好きな食べものってなに?
誰かとごはんに行くときなど「好きな食べ物ってなに?」と聞かれることがあると思います。
今でこそ言えるようになりましたが、昔は好きな食べ物を言うことができませんでした。
(お寿司もラーメンも焼肉も「おいしい!」と思うのに、です。)
それは「好き」のレベルを勝手に上げすぎていて、「おいしい!」と思っていても「好き」ということができなかったからです。
自分の中では、
「限りなく一番おいしいと思うもの」=「好きな食べもの」
という式が勝手に出来上がってしまっており、おいしいものはたくさんあるけど、一番とまで言えるものがなかったために好きな食べものを言うことができませんでした。
少しでも「おいしい!」と思えば「好き」と言っていいのに、とてももったいない考え方をしていたなと思います。
でも、昔はそんなことに気づくことができず、やたら考えすぎていました。
しかもこの考え方は食べものに限りませんでした。
私が小学生のとき、世間ではモーニング娘。が流行っていました。
(モーニング娘。の表記が間違っていたらごめんなさい。)
周りの友人は「〇〇が好き」、「△△が好き」と堂々と言っている中、自分はどのメンバーが好きなのか言うことができませんでした。
当時の私の頭の中では、「ゴマキがかわいいと思うけど、なっちもかわいいな。でも周りでなっちが好きな人がいないしな。そうなると誰が好きとは言えないな。」と思っていました。
これは先ほどの食べもののパターンと同じく、
「限りなく一番かわいいと思うメンバー」=「好きなメンバー」
という式が出来上がってしまっており、かわいいと思うメンバーは2人いるけど、一番がどちらか決めきれなかったために好きなメンバーを言うことができなかったのです。
加えて、「周りに同じメンバーを好きな人がいない中、自分がそのメンバーを好きと言ったらどう思われるのかな?」と不安になってしまったことも言えなくなっていた理由の一つでした。
今だったら「なっちとゴマキが好き!」と堂々と言えると思いますが、当時はそんな発想をすることができませんでした。
このように昔は考えすぎで、そして自分がいいと思ったものが周りにどう思われるのかを気にしすぎていて、「好き」が言えないシーンが多くあった気がします。
深く思考したり、相手にどう思われるか(相手がどう感じるか)を考えたりすること自体はもちろんいいことだと思います。
ただし、過度に行うことで自分の意見が言えなくなってしまったり、興味あるものが分からなくなってしまったりしてしまうと、それはもったいないことだとも思います。
好きなものは堂々と言えるようにしていきたいですね!
最後に、、、
いまの好きな食べものは塩パン(バター多め)です。
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