トランスジェンダー「社会の不寛容さ」って何?
本日こんな記事を見つけた。「社会の不寛容さ」が大きな壁に……LGBTQ+カミングアウトの課題 [メンタルヘルス] All About、記事の紹介部分はこちら。
性的マイノリティと書いてあるが、この記事はトランスジェンダーのみに焦点を当てている。中嶋医師はLGBTQ+のひとが「不要なストレスを一人で抱替えこむことなく、自分らしく生きていく上で、カムアウトは重要な役割を果たす」としているが、本当にそうなのだろうか?
中嶋医師は50代の女性自認のAさんという男性看護師を例に挙げている。この男性は幼い頃から性違和があったにも関わらず、周りにカムアウトしたのは35~6歳だったという。
実は私は子供の頃から性違和があったと言う人を100%信用しない。特に20代前半までその兆候を周りに全く見せていない人が(例えば普通に結婚して子供まで居るとか)中年になって自分は女性だと言い出す人はかなり疑ってかかるべきだと思っている。何故そう思うのかというと、私は中年になって突然自分は女だと言い出した夫やパートナーによって傷つけられた女性達、所謂(いわゆる)トランス未亡人の話をいくつも聞いており、これらの女性たちが口を揃えて言うのが、男たちによる歴史の書き換えである。
子供時分にはそんな兆候は全くなかったのに大人になってから自分はトランスだと言い始める男たちは、子供の頃に姉の服を借りて着たことがあるとか、周りにいた女の子たちに交じっておままごとをしたことがあるとか、女の子に囲まれて育った男の子なら一度や二度は体験したことのあるようなどうでもいい逸話を元に、自分は子供の頃から女の子になりたかったのだと記憶の上塗りをしてしまう人が多いのだ。
しかし中嶋医師は早期から異性であると自認している人が長い間カムアウトしないでいるのは「社会の不寛容さ」が要因のひとつだという。
私にはこの意味が全く分からない。Aさんは看護師だ。看護婦が女性だけだった昔ならともかく、現代の医療現場では男も女も仕事の内容はさほど変わらない。格好も最近の看護師の制服は男女同じである。看護婦さんは仕事上化粧や髪型や爪なども地味である。とするならば、Aさんが職場で「女として」仕事をするというのはどういう意味なのだろうか?
中嶋医師はAさんのような人が早期にカムアウトできないのは「社会の不寛容さ」があるとしているが、この不寛容とは何を指すのだろうか?35歳で職場でカムアウトしたAさんに対して、職場が見せなければならない寛容って具体的に何だ?
LGBとTQ+以降の人への「寛容」は受動的か能動的かという決定的な違いがある。LGBは単なる性指向であり個人の好みの問題だ。誰が誰を好きになるかは当人以外には関係がない。LGBに寛容であるためには雇用や昇進で差別せず社交の場でも他の人たちと同じように付き合ってさえいればそれでいいのだ。つまりLGBへの寛容とはその人がLGBだとカムアウトする前と後とで周りの人達の態度が全く変わらないという受動的なものだけでいいのだ。しかしトランスジェンダーの場合はそうはいかない。
個人が自分はトランスジェンダーだとカムアウトした場合、この人に寛容であるには社会はどういう態度をとればいいのだろうか?例えばAさんのように35~6歳まで男性だった人が突然女性だとカムアウトしたら、LGBの人がカムアウトした時みたいに周りの人たちがこの人をそれまで通りに扱うことは可能だろうか?Aさんが心は女だと言っても身体は男なのだから、今まで通り男子更衣室を使い男子トイレを使ってくれと言ったらそれは不寛容ということになりはしないか?現に経産省の役員が何の整形手術もせず戸籍も変えていないのに、自分が女だと言い出しただけで職場の女子トイレを使わせろと訴訟まで起こし勝訴してしまった例があるくらいだ。
トランスジェンダーの人が「自分らしく」生きられないことが彼らのメンタルヘルスに悪影響を及ぼすというが、じゃあ彼らが自分らしく生きることで我慢を強いられる周りの人たちのメンタルヘルスはどうなるのだ?男性と一緒に着替えや用を足したくないと思う女性達のプライバシーや安全は不寛容と言う名のもとに無視してもいいのか?
中嶋医師はトランスジェンダリズムは精神病ではないという。精神科の医者ともあろう人が性同一性障害(GID)が精神病ではないと断言するのは驚きである。しかもGIDに悩むトランスセクシュアルとGIDではなく単なる性癖であるトランスジェンダーとを一緒にしているというのも重ねて驚きだ。
確かに最近GIDは精神病ではなく精神疾患と書き換えられGIDの非病理化が進んでいるが、それはきちんとした科学的な研究の結果新しい発見があったからではなくWPATHのようなトランスジェンダー活動組織が医学会に政治的圧力をかけて精神病カテゴリーから外させただけであり、精神病であることに変わりはない。
Aさんが家で女装をしていたのを見た両親が精神科へ連れていくと言ったのは妥当な反応であり不寛容ではない。両親にしてみればAさんが自分は女性だと思い込んで一生「日陰者として」肩身の狭い思いをして生きるより、治療が可能なのであれば、持って生まれた自分の身体を受け入れ男性として生きることのほうがAさんにとっても社会にとっても良いことだとの判断だったのだろうから。
もし女性達の不安や両親の思いやりが「社会の不寛容」としてトランスジェンダーがカムアウトする「壁」になっているというなら、社会にとっても本人にとっても、その不寛容を守っておいた方がいいように思う。
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