読書中/銀河英雄伝説列伝 1: 晴れあがる銀河/ネタバレ
クロスフォリオにアカウントを作ろうと努力しているのだが、いわゆる林檎がまるでダメな件で無駄にファイルをあちこちやって、どうにもならんので遊びに来た。わかるか。クロスフォリオ民じゃないとよくわからんと思う。
というわけで最近泣いた本の話をしようと思う。銀英伝のトリビュートで、これ割と最近、やっと入手したんです。誰か目当ての作家がいたんですが忘れてしまった。
ふと気が付いたらゼーガペインの高島雄哉がいるんですね。まだ私ゼーガのエンタングルの次のやつ積んでるんですよ(ある種の病癖なんです。好きでも見たくないという種類の)(よほど嫌な目に逢ったんだと思ってください)
で、おお短編!とか思って読んだんですよ。ええと、舞台ですね。
「星たちの舞台」泣きましたねえ。泣きゃいいってもんじゃない、それはわかりますが泣いたものは泣いた。
私、真剣に抒情的な青春に弱いんですよ。
高島さんはややそういう傾向があるのか…いやゼーガ読んだので青春当たり前なんですが。
何がってねえ、物理学の人たちなんですよ。作中人物が。会話が段々抽象的に哲学してゆくし、まあ…つまむように概念だけ話すからわからなくて当然なんです。わからない話をしている男女の学者が、わかりえないということを、この世のすべてはわかりえない。近づいたのはおそろしく近づいた。でもこの瞬間、これは光年には続かない、つまり学説なんて意味がない、それでも、
もうわかりますか?エルメロイⅡ世シリーズの世界なんです。
不可能性が前提での、恋にすらならなかったという種類の、青春なのかどうかも怪しいという、認識論です。
私はこういうのにめちゃくちゃ弱いんです。
でですね、どこがいいというのは…ヤンがヤンっぽくないんです。
ヤンて酒飲みてイメージがあって。紅茶にはブランデー。めんどくさがり。すぐ話をかきまぜてごまかす、みたいな(微妙な照れ症)
そうじゃなくてもっとまっすぐなんですね。
芝居をやれと言われても無言でOK(つまり前提)。女装をしろにも異議なし(効率的だと認識するから)。
たまらないのがですね!
馴れない芝居の上演に多少上がっているんですが、脚本家に「大丈夫か?」と問われて「覚めるのが怖いな」って言うんですね。
わかるんですよ。覚めたらあと台無しだし、もう戻れない。すると芝居は台無し。自分ももう戻ってこなくなる。
そういう感覚あるんですよね。
つまり、
それが青春なんです。
夢は覚めたら現実で、二度とその夢には戻ってこない。
そういう感覚ってあると思うんですよね。
あとはまあ、気が向いたら読んでください。私もまた、ちょいちょい自分のガードの隙をくぐって読みますよ。
ところで、仕事用の安ノーパソにUSBキーボードを繋いでいるのだが、これがロジクールの踏み込みのやたらと深いキーボードで、カターンと打たないとキーが打てない。
最高だ。速度が上がる。
あと最近私、忙しいのとメンタル不調で朗読(音読)で済ませることが多いんですが、音読するその瞬間に文章をアレンジして読むようになりました。
高齢者に読んであげるときとか、その年代の語彙にアレンジするわけです。
この癖もう戻らないと思う。