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海士町で生き方を模索した
仕事選び
初めは興味のそそられるプロジェクトがいくつかあった。私はチームで動きたかったし、0→1で何か形に残ることを自由にやって自分の力を試したかったから事業所では無くてプロジェクト勤務を選んだ。
プロジェクトそれぞれに色があって、華やかそうな組織、個性が強そうな組織、温かみを感じる組織。どれも素敵で迷ったけれど、最終的にはどんな人と働きたいかで決めた。
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個性の豊かな島
島に来てより感じる部分ではあるけれど、自分自身個性の強い人間では無いので、しっかりとしたキャラクターがあって自分らしさが滲み出ている人を見てはとても憧れるしいいなと感じる。
そういう個性ある人達に圧巻されてしまっている。島で生き残る人たち・島の中で影響を与える人達というのは、こういう人達のことを指すのではないか?
自分は、自分らしさを出せているのか?
話が脱線したけれど、自分は自分を咲かせる場所を間違えてしまったのだろうか?
つくづくそんなことを考えている。
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"置かれた場所で咲きなさい”
来島した時は、どんな仕事でも快く引き受けて、置かれた場所で咲くんだ。そう意気込んでいたし、実際に置かれた場所で咲こうと努力した1ヶ月だった。
自分なりに試行錯誤するも、やはり最初の違和感って当たるのだなと感じた。
なんとか必死に苦しさを紛らわすための、小さな楽しさや喜びを探し続けた。
束の間の苦しさは紛らせたけれど、現状は変わることなく心の負担が増えていく。
いつしか疲労困憊になり、心の限界に気付けなくなっていた。
事業所が不向きならば、プロジェクトで自分の能力を発揮したい。そう思って、熱量を100注ぎ込んだ。実際に、プロジェクトでも進行しているイベントをやっていくしかなく、8月後半になると自分で使える自由な時間さえ見失ってしまった。
自由な時間の無い余裕の無さが、
自分にとっては苦痛で、本音に従ってやりたい事をやる・余白時間でアイデアを練るということが出来ない状態になることは避けたいと強く感じた。
もちろん、プロジェクトではチームで動いたり、自分には無い視点に驚かされたり、仲間と話し合う時間が有意義だったりと、ここでしか得られない価値を頂けた。
そこの部分は一人では得られなかったものが大きくて、感謝すべき部分。
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私にとっての、仕事のやりがい
だけどずっと、"自分は何でここに居るんだろう。誰の何の役に立って居るんだろう。3ヶ月で何が残せるんだろう。”そんなことばっかり考えて、自分の存在意義を見失っていた。
それは、仕事に対して存在意義を見出そうとし過ぎているのかもしれない。
私は仕事に対して、自分がどれだけ貢献出来ているかをやりがいに換算し、自分の幸福度と結びつける節がある。
だけどそうすると、自分のやりがいや存在意義を外部に頼ってしまっている部分を否めないし、置かれた場所で咲くだなんてとうに出来なくなる。
ここでまた、自分の生きづらさに直面するとともに、将来の仕事でも似たようなことで悩むのかなと感じては苦しくなった。
友人からは、"やりがいを求め過ぎているよね。もっとのらりくらりやってみたらどう?”と昔も今も助言をもらうのだが、どうもそういった楽観性は身に付けられない性らしい。
そこの部分において、深く考えすぎずに楽観的でいられる自分とは真逆の性質の人に羨ましさというか清々しさを感じるけれど、そうはなれないと完全に割り切ってはいて。
"誰の為に生きるのか?”
自分のやりがいである、貢献感を得る・他者から必要とされるというニーズは、ボランティアの方が得やすいのかもしれないと度々思う。
物質的に満たされた世の中で、"何のために働くのか?"その問いを見つけるのは自分しかいないし、人生における最大の問いかもしれないけれど、その部分を満たせる職に就きたいと考えている。
これから先、自分の幸福度を上げるために動きたいと思うし、その為になるべく妥協はしない姿勢で挑みたいと思う。それが自分のために出来る大切なことであり、自分の為に生きるということにも繋がってくると考える。
今まではどこか、"人の為に生きている。"そんな感覚が先行していたけれど、自己犠牲にならない程度に人の為に動きたいと思えているし、それが巡り巡る自分の幸せに繋がっていることを認識出来た。
だから、人の為に生きてもいい。
それは、自分の喜びであり、幸福であると気付けたから。
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