見出し画像

七つのロータス 第15章 ヴィヴィア

 第1章へ

 捕虜の尋問に立ち会うため、ゾラは久しぶりに族長の館に戻った。帝国軍の指揮杖を持つ将軍、サイスと食事を共にする。明日の戦闘に備え、酒宴が設けられることはなかった。
 まず虜囚が皆、サッラと同じ言葉を話す、という報告があった。それは敵もまたサッラやタラスの人々と同じく「草原の民」の一族である、ということを示している。だがそれだけでは何もわからない、ということに変わりはない。この広大な草原がどこまで広がっているのか、そして「草原の民」がどれだけ遠くまで住んでいるのか、知っているものは誰もいないのだ。
 捕虜の中で最も雄弁だ、という者が引き立てられてきた。傷の手当てと食事を与えられてから、再び両腕に縛めを受け族長の前に跪かされる。戦いと虜囚としての扱いの中でほとんど流れ落ちているが、戦いのため全身に彩色を施したのであろう、赤い顔料が体の所々に残っている。
「貴公、名前は?」
「ハラート族のヴィヴィア。ウム支族の出身だ」
ゾラの問いに、ヴィヴィアは毅然と顔を上げて応える。かなり聞き取りづらいが確かに草原の言葉であった。
「そなたらは、なにゆえ我らの土地を侵そうとする?」
「我らが大首長、ドゥルランダの命令ゆえ」
「ドゥルランダはなにゆえ、我らが土地を侵そうとするのだ?」
「農耕民への軽蔑のゆえ」
「そもドゥルランダとは何者か?」
「我らが大首長、ドゥルランダはウム支族の首長であった。馬の群れを愛し、どこまでも広がる草原を愛し、征服と略奪に血潮を燃やす最も草原の民らしき男である。
「故にドゥルランダは西より伝わる農耕の習慣を嫌悪した。農耕と共にもたらされる惰弱なる習慣を嫌悪した。本来自由であるべき魂が、土地に縛り付けられる事を嫌悪した。過剰な食物が、人々から勇敢さと獰猛さを奪うことを嫌悪した。何よりも、神聖な肉体を土にまみれさせる事を憎悪した。それは多くの民の想いと同じであった」
聞きながら、ゾラは視線を周囲に飛ばした。広間の中央を囲むように並べられた敷物の上では、この尋問に立ち会うことを許された者たちが、じっと捕虜に視線を向けている。その中には将軍サイスをはじめとする、幾人かの帝国軍の隊長たち、そしてサッラに臣従する遊牧民たちも含まれている。ゾラは、サッラの民も農耕民化しつつある草原の民であることを思った。この男が今語った言葉は、草原の民を魂から揺り動かす内容を含んでいる。この男に話を続けさせることは危険だろうか…?
「ドゥルランダは言った。『農耕民は、我ら真の人間のために略奪されるべく造られた生き物なり。馬と共に生きる民として生まれながら、土に交わることはまかりならぬ』だが既に土によって穢れた者どもは、この命に従わず。よってドゥルランダはこの者どもを誅した。そしてウム支族が本来の生活を取り戻すと、ハラート族の別の支族にもウム支族に倣うよう求めた。この言葉に従う支族があり、従わぬ支族があった。ドゥルランダに従わぬ支族は、正しき生き方の敵としてこれを討った。堕落した者どもは、正しき生き方を取り戻したウム支族の敵ではなかった。これによりドゥルランダはハラートの十支族を束ねる大首長となっ た。
「続いてドゥルランダはその目を西に向けた。『農耕を伝える者は、西より来る。西を攻め、農耕する者どもを討ち滅ぼさぬ限り、我らに対する誘惑は止むことがないであろう。』ドゥルランダの言葉に、ハラートの男たちは皆、武器を取った。堕落した者どもが滅び去った以上、ハラートの男は皆、馬を駆る勇者であっ た」
ゾラは苦笑した。血の気の多い若者などには、けして聞かせられぬ言葉だ。きっとドゥルランダの元へと馳せ参じようなどと言い出す者がおるに違いない。この場には、帝国の将軍を除けば、壮年に達した男たちばかりだったのは幸いだった。いずれアルタスも現れるだろうが、このような考えを聞いて、あれはどう思うだろうか…。
 ゾラはもう一度、堂々と自らの部族について語る捕虜に意識を戻した。
「だが、貴公らの軍勢には、ずいぶん多くの歩兵がいたようだが?」
ヴィヴィアは口の端を歪めて笑って見せた。
「連中は勇者の名には値しない。卑しい者どもだ。
「我らはドゥルランダの指揮のもと、西へ西へと向かった。その途中で出会う隊商は襲い、一人旅の者も襲い、獣も襲った。食い物は奪い、酒も奪い、金銀や玉の飾り物はその場に打ち捨てた。我らの身を飾るのは、戦いの化粧さえあれば充分であるからだ。
「我らの行く手に町があれば、これを滅ぼした。町があるのは農耕の証拠。惰弱なる民だけが自らの住処に塀をめぐらすのだ。町こそは農耕を、堕落を周囲に広める病根。これを見過ごして先に進む事などできない。数多の城壁をめぐらした都市が、我らの前に門を開いた。我らは滅ぼした町を奪い、焼き尽くした。逆らう者は殺し、怖れに震えているだけの臆病な者どもも殺し、自らすすんで敗者の運命を受け入れた者どもだけを奴隷として受け入れた。この連中が我らと同じく騎馬にて戦う栄誉に値すると考える者は、ハラート族には一人もいない。この去勢されたような男たちは、草原の民の誇りである馬を奪われても、馬に次ぐ財産である女たちを奪われても、逆らう事も自ら死を選ぶ事もできぬのだ。嘆かわしいとは思わぬか?」
ゾラはなにものかが肌の上を走り抜けてゆく感覚を覚えた。けして新しい人間とは言えないゾラにとっても、相手の言い分は感情移入しにくいものだ。しかし もっと古い時代、ゾラの祖父、そしてまたその祖父の時代、あるいは口伝の英雄物語の時代には、確かにサッラの戦士階級も同じような考え方をしていた、ということもゾラは思い出していた。
「それは、気概のある男たちを、全て殺してしまった当然の結果ではないのか?」
ゾラの言葉にヴィヴィアは暫く考え込むような顔をしていたが、やがて大声をあげて笑い出した。
「まったくだ!確かにその通りだな」
無邪気と言ってもよいような、朗らかな表情だった。

