ジャイアン

1961年生まれの創価学会3世です。創大10期。池田門下生の末席に座る男。

ジャイアン

1961年生まれの創価学会3世です。創大10期。池田門下生の末席に座る男。

最近の記事

お袋の臨終

私は心底驚いた。 当時は東京在住。私は27歳から5年間、鍼灸の治療院で働いていた。そこにある日、幼い、たぶん3歳くらいの女の子がお母さんに連れられて患者さんとしてやって来た。話の流れからして、おそらく創価学会員。 私が担当として診療室に入った。そして驚いたのだ。 初めて会う女の子のはずなのに、私はその子を知っていた。正確には、名前も住所も何もかも知らないのだが、私の「命」が「俺、この子知ってる」と叫んでいた。 それは女の子の方も同様であったらしい。何度も私の方を振り向

    • 親父の臨終

      それは崇高な表情だった。生前、ただの一度も見せたことのない表情だった。明らかに成仏の相だ。 なんだ親父。 お前、そんな顔もできたのか。 親父が死んだことよりも、そのおごそかな相の方に驚いた。 病院の看護師さんによると、つい15分前の見回りでは何ともなかったのに、次の見回りで心臓が止まっていることに気づいたと言う。驚いたのは病院側である。それまで全く危篤でもなんでもなく、数値も悪いながらも安定していたのだから。 (生きていれば)これからが一番苦しむ時期に入るところだった

      • お義母さんの臨終

        私の妻(二人目)の母親は、不幸を絵に描いたような人生を歩んできました。 30代での統合失調症の発症。夫に捨てられ、離婚後も金をたかられる日常。二度の乳がんで、両乳房の切除。糖尿病。そして認知症。 妻に言わせると、彼女が幼い頃の母親には、いつも壁に向かってブツブツ呟いているイメージしかないそうです。 私達の結婚当初、お義母さんは妻名義で借りていた市営住宅に住んでいました。しかし、糖尿病の上に認知症ですから、誰かが生活上の世話をしなければなりません。なので妻が、私と私の実父

        • ささやかな功徳の話、三つ

          私は自営業を営んでいました。これは、そんな時の、ほんのちょっとした功徳のお話。 第一話。 ある時、仕事がなくて困り果てておりました。仕事がない自営業なんて、ただの無職と同じです。 これではいかん! 祈ろう! 仏壇の前に端座し、題目を唱えます。こちらは仕事を得るまでは、題目をやめない腹づもり。 仕事をもってこい!と、一時間祈ったところで、仕事の問合せの電話が入りました。 いかんいかん!問合せ如きでは飯は食えぬ! 続けてもう一時間、祈ります。 すると今度は、仕事の見

          財務の話

          たぶん22才の時だったか、人生で初めて、自分の意思で財務(ご供養ね)に参加した。ちなみに創価学会の財務は強制ではない。 初めてのことではあるし、金のない貧乏学生でもあったので、一口分一万円を納金した。当時は金融機関での納金ではなく、支部長宅で納金手続きをしてたっけ。 さて、問題は二年目。 一年前の財務は、一口分一万円頑張った。だったら今年は昨年の二倍、二口分二万円に挑戦しようと決意した。さっそく、強盛な祈りも開始した。日々の生活も倹約に努め、お金が少しでも貯まるよう頑張

          仏壇がやって来たお話

          第二回世界平和文化祭が終わり、しばらくした頃のこと。 文化祭で大歓喜した私は、この思いをなんらかの具体的な形にしたいと思い始めていた。と、そんな報恩感謝の思いで祈りをささげていたその時、御本尊様を御安置している仏壇が気になった。 それは、学生寮を出て一人暮らしを始めた時に、創価学会員さんからいただいた、何の飾り気もない小さなお厨子だった。そのお厨子を見ていて、不意にこう思った。 文化祭でこれだけの功徳をいただいておいて、御本尊様をご安置する仏壇がこれでは、あまりに申し訳

          仏壇がやって来たお話

          創価学会3世の私に入信動機のある理由ーー追記

          一度「辞める」と言っておいて戻ったからには、もう二度と辞めないぞと決めた。もし仮に池田大作がペテン師ならば、俺は世界一のペテン師になってやろう。そういう心持ちで、私は創価学会員としての再スタートをきった。 信心は、基本からやり直そうと決めた。勤行・唱題もゆっくりと、発音やリズムを確かめながら行った。 行学の二道をはげみ候べしである。教学にも取り組んだ。やるからには本流から攻めようと、御義口伝の学習から始めた。冒頭の「南無妙法蓮華経の事」を拝読し、講義を読んだ。南無妙法蓮華

          創価学会3世の私に入信動機のある理由ーー追記

          創価学会3世の私に入信動機のある理由

          私は学会3世なので、創価学会への入信動機はなかった。 そう、なかったのだ。 地獄を見たあの時までは... 小学生、中学生の頃から未来部の活動には参加していた。担当の男子部員さんから御書を教わり、中等部の活動にも中心者として参加するようになっていった。 しかしだ、当時の私には信心の確信というものがなかった。なにせ、信仰から得られた功徳の体験がなかったのだ。朝の勤行をして学校に行った日は、なぜか一日調子が良いなぁという実感はあったが、信心の確信とまで言えるものではなかった。

          創価学会3世の私に入信動機のある理由