逃げ上手の若君オープニングに思う。
逃げ上手の若君のオープニングを見ていて気が付いたんですが、オープニング曲の「プランA」の歌い出しは「アロマチックな歴史通り、ドラマチックな教科書通り」で、少し先には「結末はやるかやられるか運命通り」という歌詞も出てきます。
これで思い出したのがアニメ「平家物語」のオープニング曲「光るとき」。こちらには「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても」という歌詞があります。
明るい「逃げ若」と、最初から悲しい美しさを見せつけてくる「平家物語」。この両オープニングが同じことを語っている、というのはちょっと意外でありながら、でも考えてみれば必然のようにも思えます。
小説であれ漫画であれ、歴史物を書こう/描こうとするならば、どうしてもストーリーの自由度には限界があります。まあ歴史物に見せかけたSFや、歴史物に見せかけたシュールギャグならその限りではないのですが、歴史物というジャンルの中に留まろうとするなら、歴史上明らかな事実を捻じ曲げるべきではないです。
主人公に据えた人物が史実で死んだ時に「実は死なずに逃げ延びた」なら作中の辻褄の合わせ方次第であり得るのですが、史実で敗北した側が勝利してその後の歴史の流れが変わってしまうような内容になると、歴史物だと思っていた読者が白けてしまいます。ただそこを白けさせない技量の持ち主なら、何をやってもいいんですが。
「逃げ若」に話を戻しますと、主人公がどれだけ頑張っても、足利尊氏と後醍醐天皇を倒して鎌倉幕府再興とはならないでしょう。どうもそれに気づいてから、純粋に主人公・時行の活躍に胸躍らせつつも、ちょっとしんみりした物を感じてしまうんですよね。
ここから歴史物だと思わせて歴史改変SFでした、という展開を納得させられる力業を見せられる可能性は限りなく低いと思うんですが、実は「プランA」の歌詞で「運命通り」の直後にある「抗い」がその含みではないかという気も少しだけしているのです。
そういえばタイムリープで人生をやり直すアニメである「東京卍リベンジャーズ」のオープニング曲の「Cry Baby」には「腐りきったバッドエンドに抗う」という歌詞がありますね。
オープニング曲について語ってきたので、エンディング曲についても少しだけ。初めてエンディング曲「鎌倉STYLE」を聞いた時、「和歌集随筆たしなんで」の部分でよそ見をしていて、歌詞を読んでなかったんですよ。それで「若衆を嗜む?何だそりゃ、衆道的な話か?」と思ってしまった事は、ここだけの話です。
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