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ノンバイナリーやXジェンダーなんて性別はない、それはただの個性でしょ

最近はジェンダー概念が流行しているため、『なんとか自分もLGBTQ+というグループに参加したい、でもホルモン治療や整形手術なんて怖くてできない、そうだ!ノンバイナリー・Xジェンダーってことにしよう!』といってごく普通の人が自分たちは何か特別な性別であるかのように言い出すことが増えている。そしてこういった人たちがなぜかトランスジェンダー活動を牛耳るようになっているという。ま、その話は一旦置いといて、ノンバイナリ(NB)やXジェンダー(XG)なんて性別は存在しないという話をしよう。

私がトランスジェンダリズムについて色々書いてるせいで、関連記事としてNBやXGの人の話を読む機会が増えたが、彼らの話を聞いていると、彼らが言う「性別」とは単に性別ステレオタイプを拒否した人々の「個性」と言うだけの話である。つまるところ生まれた性別に関して「らしさ」に欠ける人たちのことをさす。

典型的なのは下記のような例。

女の子なのに子供の頃からいつも男の子とばかり遊んでいた。女の子の好むフリフリやピンクのドレスが嫌いだった。お人形さん遊びよりプラモデル作ったり、草野球やサッカーが好きだった。中学・高校でも制服のスカートがすごく嫌いだった。友達は男子がほとんどで女子からは嫉妬されたり、いじめられたりした。大人になってからも女性らしい恰好をしていないことで回りの人からもっと女の子らしい恰好をしろと言われた。

しかし自分の体については、自分が女性体で生まれたということに別に違和感はない。職場でいちいちカムアウトもしていない。書類などで女性とチェックすることも嫌ではない。職場では状況に応じて(TPO)に沿って女性としてふるまうことにも不快感はない。

いったいこの人のどこがノンバイナリやXジェンダーなんだ?単に社会が期待する典型的な女性像に嵌っていないというだけではないか。これは性別ではなく単なる個性である。

私の元職場は、テック系と言う仕事柄、職場はほぼ90%が男性であり、わずか10%の女性エンジニアたちもお化粧をべたべたしてフリフリドレスを着てるなんてひとは一人もいなかった。この職場でおしゃれといったら男女ともにポロシャツに上質のスラックスといった程度で、普段はTシャツにジーパンが普通だった。スカートをはいていたのは事務の若い女性たちくらいである。上記のひとの理論からいうと私も立派なノンバイナリ・Xジェンダーである!

私が思うに自分をLGBTではないのにQ+のどこかに当てはめようとする人は、自分は他人とは違う特別な存在でありたいと思っているだけだと思う。例えば性自認についてだが、XGを自称する、ある人のこの質問が面白かった。強調は原文のまま。

「他の人たちは自分の体についている性器を理由にして性自認してるのか?

この質問は前提が間違っている。普通の人たちは「性自認」など考えていない。普通の人は自分の体で自分の性別を認識しているだけであり、自分の心が男か女かなんてことは考えてない。

上記の女性は、最後にこんなことを書いている。

仕事だけの繋がりしかない関係でカミングアウトする事でもないと思っているし、親しい人間が理解してくれてればそれでいい。そういう考え方ができるようになって、疑問もなにもどうでも良くなった。性別を聞かれたらXジェンダーと答えて質問攻めに合うのは面倒だから肉体の性別答えておけば良い。女らしさを押し付けてくるような人には、今はそんな時代でもないと説けば良いんだ。のらりくらりかわして心の平穏を保っていきたい。

いや、まったくもって懸命な姿勢である。LGBTQ+の人がみんなこんな風だったら全く問題は起きないのに。つまるところ自分のことを異性と思うか中性と思うかは自分の中だけで解決し、自分を異性もしくはNB/XGだと思っている人として生きればいいのだ。それが個性というものだろう。

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