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高井ゆと里の女子SPAインタビューを読んだ感想、後編

高井ゆと里氏の女子spaインタビューの後編はいよいよトイレ問題が取り上げられる。私は高井氏はトランスジェンダーはおかしな人々ではないという印象付けをするために故意に性同一性障害を持つトランスセクシュアルの人々とジェンダー議論で特権を得ようとしているトランスジェンダー活動家たちを混同しているように思う。


女性スペース問題論議は当事者を置き去りにしている

(トイレや温泉など、トランスジェンダーの人々の共同スペースの利用について)当事者のおかれている状況を理解しないまま、当事者不在の議論が行われていると感じます。トランスジェンダーとひとくくりにしても、さまざまな人がいます。たとえば、トランス男性(生まれたときに法的に登録された性別とは異なるものの、現在は男性という性別を生きている人)でも、すでに男性として生きている人だけでなく、「できれば男性として社会生活を送りたいが、周囲からは女性として認識されている」「これから身体を男性的に変えたいと思っている」など、一人ひとりの状況は異なるのです。 そんななか、例えば条例や学校・会社の規則でトランス男性は女性トイレしか使えないと決めてしまうと、すでに周囲から男性として認識され、男性として社会生活を送っているトランス男性は男性トイレには入れなくなります。「使えるトイレがない」という状態へと追いやられてしまうのです。

高井ゆと里

まず女性自認の男性が女子施設を使えるかどうかという議論では、女性たちこそ当事者である。当事者不在の議論というなら、女性たちを無視して、これがトランスジェンダーの問題だと考えることにこそ問題がある。

それからこういう問題で男性自認の女性を持ち出すのはTRAのお決まりの卑怯な作戦である。アメリカでも「ただおしっこしたいだけ」というキャンペーンでトイレを男女別にしてトランスを締め出したら男性ホルモンで髭ずら禿げ頭になったような女性たちも女子トイレに行くことになるがそれでいいのかと女性たちを脅していた。我々が問題にしているのは女子空間に入ってくる女装男たちのことであるのを十分承知していながらの卑怯なやりかたである。

私は公共施設の使用はなるべく問題にならない方を使うべきだと考えている。だから完全に異性としてパスする人はその容貌に合った方を使うべきだ。実は今まで社会に埋没していたトランスセクシュアルのひとたちは皆そうやって弁えていた。我々女性たちは女子トイレを使っている中にはある程度ニューハーフのような人達が居るだろうことは承知していたし、そこには暗黙の了解があったのだ。だがそれを台無しにしたのは高井ゆと里のようなトランスジェンダー活動家たちの方なのである。

女性として完全にパスする人が女子トイレにこっそり入っていたとしても普通は誰も気づかないだろう。ところがどう見ても女性に見えない女装男が女子トイレを使わせろと言って裁判まで起こすようになったから、トイレやお風呂や更衣室は身体の性別で分けろという法律が必要だという話がでてきたのだ。

トランス女性が女性用スペースを使うべきかどうかの議論がされるとき、ほとんどの人がイメージしているトランス女性というのは、「心は女性だと言っている男性の見た目をした人」なんですね。(略)
SNS上では「トランスジェンダーの差別がなくなったら、女性・男性ですと言えば誰でもそのスペースに入れてしまう」という意見があります。ですが、入れるトイレ、入れるお風呂がなく困っているトランスジェンダーが多くいる現実を知れば、その議論自体が誤っていることがわかるかと思います。 それに悪意を持って女性トイレや女湯に入る人たちは「トランス女性」ではありません。まったく別の人たちの話を持ち出していることに気づくべきです。

高井ゆと里

いや、トランスジェンダーと言えば完全にパスするニューハーフのような人ばかりかのように印象付けているのは高井氏のような活動家たちのほうである。それでいて女性たちが集まって女子空間を守ろうと集会などひらこうものなら、どう見ても女性には見えないケバケバし女装をしたこわもての男たちが黙れ黙れといって暴力的に邪魔しに来るのだ。

