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『子どもの道くさ』 がバズった日

#子どもの道くさ #東信堂 #水月昭道 #高学歴ワーキングプアからの脱出

僕が20年前から取り組んできた「子どもの道草」研究をもとにして、2006年に上梓した著書「子どもの道くさ」(東信堂)を、ひとりの読者がとりあげて「面白い」とTweetしたところ、12.6万のファボ♡がつき、「読みたい」という多数の声があがり、絶版状態であった本が動き出すという夢みたいな出来事が起こったのが2020年07月17日のことでした。本稿はそれに関連するお話を記します。

記念すべき最初のTweet

その最初の記念すべきTweetは2020/07/16になされました。

岡田悠さんという、本書(「子どもの道くさ」)の読者が、その面白さを発見してくださり独自の視点と表現により上記にあるようなTweetをしてくださいました。

その瞬間からじわじわと広がりつつあったリツイートの動きは翌朝にかけて加速していき、17日の日中から18日にかけて止まるところを知らない勢いで拡散されていきました。その夜にやっと落ち着き始めた頃にはすでに10万以上ものファボ♡がつき、「読みたい」という声があちこちからあがっていました。


ところが、本書は絶版状態であったために容易には手に入りません。中古本市場ではこの動きをうけて値がつり上がり、一時は30万円以上もの高額な値札がぶら下げられたのでした。


著者である私のところにも、下記にあるように購買希望者からの打診が増えたため、版元へ繋ぐことにしました。すると、すぐに動いてくださり、Amazon等で定価販売をしていただけるよう手配を進めてもらえることになりました。


なぜ、「子どもの道草」研究は始められたのか?

本研究は、時代がついに21世紀に差し掛かろうとする、そんな世紀をまたぐタイミングで実施されたものでした。

その頃、地域社会における、子どもの「安全・安心」スローガンが、それこそどこまで高まっていくのだろうかというくらいに、世間における危機意識が醸成されはじめていました。子どもを取り巻く環境に危機が迫っていると世間は感じていたのです。実際に、子どもが巻き込まれるセンセーショナルな事件が起こっていたせいでした。

そんな風潮のなか、なぜあえてこんな道草の研究などを進める必要があったかといえば、ひとつには、地域社会があまりにも「安全・安心」に過敏になりすぎることはかえって子どもの発達環境上によくない影響を与えるのではないか、という問題意識からでした。

もうひとつには、今ここでこの研究をしておかねば、もう今後同様の研究をする機会はなくなるだろうとの予感もありました。安全・安心のスローガンのもとでは、地域に大人の目が光ることになりますから、子どもが彼らだけの時間のなかに居ることでしか果たせない道草などはきっと消えざるを得ない、と思ったのです。

まだ昭和の香りを色濃く残すその頃における子どもたちの生態を後世に残すことはこれが最後のチャンスになるはずだと考えました。そんなことが原点となりました。

道草への視点が少し変化——こども環境学会・横浜大会

スタートこそ順調に見えたこの研究でしたが、学会で発表すると「あなたは子どもに道草をさせようというのですか」というような非難めいた意見をもらったりして、先行きに不安を感じました。当時、このような研究を受け付けてくれる学会は、日本建築学会や人間・環境学会(MERA)といったところでした。

そこではさまざまな厳しいご指摘も受けましたけれども、それでも諦めずに、学会誌へ論文を投稿したり発表を繰り返していると、潮目が変わる瞬間に立ち会えることになりました。

2004年に設立された「こども環境学会」は、子どもたちをめぐる地域環境や健康問題、教育環境などをトータルに議論する場として大変な熱気のあるところでありました。そこで、満を持しての2007年横浜大会にて、道草をテーマとしたプログラムが組まれたのです。

特別シンポジウム「道草のできるまちづくり―車社会から子どもを守る」

わたしも登壇して、道草研究の発表を豊富なデータを用いつつ熱い気持ちで語ったところ、そのセッション終了後になんと文献ブースに平積みされていた「子どもの道くさ」(東信堂)が一瞬にして蒸発したのです。

なにか潮目が変わった瞬間を感じました。


結局、大きな脚光を浴びるまでに20年を要した

子どもの発達環境を議論する場において、その道の専門家らはさまざまな角度から望ましいと考えられる環境について考察を深めます。道草もまたその意味で、価値あるもののひとつとして捉えられはじめたのです。

しかし、世間の感覚は未だ異なっていました。

実際に起きた事件などの衝撃は簡単には消えず、漠とした不安が渦巻くなかでは、到底、子どもたちの道草を是認しようなどの空気にはならないのです。

当然、それを取り扱う「子どもの道くさ」もまた黙殺されることになりました。

2006年に出版された本書は、専門家らには好意をもって受け止められましたが、一般にはあまり浸透しませんでした。それは、全国紙などで大きく採りあげられても変化は現れなかったのです。

それから、14年後の2020年7月16日のことでありました。本書を手にしたひとりの読者が一本のTweetを発信。わずか3日で10万ファボ♡を大きく超えたのでした。

足かけ20年、ついに「子どもの道草」研究は、日の目を見たのです。



「役に立つ」ことは本当に役立つのか

研究や文筆を長くやってきて思うことがあります。

世間ではとかく「役立つことをやれ」という発想が強いわけですが、それは本当に役立つのだろうかという疑問です。

研究であっても、出版活動であってもだから近年は特に、最初から見込みを立てて「これが当たるだろう」というところでの勝負をかけざるをえないわけです。予算の無駄遣いをするなというプレッシャーも当然ながらあるわけで……。

