかしい。
写させてもらったら見せて返す。
発表する、作品(つまり自分)を人前にさらけ出す、ということは、原始から人が持っている衝動です。
さぁ、写真を撮ろう🎶と、元気が出るが・・・
見る方の立場からすると、なんでもかんでも見せられても困る。とは言っても、黙って通り過ぎればいいだけなので、さほど困ることでもないが。
では、目を覆いたくなるような写真は論外だが、可もなく不可もなく、不快になるわけではないが、すぐに立ち去られる写真とは・・・?
撮った本人が被写体にさほど感動していない写真ではないだろうか。
なぜそれを見せるのかというと…、わたし、こんな美味しいものを食べたの!こんな素敵な温泉に行ってきたの!と自慢げに報告したいからだ。
そういう写真には、あぁ身も心もリフレッシュできた〜!幸せだぁ〜!という心が揺り動かされた痕跡が感じられない。どこがどう違うか言葉ではうまく言えないが、見る人は感じる。
さて、カメラの修理が終わったと店から電話があったので、雨が降っているが受け取りに行ってこよう。
心が晴れ渡った日ばかりではないけれど、幸せは探すものではなく気づくもの。カメラを持って歩けば、シャッターチャンスに当たる!撮った私にも、それを見てくれるあなたにも、虹が微笑むかもしれない。