 ネムが寝台の敷布を広げ、寝台の上に広げなおそうとしていると、ロティも部屋に戻ってきた。
「あらあら、ロティが戻るのをお待ち頂けなかったのですか」
「いいのよ、このくらい自分でするから」
ネムは手を止めずに答えた。
「でも、それでは私の仕事が無くなってしまいます」
ネムは初めて手を止め、ロティに向き直った。
「ばかおっしゃい。一日中、必死で働いていた人が何を言うの。明日もきっと忙しくなるから、お互いゆっくり休まないと…」
ロティはまだもの言いたげな様子で立ち尽くしている。ネムはそのロティに、笑顔を向けた。
「戦いが終わったら、またお世話になることにします。だから今夜のところは、ロティももう休んで。ね」
 ロティが何か言いかけた時、館の下女の一人が部屋の戸口に姿を見せた。会話が途切れ、二人の視線が下女に集まる。女は一瞬、言葉を失ったような表情を浮かべたが、すぐに用件を口にした。
「お休みのところ申し訳ありませんが、族長からご用があるとの事、お越し願います」
「わかりました」
ネムは一度脱ぎ捨てた長衣を拾い、素早く身支度を整える。女官の後から部屋を出て行くネムには、当然のようにロティが従っていた。

 館の広間では、ゾラをはじめとするサッラの人々が敷物の上に座り、部屋の中央には五人の男が両手を腰の後で縛られて、跪かされている。部屋の二箇所でかがり火が焚かれ、人々の大きな影が壁にゆれていた。
「そちらへ」
ゾラに促されるままに、敷物の上に腰を下しサッラの人々と並ぶ。捕虜の尋問になぜ呼ばれたのか。ネムの心中に幾つかの恐ろしい想像が浮かぶ。
「何人もの捕虜から話を聞いてきたのだが、この者たちについては、そなたにも居てもらった方が良いかと思ってお呼びしたのだ」
何人かを挟んだ向うからゾラが声をかけた。ゾラの手前に座るアルタスは、眠たそうな目を自分と捕虜との中間くらいの床に向けている。ネムが姿を見せた時に 一瞬顔を上げたが、すぐにその姿勢に戻ってそのままだ。ゾラの向こう側は見なれぬ装束の男、ことによると帝国の人間かもしれない。
「この者たちはタラスの出身者だと申しておるが、確かだろうか?」
 ゾラはネムが一通り状況を把握するのを待って、声をかけたつもりだったが、ネムはその言葉の意味を最初、まったく理解できていなかった。
「何故、タラスの人間が縛めをうけているのですか?」
「今日の戦いの捕虜だからだ」
ネムは弾かれた様に視線を五人の男に向けた。目が大きく見開かれている。
 ネムは立ちあがり、ゆっくりと部屋の中央へと歩を進めた。部屋の周囲を固めていた衛兵たちが、敷物の上に並ぶ人々の列を抜けて、ネムの周囲につく。捕虜たちは近づいてくるのがネムだと悟ったのか、身を縮め頭を床に届くほど低く垂れた。
「あたしがわかりますね」
ネムは一番前にいた捕虜の前で床に片膝を付き、相手と視線をあわせようとしたが、虜囚は縛めを受けた体でできる限り、身を低く伏せたままだった。
「はい」
捕虜は囁くよりも小さな声で応えた。
「顔を上げなさい」
