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100年後に残る文章を書けるライターになりたい

前回の投稿から少し間が空きました。
4月に入ってから2回目の更新となります。

「青天の霹靂」とはまさにこういうことなのでしょう。世間ではそれほど大きなニュースではなかったけど、私にとっては非常にショッキングな出来事がありました。詳細を書くのが辛いので思いきり省きますが、わかる人にはわかるはず。

正直なところ、まだ気持ちの整理がついていません。おそらく当分は無理かも。それくらい衝撃が大きくて、たとえるなら地球に巨大な隕石が落ちてきたような規模感です。

あぁ、人ってこんなに呆気なく消えてしまうのか」と、当たり前すぎる現実を目の当たりにして呆然としています。

本題はここから。

生物には寿命があるので、遅かれ早かれ誰もが死にます。つまり私もいずれこの世から煙となっていなくなる。そのタイミングは神のみぞ知るところですが。

確かに死は避けられない運命です。だからこそ「肉体が朽ちても、自分が生きた証を残す方法はないのだろうか?」と抗う気持ちもあります。

私ならば、100年先でも読まれるような文章を書きたい。万人に評価されなくてもいいから、誰かに感銘を与える記事を残したい。

たとえばレオナルド・ダヴィンチが名画《モナリザ》を描いたように。太宰治が小説『人間失格』を書いたように。何かしら後世に足跡を刻みたいと思うのは人間の性なのかもしれません。

こうしてnoteで文章を書き綴るのも、今の想いを記録しておきたいから。この瞬間にしか書けないことを切り取っておきたいという、根源的な欲求が根底にあるのです。

この記事が誰かの役に立つかはわかりません。ただの駄文かもしれません。お金が発生する記事ではないので、自分の気持ちがスッキリするならそれでよし。

とりあえず書きたいことを書いたので、今回はこれにて〆とします。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。また次回の記事でお会いしましょう~('◇')ゞ





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池田 愛|埼玉の取材ライター
これからも読者におもしろいと思ってもらえる記事を目指して書き続けます。 サポートしていただいた分は書籍の購入費用に充てる予定です。