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深夜の励まし明け方の救済


 noteを書くつもりになったのは自分にとってこれが「遺書」のつもりな気がしてならないからだ。
せめて楽しかったことを綴りたい、なるべくポジティブな言葉で。
それがきっかけとなった。
身体の痛みに支配されて生きているこの何年だが、痛みを訴えれば訴えるほど医師にも看護師にも全く伝わらない。 「痛みだけはわからないからなぁ…」 と目の前に絶望の二文字が緞帳のように降りてくる、いや落ちてくる。
ひとりの闘いはいつの間にかわたしをクレーマー化に変えた(らしい) 。
大きな手術からわたしは戻ってこられるのだろうか?こんなヤワな精神力で。 次こそダメな気がするのだ。
一昨日の朝方、関西の友人にこの一年のことを話す。
初めて「辛い」と泣いた 。
「ネスちゃんを頑張ってるね、という人は誰もおらんの?頑張ってるやん」
「おらん…」そう呟いて、あぁ誰も頑張ってると言ってくれない事実はこんなにもつらいんや、とこの何年の闘病生活が走馬灯のようにぐるぐる廻る。
一番欲しい言葉をくれたのは関西の友人だった。

もうつらい気持ちを理解してくれるひとがいたのだから終わりにしよう、終わりだ限界だな。 明け方、大雨の警報レベルが上がり雷がバリバリと鳴り始めた頃に関西の彼女からメッセージが飛んでくる。

「ネスちゃん、追い込まれてるやん…」

欲しかった言葉でわたしはわたしを終わりにするのをやめた。 まだ理解してくれる人がいる、まだいける。
時計は午前3時を回っていた。

これだけの会話で彼女はあの明け方のわたしを救ったことを知らない 。
人のなにげない一言は絶望を抱えている人間を救うのだという事実をどれだけの人数が把握しているのだろう。
わたしはまだ生きていて、ここに「遺書」を書き始める。

美しい思い出を自分の人生から掬い上げながら 

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