ところが、そこには罠があって、人間が予測できることなど所詮限られていますから、結局蓋を開けてみれば同じようなものばかりが生産されていきかねないのです。

昔の研究者は、今と比べてゆったりとした時間のなかで、それから研究予算もまだ余裕があったこともあり、それこそ時流を追いかけるようなことから距離を置いた、それこそ何の役に立つのかわからない研究を熱心にやったものです。

それらは、それが必要になる瞬間までは世間などからまったく顧みられることはありませんが、ある時がくれば、その研究があってよかったという立ち位置に浮上してくるのです。

このコロナ禍においても、本来であればそうした研究が浮かび上がってくるはずでした。しかし、国からの研究予算が毎年のように削られ続けるなかで、安定的な雇用環境も守れずに、若手研究者はほぼ40代になるまで非正規雇用や、たとえフルタイムでも任期付き雇用が当たり前となって久しいわけです。

そうした厳しい環境のなかでは、当然ながら先のような〝ゆとり〟を前提とした研究など進めていけるはずもないわけで、一見耳障りのいい「選択と集中」という名の下にそれ以外の研究は切り捨てられていきます。

しかし、集められた研究には他と違った突出した独自性を備えるものがどうしても少なくなるわけで、それが、このコロナ禍においても有効な手立てがなかなか打てずに居る遠因ともなっていることは否定できません。

もしかしたら、切り捨てられてきた研究のほうにこそ、この危機を切り抜けるために役立つ芽が内包されていたかもしれないのです。

役立つというのではなく、面白がることが重要

思えば、道草研究も「役に立つのか」という視点との戦いの連続でありました。

へそ曲がりの私は、こうしたことに何か一矢報える視点を提示できないだろうか、とそれからずっと考えてきました。

ひとつ分かったことは、最初から「役に立つ」という前提の設計をはじめると、そこから面白さがどんどん消えていくということでした。

むしろ、最初は全然何の役に立つのかもわからなかったけれど、後からいろいろ調べてみると、「どうもこんな風なところで有用性が浮かび上がってくるようだ」、というような形でそれらは浮かび上がってきたほうが面白みが増すような気がするのです。

そうなのです。キーワードは「面白い」ということ。

このコロナ禍でわたしたちが学習したことは、合理的・目的的になりすぎるとその範囲を超えた想定外の事態が起きた場合に対処の方法が限られるということでした。

そうしたリスクを回避するためには、多様なポジションをとっておくことでしょうが、そのためには「それ一本」というような資本(労力・資源)の集中投下ではなく、それを分散させていくことが望まれます。

その時に何がそうしたポジションどりの際の中心的視点となってくるでしょうか。

個人的には、理由はないがなんとなく面白そうだぞ、というものに張るのがひとつの手立てになるのではないかと思うのです。

今回の道草本を出版業界のなかに落とし込んで考えてみると、そのことがまたよく理解できそうです。

この本をだす時に「売れそうなテーマ」などという思いは全く頭に無かったのです。ただ、これを今やっとかないとこんなに面白い現象はもう二度と見られなくなるぞもったいない、という思いに駆られてすすめたわけです。あるいは、安全・安心一辺倒でこんなにも面白いものが全く見られなくなるのは惜しいぞという感情のほとばしりもあって。

実際、なのでもっと広く世間の人にこの面白さや素晴らしさを知ってもらおうと、新書版を考えたのですが、その際には「売れそうもないから」という理由で老舗出版社に出した企画は却下されています。

ところがある日、道草の面白さを発見してくれる人がふと現れたのです。

そして、個人が世間に情報を発信するツールもかつてとはもはや比較にならないほど充実していました。

結果、たったひとりの読者の「面白い」という呟きが、あっという間に大勢の人の共感を呼び、絶版状態にあった本書が突如として生き返ったわけです。無論、著者も大いなる喜びを得ました。そして、出版社もいろんな意味で助かっていることでしょう。

そこに埋もれているのにまだ誰も気づいていない面白さを発見して、それを発信してくれるような個人(読者)の影響力は、これからますます大きくなるでしょう。それは、いつ何が当たるかわからないという楽しみを世の中にもたらしてくれます。また、誰もが主役になれることをも教えてくれます。

コンテンツの作り手は、だからこそ、自分がとことん楽しめるものを手がけていくことが重要になるでしょう。要は、あまり最初から計算ずくでいく必要はない、ということでしょう。

僕も、自分が面白いと思うものを、これからも臆せずに手がけていければと思います。

今回、僕の「子どもの道くさ」(東信堂)のなかに面白さを発見してくださった、岡田悠(@YuuuO)さんに改めまして感謝申し上げます。

以下は、出来たてホヤホヤの著者の最新刊です!よければ!
こちらは、著者が一番苦しい時期に悩みながら、そこから抜け出すために書いた本です。タイトルはあえてのアレですが、読後感はすっきり軽やかを目指しました!本書も絶版なのですが、実は相当に力を入れて書いています。皆さんの声で再版になったら嬉しいです。中古市場の値段が微妙に動き始めているのがまた気になるところ……。



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三毛猫と博士
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