相手は長く躊躇していたが、無言で待つネムの姿に負け、遂にその言葉に従った。
「あなたの顔には、見覚えがあります」
ネムは抑揚の無い声で言った。
「宮殿の衛兵をしていましたね」
捕虜は再び顔を伏せる事はしなかったが、それでも脇へと視線をそらした。
「そうですか、あなたがた侵略者はそのように何年も前から、タラスを攻める準備をしていたのですね」
捕虜ははじめて顔を上げた。
「それは…、違います!」
「何が違うのです」
「俺は…、いや、私は正真正銘タラスの人間です。ハラートと名乗る侵略者に捕らえられ、脅されてその軍勢に加えられていたのです」
ネムは顔を歪ませながら、勢いよく立ちあがった。
「恥を知りなさい!いくら脅されたとはいえ、タラスを攻め落とした者たちに従うとは!そしてあたしが恩を受けているサッラに刃を向けるとは!」
「お許し下さい!ネム様がサッラにいるとは知らなかったのです!それにサッラはタラスにとっては長年の敵国。ハラートに荷担することは苦しく思えど、サッラに対しては何の義理もない、と私たちが考えたとしても不思議がありましょうか!」
ネムは憤りに身をふるわせた。怒りにまかせた言葉がほとばしるのを、押さえられなかった。
「あなた、サッラの方々の前で、そんな事を!このサッラで保護を受けているタラスの難民は、あたしだけじゃない。百人を越えるタラス人が、ここで食事と寝床を与えられているのです。そして、それどころではなくなってしまったとは言え、サッラのゾラ様やアルタス様はあたしたちが、タラスを、あたしたちの街を取り戻すのにも力を貸してくれようとさえしてくれていたのですよ!」
捕虜は再びひれ伏した。
「しかし…、しかし…、タラスでは女子どもが人質に捕らえられております。気まぐれな刃の元で、身を縮めて震えておるのです。いったい、俺たちに何ができたでしょうか!」
言葉の最後は涙声になっていた。ネムは相手が震わせている肩に右手を置いた。
「今はタラスに残っている者たちよりも、自分の命の心配をなさい」
ネムは立ちあがり、ゆっくりとした足取りでゾラの前に進み出て跪き、両手を床についてひれ伏した。
「何と言ってお詫び申し上げればよいのか…。タラスの者たちが、敵に強いられてサッラに弓を引いたとは!タラスの多くの者たちがサッラから恩を受けている事を思えば、許しがたき所業ではございますが、なにとぞご宥恕を願います」
 ゾラは無言で横を向き、落ちつかなげにネムとゾラとを交互に見たアルタスに、軽く頷く。アルタスは頷きかえし一歩進み出て、ネムの側らにかがみ、その手を取った。
「そんな事はしないで、と初めて会った時にも言った筈。サッラの者は誰も、これ以上あなたの憂いが増える事を喜びはしないから」
アルタスは微笑もうとしたが、顔が強張ってうまく表情をつくることができなかった。
 ネムはアルタスに促されるままに顔を上げ、その顔を見つめた。

 第16章へ

もしサポートいただけたら、創作のモチベーションになります。 よろしくお願いいたします。