幻想 | weekly vol.0094
「だから言ったじゃないか」
これは私が嫌悪している彼の口癖の中でもトップに位置するセリフだ。
この一言には自分は予めこうなることを予知していたという傲慢さと、それを忠告にも関わらず実行し、予知された結果を甘受せざるを得ない私への嘲笑が込められており、とにかく言われると腹が立つのだ。それなのに私は反論もできず、呆然としてしまう。しかし、そのような日々も間もなく終わりを告げる。そう、私は彼をおいて一人で旅に出るのだ。遠い遠い場所へ、それこそ何ヶ月もの間連絡もせずに。現実逃避というのは実際に物理的にも遠く離れなければ意味がないと私は思っている。目の前の現実を受け入れるのではなく、思考の世界に逃避する、というのは逃避ではない。時間も距離も全て、遠く、遠く逃げてこその逃避であろう。できることなら海が見たい。日本海でも、太平洋でもいい。
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彼女は音読をやめると窓の外に目をやり、スマートスピーカーに波の音を再生させた。
知り合いの開発者によるとこれは実際の海の波の音を録音したものではなく、人間が海の音、と感じる音を合成しているのだという。実際には存在しない海の波の音を、我々はみな波の音として認識するというのは興味深い。最大公約数的というか、集合無意識的というか、まあ人類に共通の波の音感というものがあるのだろう。平均的な何か、象徴的な何かというのは実は存在しないということがある。数値のデータ上では平均値を出すことは瞬時にできるが、その数値に当てはまる人間は実はいないということはよく言われることだ。まあ平均値の人間を対象に何かをするというような判断をすること自体がナンセンスなわけだけれども。
多様化を促進した結果、世界の分散は大きくなったと言われている。いわゆる分布はなだらかになり、左右への広がりはより大きくなった。平均値近辺の人は少なくなり、差が大きくなったということだ。新たな統計学上の概念もいくつか発見され、世界を捉える方法も多様化しつつある。同じ人間だろう、という感覚は薄れつつあるのかもしれない。人間という概念の拡張は、拡張現実と、身体感覚の拡張、義体の進化によって進められ、また、肉体を捨て去ることによる電脳化を通し、意識以外の肉体的な特徴による区別というものがあまり意味をなさなくなった。言語を捨て去ることにより動物の感覚に近づくような生活をする人も増えた。言語を捨てるという選択は一部の人にとっては衝撃的であった。人間を特徴づけるものの一つだと長い間信じられてきたものを捨てるということがどういうことを含意するのか、俄には想像できなかったし、コミュニケーションとはなにか、という重大な問題提起だとも受け取られた。面白かったのは、言語を捨てた人々と言語を捨てなかった人たちの意思疎通のためのプラットフォームの出現だ。非言語コミュニケーションというのは、古代においては人間と動物の間で行われていたことであるが、人間同士のコミュニケーションにおいても非言語化という要求が生じるということに科学者も技術者も色めき立ち、とはいえ、一方で非言語側の人間たちのフィードバックにより概ね正確な意思疎通が可能なことが判明したことは重要なブレイクスルーだった。あいにくこの図書室には言語化されたデータおよび書籍しか残されていないのだが、今や全世界で蓄積されているデータの80%は非言語データということになってしまった。
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キノコです。
鬱症状も休養期間を経て比較的安定しつつあり、低位ではあるものの飛行はしているという状態です。幸いdailyもいまのところ継続できており、うでさんがいくつかストックを作ってくれていたおかげでなんとか乗り切れているという感じで、これには感謝せねばなりません。
娘1がそろそろ真剣にお受験についての方針を決めねばならない小学5年生になるということもあり、家庭内には常に緊張感が漂っております。正直、10歳の人間に将来への影響を考慮した上で重要な判断をさせるということ自体が親としての責任転嫁にもなりかねないものの、勉強、学習というものは内発的動機づけをもたねば長続きしないというところもあり、これまで学んできた心理学的なトリックを駆使しようと思っているものの、それでもなお、人間の安易に流れたいという強い衝動にはなかなか勝てないようです。モノで釣れるような動機づけの構造を持っている子どもだったらどれほど楽だろうか、と思う次第です。
相場については多くの人が長期金利を気にしていたり、まあ調整するんでしょ、という空気なので反対方向に大きく動いて欲しいと思っておりますが、生来の天の邪鬼の性格が出ているだけなので願望であり予想ではありません。期待通りに動くのであればしばらくは高値圏での乱高下ということになるのでしょう。日銀が日経平均連動型ETFを買うのをやめるという話にしても、もともとそんなに買ってないので下げる理由にもならないと思うのですが、NT裁定をしている人のポジション解消というのは避けられないですし、まあこういう投機的なボラティリティの増幅というものが相場だろう、というところでもあります。
緊急事態宣言を3月中は維持しておくべきだったのでは、と個人的には思いますが、その理由としては歓送迎会や卒業旅行などを自粛するように、と言いつつ春休み期間を残して宣言を解除すれば当然人々の気は緩むだろうことが容易に想像できるからです。なんて話をしても既に決まっていることなので自衛するしかないわけですが、さすがに1年以上もコロナコロナと言い続けると飽きるということがよく分かってきましたね。
というわけで、前置きが長くなりましたが本日は対等、平等とは、というような話です。
前置きはいつものように全然関係ない話です。
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