愛が無くても絶望しなくていいんだよ

 父が死んだ。たしか5年くらい前だったかな。如何せん、俺は時の流れに疎くてさ。

 父は今で言うサブカル男子、みたいなやつで、けっこー由緒ある家に生まれたくせに、エリート意識とかが皆無で、でも地頭はそれなりに良かったんだろうな、六甲にある国立大学を卒業して、デカい海運会社に勤めてた。なんでそこに決めたのか聞いたら、当時のサブカル界隈的なとこでは海外を放浪するのが流行ってたらしくて、でも自分じゃなく他人の金で海外に行きたかったから海外出張が多い仕事を選んだんだって。で、父からしたら仕事と趣味を兼ねてるわけだから、ほんとーに仕事のことしか頭に無くて、ずーっと海外にいるし、休暇中も出張先の周辺をずっと旅してた。年末くらいしか家に帰ってこないし、もちろん気の利いた土産なんか買ってこない。たまーに、あれ、今日は家にいるじゃん、と思ったら、現地のマフィアみたいな人らの喧嘩に巻き込まれそうになったとか、そんな本当か嘘か分からない話ばっかしてきて、でも、そんなしょーもない土産話を聞くのが、俺はすごく好きだった。

 でも父は、自分のことしか好きじゃないみたいだった。案の定、家族仲は最悪で、父が帰ってくる度に母の怒声が家中に響き渡ってた。でも、そらそーだよって感じなんだよな。普通の親なら出張があれば事前に家族に報告くらいするんだろうけど、父は何も言わず知らん間にいなくなってて、いつの間にか帰って来てんの。つまり小さい俺と姉の育児とか、家のことはぜーんぶ母がやってた。

 それで、俺が高校生のときに、父にガンが見つかった。それから何度も寛解と再発を繰り返して、父は仕事を休んで家にいることが増えた。言い訳なんだけど、大学受験を控えた姉と俺は勉強しなきゃいけなかったから、療養中の父の面倒を見るのは必然的に母の役割だった。当然、母は不満や怒りが鬱積して、死ね、殺す、とか、酷い暴言だけじゃなく、暴力もふるうようになった。父は何も抵抗しないんだけど、何もしなさすぎたんだ。介護してくれてるのに感謝の言葉一つすら言わない。いつもありがとう、の一言さえあれば全然違っただろーにさ。俺は、金はあるんだから、施設に入れるか、離婚しよう、お互いにとってそれが最善でしょって何度も訴えたけど、それは全く聞き入れてくれなかった。金切り声を聞く度に、こんな家、早く出ようなって、姉に耳打ちした。

 ただ父も、身体中ガンだらけで、多分、起きてる間はずっと死ぬほど痛くて苦しかったんだと思う。なのに俺は父の弱音を一つも聞いたことが無かった。いつも自分の部屋で一人でエルトン・ジョンとかボブ・ディランのレコード聴いててさ。あと全然分かんないんだけど、ジャズとか。俺が父と仲良さそうにしてると、母が不機嫌になるから、いつも目を盗んで部屋まで話しかけに行ってた。そしたらすげー嬉しそうに歴史とか、音楽の話をしてくれるの。あと、昔、霞が関の大層イケてるオフィス街で、派手にうんこ漏らした話とか、そういう小学生しか喜ばないようなやつ、ほんとしょーもないんだけど、俺、そういうの大好きだからめちゃくちゃ笑っちゃうの。

 俺の受験はまあ無難に終わって、東京の大学に行って、そのまま就職した。父が死んだって連絡を受けたのは社会人2年目くらいだった。もちろんすんごい悲しかったんだけど、このとき、ほんと最低なんだけど、母の心労が減ってくれて良かった、なんて考えちゃったのを覚えてる。それに母は仕事柄、身近な人の死に触れる機会も多いから、仲が悪かった人間が一人くらい死んでも平気だろう、というか、面倒な患者が一人減ってせいせいしてるんじゃないかって、思ってた。でも、葬儀が終わった後に、母から一度だけ、電話があってさ。いや、特に何も無いんだけど、ってしきりに言うの。うちの母って普段はすっごい実際家で、用も無いのに電話なんかかけて来ないし、さすがに心配になって、どーしたん、ってずっと聞いてたら、もっと、長生きしてほしかった、って言ったの。あの、あの母さんがさ。

 そのとき、やっと気付いたんだよ。母と父の間にも、愛みたいな分かりやすい、綺麗なものじゃなかったけれど、それらしい何かが、確かにそこにあったんだって。俺は、離婚しろだとか、父が死んで心労が減って良かったとか、2人の間にあるもの全部無視して、ただ楽になれたら良いって、そんなことばかり考えてた。でも、俺は間違ってた。父が死んで、初めて気付いた。

 自分で言うのもなんだけど、俺の家族って外から見たらみんな優秀だし、けっこー完璧に見えると思う。でも内情はこんなもんで、みんな不器用だった。多分、誰しもがそうで、不器用なくせに、永遠とか、真実の愛とか、躍起になって探して、でも当然見つからなくて、いつも絶望してるんだ。でもわざわざそんなことする必要、無くてさ。愛が無くても、絶望しなくていいんだよ。人っていうのはどうやら、何かが一つ終わったときに初めて、何かが一つ分かるようになってるらしい。愛みたいな分かりやすいものじゃなくて、何か、だけど。この世には永遠なんて無くて、この絶対の真理を人は常に恐れるけれど、失うのは怖いことばかりじゃないみたいだね。


 余談だけど、遺品整理のときに父の手帳が出てきて、中を見たらパソコンのパスワードが手書きで書かれてた。うわ、パスワード書いちゃうとか、マジで老人じゃん、ってちょっと笑って、でもその数字をよく見たら姉と俺の誕生日だったんだ。何もしてくれない父だったけど、そういえばなぜか誕生日だけメールが届いてた。俺は父に、おめでとうなんて言えたこと、あったかな。

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