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愛猫はエイプリルフールにやって来た
四月一日は、なんか特別な感じが重なり合っているような実に不思議な一日です。
年度替わりでもあるし、エイプリルフールでもあり、新入学や入社式、人によっては転職記念日であったり、勇退記念日であったりもする。
僕にとっては、そこにさらに「愛猫の誕生日」というイベントが加わるからなおさらちょっと特別な感じが増してきます。
一言で表すと、なんとなく「気分が落ち着かない」といったところでしょうか……。ついとりとめの無いことばかり考えてしまうんですよね。
桜はもうとっくに散ってしまいましたが、来年の今頃の風景が早くも浮かんできたり。愛猫と一緒に眺めた春うららかな庭で過ごした風景が鮮明に思い返されたり。
時空が行ったり来たりで……。
明日になれば、それもまたしっかり〝今〟というところに僕の意識を引き戻してくれるはずですが、やはり四月一日は自分にとって何かが違う気がします。
仏教では僕が今この瞬間も感じているその「今」について、その瞬間こそを最も大事にしましょうと教えられます。「今」が充実すれば「過去」も、それが持っている意味合いをよりよい方向へと舵を向け直し、結果、「未来」という「今」にまでもその流れが引き継がれていきます。
一秒前はもう無く、一秒先はまだ無い、わけでありますが、「今(のわたし)」が大切にされていると、そこから振り返る「過去」の(わたしが辿ってきた)風景に対する見え方も、やはりそれに応じて変化してくるものなのです。
時に、一生懸命に努力し丁寧に生きていても〝報われない感じ〟がすることもきっとあることでしょう。
しかし、他人や社会からたとえ評価されなくても、自分自身が「今」という時間の中で必死に取り組んだことの素晴らしさは、自分が一番わかっているものです。それが自分の中に誇りとなり、支えとなって自分という人間に唯一無二の魅力を与えていくはずなのです。
もしかすると、僕にとっての四月一日というその一日は、そんなふうにみんなが必死で脇目も振らずに頑張っている「今」という位置から、僕をちょっとだけ異なる時空へ道草に連れ出して、「さあ少し気分をリセットしてみましょうか」とのお誘いをしてくれているのかもしれません。
明日よりの「今」がまた、より善いものになるように、さて今日の過ぎゆく「今」を丁寧に過ごしたいものです。ニャア(ФωФ)
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