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shift | 2022-09-15

9月ももう半ばになりました。相変わらず日中は30℃近かったりと残暑も厳しいものの、オフィスの中にいると気が付きませんが、外は夏の終わりと秋の始まりが混じり合っているような塩梅なのでしょうか。先日は中秋の名月ということで月が綺麗ですね、という言葉が飛び交っていました。インターネット・ミームに汚染されているせいで、文字通りに月がきれいだということを受け止められずに、色々な解釈や大喜利に転換してしまうという悲しい人も多かったことでしょう。人間はそれほど高等な生き物ではないので、身近なインターネット・ミームにすぐに脳が汚染されてしまうのです。さておき、月の満ち欠けや天体ショーといった宇宙規模の変化に比べると地球の温暖化というのは一瞬の変化であり、人類の歴史というのは壮大なようでいて儚いものだということに思い至ります。秋というのは物思いに耽る季節であり、まさにそんな遠大な宇宙と自己という卑小な存在を対比させつつ、人生について思いを巡らせるのにぴったりな時期であります。

今の家には浄水器的なものがないので、夏になると水道水がぬるくてまずいと感じるのですが、そのせいか素麺を茹でて水で濯ぐ際にも、どうにもぬるくて清涼感がないと感じてしまいます。冷蔵庫でミネラルウォーターなどを冷やしておいてそれで濯げば変わるのかもしれませんが、そんなエビアンでお風呂に入るみたいなことをする余裕はないのです。そんなこんなで素麺を茹でる機会もそうそうないままに夏が終わろうとしており、これではいけないと思い先日意を決して素麺を茹でたのですが、麺つゆに工夫をしてみようと思い至り冷蔵庫にあったトマトジュースを麺つゆにして食べてみたら冷たいし、意外と良かったです。まあ麺類にトマトは合いますよね。毎年義母から缶入りのトマトジュースが箱で送られてくるのですが、これで使い道が一つ見つかりました。あとはカレーの水分を野菜からでる分とトマトジュースだけにしてみるとかもありますよね。そういえばあまりの暑さに今年はカレーもろくに作っていない気がします。暑いというのは料理をする気力を奪っていくのでやはり良くないなと思いました。

このところ原点回帰というか改めてテクノを聞いているのですが、何がテクノで何がハウスで、何がテックハウスなのかみたいな線引きはさておき、世界には色々なスタイルのエレクトロニックミュージックがあるということがよく分かります。電子音楽は嫌いという人もいるのは存じ上げておりますが、キノコもJAZZに食わず嫌い的な距離感をもっているので、まあその辺の感性というものはどのようなものに親しんで育ってきたか、ということによるのでしょう。人間の好みというものは、育ってきた環境、経験によって形成されると言われておりますし、好みというのも気分によって変わるけっこうあやふやなものです。大人になるということは自分のこうしたあやふやさ、曖昧さへの耐性というものを許容することなのかもしれませんし、食べてみたら美味しいかもしれないじゃないか、という可能性に対する寛容さというものを自らに求めるということでもあるのかもしれません。何事につけ、変節を受け入れるというのは老いていく過程で必要な作業であり、自己像を変に固めてしまわないようにするというのも、よく老いるというためには必要なことなのではないかと思われます。というわけで、テクノに限らず新旧の心地よい音楽というものを探し求めているわけですが、何十億とあるであろう音源にどう向き合うのがよいのか、というのを効率というのを抜きにして考えていきたいと思う次第です。ちなみにBandcampで音源を買う際にも円安の影響というのは大きく、先日の7ドルが1,000円!という驚きはこんなところでも感じることができます。

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