活動家が言うトランスジェンダーのイメージ


実際のトランスジェンダー、ロクサーン・ティクルス


トランスジェンダー活動家には二つの部門がある。一方は高井ゆと里や仲岡しゅんのように男性器付き自称女を女子空間に入れろなどと誰も言っていない一見まともなことを言う部門。もう一方で未手術の女装男を女子トイレにいれさせろと裁判まで起こす(そして勝ってしまう!)部門。

諸外国では自称女の男があらゆる女子空間を侵略し女性たちが刑務所や強姦被害者救済センターなどで性被害や暴力被害に遭っている。心だけ女の男たちが女子スポーツに参加して女子選手たちが大けがを負わされている。にもかかわらず、これらの男たちがトランスではないなどと何を根拠に高井氏は断言できるのだ?

罪悪感を使って批判者を黙らせようとする行為

(トランス女性の女性専用スペースの利用をめぐる橋本愛の「公共の施設で、身体が男性の方に入って来られたら、とても警戒してしまう」と言う発言について)トランスジェンダーに対して敵対的な気持ちをもっている人が、誤った情報や本来すべき話とは違った話を拡散することで、橋本愛さんのような影響力のある人に届き、さらにずれた議論が加速していってしまうのかなと。(略)このような炎上で芸能人が謝罪すると、「トランスジェンダーの人たちが黙らせた」という人が多くいます。当事者に発言権がないために、こうした不適切な問題設定やミスリーディングな言説が拡散されるのに、そこで差別を助長する発言をした芸能人が謝罪をすると、あたかも当事者に発言力があるかのように捉えられるのです。

高井ゆと里

こんなまともな発言をした人を寄ってたかって責め立てて謝罪させておいて良く言うよと思う。何が当事者に発言権がないだ。発言権がないどころかJ.K.ローリング女史のような著名人をキャンセルする力をもっているではないか。そして裁判でも次から次へとTRAの言い分が通っているではないか。いったい高井ゆと里のいう発言権のない当事者って誰のことを指すのだろう?

女に理解を求めるだけで解決策を提案しない活動家たち

(SNSでは)をバズらせるためにトランスジェンダーに関する偏見が利用されています。たとえば、「大柄でヒゲの生えた男性が自分を女性だと言い、女性トイレに入ってきてプライベートゾーンを見せたらどうするのか?」のように、当事者に向けられる偏見が言葉によって刺激されてしまうのです。トランスジェンダーについて発信する人も増えてきましたが、同時にトランスジェンダーの状況を無視するような言葉が急激に増えているように感じます。現状、トランスジェンダーであることをオープンにできる人は少なく、当事者には発言権がありません。

高井ゆと里

トランスジェンダーを差別しないとはいったいどういう意味なのか?それは女性を自認する男性を無条件で女子空間に招き入れることなのか?もしそうだとしたら女性のプライバシーや安全はどうなるのだ?

活動家たちは社会に向かって(特に女性に対して)トランスジェンダーについて理解しろと要求ばかりする。だが彼らのいうトランスジェンダーには色々な人々が含まれていて、いったいどの「当事者」の言い分が正しいのか一般人には全く理解できない。

高井ゆと里氏のような活動家が絶対に答えないのは、トランスジェンダーを女子空間に迎え入れた場合に女性を自認する「大柄でヒゲの生えた男性」をどう扱うのかと言う問題だ。すでに性犯罪を何度も犯したような男が去勢もしていないのに女性だと言い張って女子空間に入り込んでいる問題をどう解決するのだ?

もしトランスジェンダーの状況を考えてみようと思っている人がいれば、当事者の話を聞いてほしいですし、話をさせてほしいと思います。そして、時間をください。トランスジェンダーについての適切な情報が日本社会で流通するためには、まだまだ時間が必要だからです。

高井ゆと里

女性たちの懸念に対して何の答えも出せない人達の言い分をいったい我々はいつまできかなければならないのか?女性たちはすでに女子専用空間を失いつつある。女性こそが女子空間の当事者である。その女性たちを無視して自分らの理解ばかり求めるトランスジェンダー活動家の要求になど我々が耳を傾ける時はすでに終わったのである。

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