トランスフォビアと戦うには問答無用では駄目と気が付いたトランス活動家
私は以前から少数派が多数派と共存するためには次の三つのうち一つの方法しかないと言ってきた。ひとつは少数派としての弱い立場に甘んじて差別を受け入れたうえで、なるべく目立たないように生きる。二つ目は多数派の理解と協力を仰ぎ多数派と平等な立場として生きられるよう訴える。三つ目は財力や権力や暴力を使って多数派を弾圧して自分らの言うことを聞かせるである。そして私は明らかにトランスジェンダー活動家(TRA)たちは第三の方法を選んだのだと考えて来た。
TRAは最初からトランスジェンダー女性(男性)は女性(男性)であり、異性として扱わなければならないと主張してきた。異論に対してはノーディベート(no debate)と言って話し合いなど必要ない問答無用に自分らの要求を受け入れろ勉強しろと言い続けて来た。そしてそのやり方は概ね成功したように見えた。
職場でも学校でも人々が自分の好む代名詞や名前で呼んでもらえるようになったし、女装した男性が「心は女」といって女子空間に入り込み女性枠で活躍できるようになり、女子トイレも更衣室も女子刑務所もスポーツですら女性を自認する男性たちが好きなように出入りできるようになった。苦情を言う生意気な女たちのことはトランスフォーブと一括し黙らせることが出来るし、それでも黙らない女たちは社会的にキャンセルしたり文字通り暴力を使って心は女の男たちの言うことを聞かせて来た。まさにトランスジェンダー様々社会の出来上がり、めでたしめでたしである。
ところが最近欧米諸国で風向きが変わって来た。欧米各地でTRAにとっては不都合な「反トランス」の法律が次々に通り始めたのである。子供の性転換治療を禁止する法律が主だが、その他にも女性自認男性の女性刑務所や強姦被害者救済センターへの出入り規制や女子スポーツ参加禁止や、生得的女子専用のトイレや更衣室の設置の強制の法律が程度の差こそあれ、欧米各地で通るようになったのである。
そこでTRAの中には今までのような問答無用のノーディーべート作戦は効果がないだけでなくLGBTQ+界隈にかえって良くない感情を持つ人を増やしているのではないかと考える人が出て来た。そこでトランスフォビアと戦うためには敵側と会話を交わす必要があると言う意見が出て来たのだ。
このXtraというサイトに寄稿されたカイチェングトム(Kai Cheng Thom)によるこの記事To combat transphobia, we need to engage with the people who spread it | Xtra Magazineから読んでみよう。
著者のトムは「ジェンダー論批判gender critical」(GC)という考えそのものがイーロン・マスク、JKローリングなどによって産業となり、ジョーダン・ピーターソンやマット・ウォルシやポージー・パーカーなどがGCを使って自らの名声を高めていると指摘する。
そして社会にトランスフォビアが普通のこととして受け入れられるようになったのも恐怖と憎悪と嫌悪が社会で当たり前に受け入れられるようになったからだとトムは言う。しかしトランスジェンダーへのそうした感情は無知や偽情報からくるものであり、団結し協力しあうことでこの弊害は乗り切れるはずだとトムは言うのだ。
若いころのトムは批評家と話をすること自体時間の無駄だと考えていたが、最近になって多少歳を重ねた身となり、自分らを恐れる人々を味方にするには説得する方が将来のために良いと悟ったというのだ。人々をトランスジェンダーについて教育するのは自分らの役目ではないという考はどんどん通じなくなってきている、そのやり方では勝てないとトムは言う。
水を差すようで悪いが、今更そんなことを言っても遅い。我々ジェンダー批判か(ジェンダークリティカル)から言わせてもらえば、何の議論もせずに自分らの主張が絶対正義だという顔をされて権力や暴力を使って我々を散々弾圧して来たTRAによる説教など今更聞く気はない。彼らの最終的目標がなんであるかはっきりわかってしまった今となっては、彼らによる教育を受けるなどまっぴらごめんである。
もしTRAが私のいう1番から2番をすっとばして3番の選択肢を選んだりしていなければLGTBQ+αと一般市民との共存は可能だったかもしれない。だが今となってはもう無理だ。彼らがどんな手段を使って我々を騙そうとしても我々はその手には乗らない。
気が付くのが遅かったね。残念でした。
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