予備校での会話や講評の中で頻繁に耳にする言葉の中に、他の場所では使わないような言い回しがあることに気づいた。 興味深くてメモしていたら溜まってきたので、(中には私の予備校だけの使い方や、逆にそこまで珍しくないものもあるかもしれないが)ここに載せておく。 【仕事】作業と同じような意味で使われる。 例:効率のいい仕事してね 【画面に入る】描き始めること。 例:あと10分くらいしたらみんな画面入りましょう 【単位】絵に描かれる要素の一つ一つを指す。大きさや形などがバラバラなほ
予備校の人たちの温かさに包まれて日々幸せでいさせてもらってる。受験が終わったらこれがなくなっちゃうと思うとさびしいな。口にはとても出せないけど、みんなで受かりたい。
絵ってこんなに難しいんだ!ということを最近感じることが増えた。 幼い頃から描くことは好きで、もちろんこれだけ勉強していたら前より上手くなっているはずだけど、絵が難しいと思ったのは人生で初めてかもしれない。 手を描くのが難しいとか目を塗るのが難しいとかはあったけど、絵が難しいって。 例えば、画面の雰囲気を出すのに注力していたら明度計画が曖昧になるし、色づかいに気を付けたら形が疎かになるし、自分の感覚に正直になりすぎたら人に伝わらないし。 一度に全部の項目を高水準に持って
お久しぶりです 年度が変わってから更新が滞っていました。 今は高3になって、美術予備校のデザインコースに毎日通っています。 月〜金、夜間3h。 デッサンと色彩構成の繰り返しです。 春期講習で、初めて試験本番に近い形の色彩構成を体験して、なんだこれは…… とフリーズしていました。 2年生でやったものとはやはりレベルが違う、課題につく条件が増えていたりして、とにかく難易度が上がったと感じました。 周りは美術科高校に通っている子など、経験者がゴロゴロいて、彼らの作品はと
自分のこの目の悪さは異種不同視というらしい。今日調べてみてようやくこの言葉を知った。単なる不同視と違って珍しいらしく、具体的な事例がネットに載っていない。大丈夫なのだろうか。ひょっとして、世界は本当はもっと立体的に見えるのだろうか?致命的な気がする。
年末から通い始めた予備校もあっという間にカリキュラムが終わり、春期講習までしばらくお休みだ。 最後の課題は自画像だった。 考える時間はあったのだけれどイマイチ思いつかず、なんとか今できることを活かす方向で挑んだ。 全体講評で選ばれたし、楽しく描けたが、帰り道ではもう次のことしか考えられなかった。 もっといいのが描けたはず。 例えば、 夕焼け、カーブする坂道、春風、雨の日の信号、腐った果物。 もっといいのが描けるはず! 世界はモチーフで溢れかえっている。 その取捨選択
赤本見たらやる気湧いてきた
「絵に正解なんてない」 それこそが描くことの魅力であり、同時に受験生がもがく理由である。 いや、予備校に通い始めて2ヶ月くらい経って思ったのだけど、美大受験に正解は ある。 でも、それが芸術の正解ではないというか。 芸術の正解、というならそれを採点するのは自分自信で、先生や社会ではない。だから生み出された作品はみんな一つ一つの正解なのだ。 個人的な感情として好きだと思う作品、制作の意図を聞いてなるほどと感心する作品、それが講評で選ばれないことなんてザラにある。 そし
講評で選ばれたいとか、上手いと言ってもらいたいとか思う気持ち 褒められるために描いたら終わりやろ、と自分が言うけれども、そもそも褒められるためにこうする、なんて器用なことはできない それができるということは、褒められたくなかったらこうする、という別のやり方を持っている人だ 初心者の私は一枚に対して全力でやって、その結果褒められるか褒められないか、だけなのだ
美術予備校 冬期講習 二日目 石膏像を初めて描く。 静物デッサンは、簡単なモチーフでなら描いたことがあったけれど、石膏デッサンは完全に初だった。 これでいいのか、これでいいのか……と渋々手を動かしているうちに、いつの間にか画面の中にメディチが来ている。 柔和な表情を描きたい、と思った。 ラスト10分になった頃、コントラスト弱いなあと思いつつも下手に塗り重ねて現状を壊してしまうのが怖かったから、適当にハッチング。内心もういいやと投げやりになり、お腹が空いていたのでおにぎり
はじめての美術予備校 冬期講習一日目 ・木炭紙版のパネル、想像以上にばかでかい。 何に使うのかと思っていたら、どうやら画用紙をクリップでパネルに挟んで、イーゼルに立てかけて描くスタンダードがあるらしい。 ・出欠確認で名前を呼び捨てされてビビる。 ・教室には15人くらいいたが、意外と在校生が多く、初心者は少なかった。 私は絵画教室に通っているとはいえ予備校自体は初なので、レクチャーは受けておくことにした。 そうしたら一時間くらいかかったので、スタートが遅れた。講評にも一時
「あそこは軍隊だからね」 今度美術予備校の冬期講習に行きます、と絵画教室の先生に伝えたときに言われた言葉だ。 絵画教室では、質問があれば先生に気軽に尋ねられるし、先生から声をかけてくれることもある。 しかし予備校は、始まるや否や「さあ描いて」と手を叩かれ、見よう見まねで描き、最後には講評されるかもしれないしされないかもしれない……というなかなか厳しい社会らしい。 「ブルーピリオド」を読んだことがあるので、なんとなくそんなイメージはあるが、そのイメージこそが私を美大受験に
先週は二回絵画教室に行った。 パースを学ぶ目的のデッサンで、今までの課題よりも段違いで難しい。 まずはエスキースを描いてから、画用紙にアタリとして落とし込んでいくのだが、目に見えている形と手が描き出す線がいつまでも一致しない。 こっちを気にかければあっちが狂う。 の繰り返し。 しかもデッサンって個性があるらしい、ということが最近わかった。もちろんパース含め「正しさ」はあるのだけれど、みんなが一枚の「正解」を目指しているわけではないようだ。 全員が上手い人で全く同じモチー
素敵な絵を描く方がたくさんいる中で、「この人独学でこんなすごい絵描いているの!?」というケースもあれば「美大卒だ、さすが上手いな」というケースもあると思う。 もし美大に入れたら、私は数年後「美大出身の人」になる。 さらに仮定を重ねて、イラストレーターになったとする。 そうすれば「この人は美大出身だから絵が上手いんだ」という評価や判断を少なからず受けるだろう。(……上手くなっていることを願って) 作品と学歴は関係ないといえど、事実として美大に入学が決まった時点でいずれ「美
はじめまして。突然n番煎じのタイトルですみません。 先日美大受験をしようと決めた現高校二年生です。 大人になった時に当時の気持ちを読み返したいなと思って受験記をつけることにしました。 個人情報に関わる要素をどのくらいのラインまで書くかはまだ迷っているのでわかりづらいところもあるかもしれませんが、美大受験に興味がある中高生や、受験生という生き物の心のうちを見てみたい方は、どうぞお付き合いください。