献辞に愛猫の名が入るに至った物語
#高学歴ワーキングプアからの脱出 #光文社新書 #水月昭道 #三毛猫 #猫
みなさん、こんばんは。「道くさ博士」 です。
今宵は、愛猫ミャアさんをえらく思い出すのでお話をわずかばかりさせていただければと思います。
近著である 「高学歴ワーキングプア」からの脱出 を執筆していたときのこと。もろもろヘビィなことが重なって僕は心身共にヘトヘトになっていました。
そんな時にソッと僕の前に現れて「背中を撫でていいよ♡」ポーズをとったり、「ゴロンゴロン」と癒しの舞いを見せたりして、僕をひたすら助けてくれたのがこの愛猫でした。
思えば愛猫は、僕がしんどい時には、どういうわけかそれがわかるのか、いつもソッと寄り添うように現れては黙して身体をひっつけてきました。
僕は毎回静かに彼女の背中や頬を撫でます。すると、不思議にそれまでのストレスがスッと消えていくのです。
そうして彼女に癒やされながら、抱えていたものを脱稿したのが2月のことでした。夏頃には刊行になるかな——。などとその後の展開を楽しみにしていると、もう本当にあっという間にそんな初夏に差し掛かりました。
その頃、愛猫が何か少しいつもと違う様相を見せ始めました。高いところに上らなくなったのです。僕が横になっていると胸の上に乗るのが趣味だったのに、それすら少なくなりました。
僕は、「暑いからだろうな」と呑気に構えていたのですが、ふと歩いている姿に違和感を覚えたため慎重に観察していると、ほんの僅かに左前足を踏み出すときのリズムにズレを見たのです。
気になってビデオにとり、すぐに動物病院の先生に相談をしました。
「一度、診せてもらえますか」ということで、急ぎ診察に行きました。
先生は丁寧に触診してくださり、「恐らく、高齢のために関節痛が少し出ているのかもしれません」と、一旦は帰宅して様子を見ることになりました。
しかし、足のほうは相変わらずで、加えて食欲まで落ちだしたのです。夏バテもあるのかもしれないと思い、好物のパウチなどを幾種類も買い揃えて飽きが来ないようにお皿に盛りました。
ですが、思ったように食いついてくれません。いつもなら、よろこんで喉を鳴らすのですが……。
彼女が餌を食べる時にいつもそうするように身体をソッと撫でていると、左肩のあたりが微妙に膨らんでいる感じが掌に伝わってきました。
すぐにまた先生のところへ診察へ赴くと、「念のためにレントゲンを撮りましょう」と提案されました。
その映像がモニターに現れると先生は途端に難しい顔になりました。
肺の所に気になる丸い空洞のようなものが映っていました。それをペンで指して、「これかもしれません」とこちらを見ながら言いました。
その後、各種検査の結果、恐らくリンパ腫でそれが転移していると思われますとのことでした。
目の前が真っ暗になります。
先生によれば、かなり強い抗がん治療をしても、もって二百日程度とのことでした。しかも、ウチの子の場合、肩にも腫瘍が出来ており水も溜まり始めていましたから、場合によっては肩からの切断という説明もなされました。
彼女の年齢は十五歳。猫としてはもう寿命に近い。人間なら齢七十六歳を超えたくらいです。僕はそのことを先生に尋ねました。
「恐らくそれもあるでしょう」先生は目を伏せがちに答えてくださいました。
僕は愛猫の顔を見て語りかけます。「君はどうしたい? 苦しい治療に耐えてもう少し僕と一緒にいたいかい? それとも苦しい思いはやっぱり嫌かい?」
そうした愛猫との深刻な会話を幾晩か続けたある日、彼女がミャアと啼いてこちらを見ました。その思わぬリラックスした表情に僕の腹は決まりました。
——もう寿命だもんな。その年になって肩を切り落とすなんてそんな痛い思いなんかしたくないよな。
「骨は拾ってやる」
覚悟を決めて、先生にお願いしました。
「緩和治療でお願いします。残りの期間をなるべく心地よく過ごさせてやりたいのです」
それから二ヶ月ほど、彼女は本当によく頑張ってくれました。暑い夏がやっと終わり九月になってすぐのことでした。ホッと安心したこともあったのかもしれません。
静かに極楽へ還っていきました。
新刊の出版はスケジュールがずれ込んでいて、まだちょっと先になることがわかっていました。
彼女のお骨を拾いながら、僕は自分のこの愛猫に対する感謝の気持ちを何か形にして残せないだろうか、と考えていました。
<ミャア>
懐かしい声が耳の奥に蘇ったその時、僕の中に天啓が降りてきました。
「献辞にミャアの名前を入れたいのですが……」
編集長にそんな相談をしたところ、快諾を得たのです。